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gamzattiさん

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本・雑誌

2013.05.10
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カテゴリ:本・雑誌
私が本を買うか買わないかは、この「最初の数ページ」で決まるということは、
前にも何度か書いたかと思う。
書き出しがすべてとは思わないし、そこで作品の価値がわかるとも思わない。
でも少なくとも、作品と自分との相性の良し悪しは、
多くの場合、この数ページで占うことができると思っている。

世界に認められたムラカミハルキ。
評判を報じるニュースやたくさんの書評に接し、
「一冊くらいは読んでおかないと」といつも思っていた。

「村上春樹ってどうよ?」と問われても、読んでいないと持論も展開できない。
食わず嫌いは自分の世界を狭くするもと。
だから、いつも手にとってはみていた。
けれど、
その「2~3ページ」で吸い込まれるように作品に入れたためしがなく、
「そのまま書棚に戻す」が常だった。

新作発売日の4月11日。
その朝、私は大手町の丸善の前でたまたま人と待ち合わせていた。
丸善の入り口の前には、新刊本が特別に陳列されている。
発売仕立ての本をとって、
私はいつものようにページをめくった。

初めて、読めそうな気がした。
このさきどうなるのか、「多崎つくる」という人物とその人生に興味がわいた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私が最初の数ページを読んで「その先が知りたい」と思ったわけの
一番大きな理由はおそらく
「親友だ、友だちだ、先生だ、と心から信頼していた人から
ある日突然無視されるようになった経験」を私自身が何度も経験しているからだと思う。

なぜK先生は私を叱ったのか。
なぜTさんは、みんなに「あの子としゃべったらダメ」と言ったのか。
なぜFさんは、「用もないのに電話してこないで」と言ったのか。
なぜSさんは、1週間学校を休んで出てきた途端、突然私を避け、無視し続けたのか。
なぜYさんは、文通をやめ、貸した本も返してくれず、
そして「ねえ」と叫ぶ私を振り返ってニヤリと笑ったのか。

私の、何が気に食わなかったの?
何か、いけないことを言ったり、やったりした?

「自分で考えなさい」とK先生は言った。
考えても考えてもわからない。だからおしえて!
・・・・・・小学校3年生の私に、そう言い返すことはできなかった。

わからないまま関係を切られ、
その理由を知れないまま、
その理由を聞いても答えてくれないという経験は、
何重にも巻かれた包帯の下で、癒えることなく熱を持ち、何十年たっても疼き続ける。

それらの人とは、もうほとんどが音信不通だし、
連絡をとれる人にだって、「あれはなぜ?」と蒸し返そうとは思わない。

今さらその「理由」に触れてどうなるのだ。
今、この文章を書きながらだって、私の胸はズキズキと痛みを発する。

いつもは忘れているその「痛み」を思い出させた一冊だったから、
私は多崎つくるの物語を買った。

この先私がその「理由」を探る「巡礼」の旅に出ることはない。
でも、
代わりに多崎つくるの「巡礼」を見届けたい。
そうすれば、
私にも、新たな地平が見えてくるのかもしれないから……。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ということで、めでたく読了。
ムラカミハルキ本、初の読了です。

以下、
ハルキ本チョー初心者のレビュー。
ご笑納ください。
ネタバレありです。ご注意のほど。








・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



うーん、どうなんだ? この消化不良。
ハルキ本って最後まで読んだことないんだけど、
こういう、オチのないのがフツーなの?

たしかに、
この物語は「事実がどうか」はまったくどうでもよくて、
「心の持ちよう」っていうか「自分はどう考えるかで人生は決まる」みたいな話。

そういう作風なのでしょうか。
これだけ読んでハルキさんを論じるのは失礼なのでわかりません。

でも、
なにこの理由にならないもっともらしい理由づけ?
文中のセリフじゃないけど、
そこまで「つくるはそんなことするわけがない」と思っているなら、
少なくとも一度くらいコンタクトとれよ!
のけものにした方がこういう言い訳するのはままあるだろうけど、
3人が3人とも同じような言い訳するところも、逆に信憑性がなかった。

きっと何かある。
それは何なのか?
本当はどうだったのか。

連絡とれないほどパニくってた状況などをおしえてくれ~!
そういう気持ちでページをめくる。
めくってもめくっても、そんなものは全然現れない。
とうとう最後まで、この気持ちの着地点は見いだせないままだった。

つくるをのけものにしたのは、ほんとにこんな理由だったんだろうか。

これだったら、「名前に色の漢字がついていないから(スケープゴートに選んだ)」
っていうふうなオチのほうが、ずっと感情移入できたと思う。

つくるのほうも
「色のない自分の漢字」にそれとなくコンプレックスを感じていたわけだから、
それ以来色の漢字が名前についている人は自分から去っていくと思い込み、
だから灰田青年に去られてもなんとなく納得していられたが、
今度は名前に色がついていない沙羅にも去られそうで、
コワくてコワくてしかたないっていう
そういう話として書いてくれたら、
もっと世の中の理不尽さがリアルになったと思いました。

それにしても…。

登場する女性に、人間味が感じられないな~。
イロケもないな~。
人物描写が記号のように簡素化されて、
登場人物の誰一人からもねっとりと汗を感じないところ、
にじりよるような生命力を感じないところが
私としては作品に没頭できないところなのかもしれません。

男も女も、名前に「色」がついているわりに、みな個性がないというか。
生き方はいろいろ違うのに、喋り方はみな同じ。

そして一番気になったこと。

レイプされて妊娠して流産して、
その罪をまったく無実の人になすりつけて、
その前後から精神を病んでいて被害妄想で、
回復した後、殺されてしまうものすごい数奇な運命の女性シロについて、
あまりにも最後まで淡々と描写している。
ていうか、描写してない。
つくるにも読者にもこれだけの情報しか与えられないのに、
つくるは彼女が自分を陥れた理由が「わかる」という。
その理由が、あまりにも「アタマで考えただけ」なのが気になる。
つくるが「わかる」というその理由を聞いて「なるほど」って思った読者、いるのかな?
このとってつけたような「理由」で読者納得する、と村上さん本気で思ったのか?

ていうか、
つくるは犯罪をなすりつけられているのに、
「今ならわかる」っていう結論自体がちょっと……。
「わかる」っていったって、「死人に口なし」でまったく事実が判然としない。
彼女の代わりにそのいきさつを語ってくれる人もいないし。
アオ、アカ。クロのとことに行きながら、シロのところ(周辺)に行かなかったんじゃ、
ほんとの意味での巡礼にならないではないか。

もう一歩突っ込んで言わせてもらえば、
クロに会ったあとのチャプター「18」(P331)くらいから、
この物語は破たんしていると思う。
冒頭で蒔いた種を、最後きっちり刈り取ろうという気が作者にない。


つくるくんは、アツくならない人っていう設定で、
だから「そんなもんか~」ということでいいのかな~。

でも、
せめて沙羅という女性と会って最後どうなるかは書いてほしかったな。
ここまで読者の興味おきざりっていう展開を
「そこは想像してください」っていう部類のものと考えられるかどうか、ですな。

沙羅はなんで自分のことを話したがらなかったのか、そこもナゾ。
人の過去にはこれだけ踏み込んできて、
「私とあなたの間にソレがある限りセックスできない」とか言っておいて、
自分のことを聞かれても、「私のことはいいから」とか、フツーじゃない。
セックスしてるけど、つくるは沙羅のことを求めているけれど、
でもこれは恋人じゃなくて、一種のメンターと弟子の関係でしかない気がする。

あ!

沙羅は精神科医かカウンセラーなのか?
そう考えるとしっくりくるな~。

でも、
それは私が読みたかった物語じゃないな。
生活のなかで、出会ったふつうの人との中で、
自分の暗部と向き合い、あるいは自分のよさを確信し、
歩いていけるような話が好きなのかもしれない。

「あなたは昔から魅力的だから自信をもって」と言われて
「そうかな~。そうなのかも。でも、名前には色がついてないし…」みたいなつくるくん。

巡礼した割には、何も変わってないように思います。


*参考
amazonのレビューが本作より話題になっているのをご存じですか?
ドリーさんのレビュー「参考になった」が2万を超えてます。
そのレビューに対するコメントが数百って、尋常じゃない。






Last updated  2013.05.30 10:32:29
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2011.08.21
カテゴリ:本・雑誌


【送料無料】エルナニ

ここのところ、読書三昧。
今日はそのうち、外国文学関連のものを。

以前「鶴屋南北とユゴーには共通点がある」と思いつき、、
「エルナニ」読んだのがきっかけで、
「クロムウェル序文」にも手を伸ばすこととなりました。

私はフランス文学を専攻していたのですが、
ここでおそわったもので「仏文学史」と「演劇史」が
めちゃくちゃ面白かった。
ここで、たくさんの古典の「さわり」を知ったことは、
今の私にものすごくプラスになっていると思っています。

その中で
「ヴィクトル・ユゴー」といえば「エルナニ事件」と「クロムウェル序文」が
とっても有名な事象として出てくるので、
「名前」は知っていたのですが、
私は大学卒業して30年、この「エルナニ」も「クロムウェル序文」も
どちらも作品をきちんと読んだことがありませんでした。

今回読んでみて、
「エルナニ」は、戯曲全体としては古色蒼然というか、
今の時代にこれをこのままやってもまったく受けないだろうと思いつつ、
場面場面ではけっこうぐっとくるところがあって、
そういうのは、ユゴーの筆力というか、詩的な文体とエネルギーの賜物だと思った。

この作品は、戯曲として完成度が高いとか低いではなく、
それまでの演劇のお約束をどんどん破っていったことへの評価なんだと思う。
今見ればまったく当たり前のことを彼はこれでやった。
今まで女は馬に乗ってはいけないと言われたのに初めて乗った、とか、
くるぶしを見せるのもいけないといわれていたのに膝を出したとか、
その類のものだと思う。

じゃあ、ユゴーはどうしてそんな「掟破り」をやったのか。

それが書いてあるのが「クロムウェル序文」



【送料無料】ヴィクトル・ユゴ-文学館(第10巻)

これは名文!
戯曲「クロムウェル」は全幕で6時間半くらいかかるという代物で、
まったく上演に向いてなかったらしいが、
この序文は長く生き残った。
残っただけのことはある。名調子にして理路整然、
この序文を読んでから演劇史を習ったら、全部わかる、みたいな感じです。

面白いのは
「先人はちゃんと約束事を守って名作を作っているじゃないか」という声に対し、
「鬼才たちは、 あんな約束事から自由だったら、もっと傑作を書いていた」と
断言しているところ。

以前も書いたけど、「三一致の法則」というのがあって、
それは時の一致、場所の一致、筋の一致なんだけど、
とにかく24時間以内、同じ場所っていうのはムリってはっきり書いてある。

「ラシーヌもコルネイユも、場所が一つじゃなかったら、
 その事件を報告する場面じゃなくて、臨場感あふれる事件現場を芝居にしてた!」
「僕たちもそういうのが見たかったよ!」って。

ものすごく共感することが書いてあります。
でも
そうした法則がおかしいっていうんじゃなくて、
ギリシャ時代にはそれがよかったけど、
そのまま金科玉条のように18世紀にもってきたってダメ。
今の時代に合った形に変化していく「自由」を認めろってことなの。

抒情詩のギリシャ演劇、叙事詩のホメロスを経て、
今はドラマを描かなければならない、という
一種の唯物史観的な演劇進化論を
若き日のユゴーは情熱的に訴え続けます。

古典をリスペクトしながらも、
「そのままなぞる=コピーする」だけでは芸術にはならない、と。

「言葉は変化するもの。変化しないものは死んでるのと同じ。
 だから、今のフランス演劇は死んでいる」

すごくわかりやすい。

演劇が好きな人、
シェイクスピアが好きな人、
フランス文学が好きな人は必読です。






Last updated  2011.08.21 19:01:04
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2011.07.27
カテゴリ:本・雑誌
「うちの庭で測ると、今も2.4(μSv/時)くらいはあるんですよ」
7月23日、紀伊国屋ホールでの舞台「アセンション日本」のアフタートークで
そんなふうにおっしゃっていた佐藤栄佐久元福島県知事。

【送料無料】福島原発の真実

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価格:777円(税込、送料別)



この本は、
佐藤氏が3月11日に、自宅で震災にあったところから始まる。
慌てて飛び出した庭先で、
道行くひとから「避難所はどっちですかっ?」と聞かれて学校をおしえたが、
数分後に戻ってきて「ガラスがひどくて入れないと言われた。
元知事なのに、避難所もわからないのか!」と叱咤された、とか、
けっこう生々しい描写が続く。

在任中、ずっと「原発の安全性担保」のために闘ってきた佐藤氏でさえ、
この大きな揺れの直後に
「原発は大丈夫か?」とは思い至らなかったという
衝撃的な一文もある。

この本を全部読みなおしてから、改めてこの一文を思い起こすと、
ああ、
人間というのは、いかに日常に流され、慣れてしまう動物なのか、思い知る。
ウソでも100回言われれば、ホントに思えてくる、という話もある。
私たちは「原発は安全」を連呼されてホントと思い込み、
疑問をもっても原発が存在し続ける毎日に慣れさせられてきた。

チェルノブイリがあって、
20年経って急にフクシマがあるのではない。
この20年、
原子力発電所でいかにたくさんの事故や不手際があり、
それがいかに隠ぺいされ、
教訓として生かされず、
今回の事故にまでなってしまったのかがわかる本である。

こんなに頑張っていた福島県なのに、
どうして、犠牲になってしまったのか。
引き返すポイントは、いくらでもあったのに。

原子力安全・保安院と政府との関係とか、
東電本店と現場の関係とか、
電力会社と下請けとの関係とか、
今、私たちがこの目で目撃していることと
繰り返し闘ってきた人の記録である。

「今」読むと、よくわかる。
そういうことなのだと思う。

この中で「日本病」という言葉が出てくる。

「責任者の顔が見えず、誰も責任をとらない日本社会の中で、
 お互いの顔を見合せながら、
 レミング(*)のように破局に向かって全力で走っていく、という決意でも
 固めているように私には見える。
 大義も勝ち目もない戦争で、最後の破局、そして敗戦を私たちが迎えてから
 まだ70年たっていない。」

今、なかなか「国か動かない」ことにいら立っている人は多い。
「国」と対峙するということが、いかなるものか、
そのシミュレーションとして読むというのもあるだろう。

福島第一原発3号機にプルサーマルがあるのかないのか、
そういう噂が立つ要因もまた、これを読むとわかってくる。

議会での「福島ではプルサーマルはやらない」という宣言を作りながら、
佐藤氏の失脚後にはその「宣言」も反故にされた経緯など、
まさに「破局に向かって全力で走っていく」日本の脆弱な民主主義が透けてみえてくる。

なぜ同じ敷地に「1号、2号、3号、…5号、6号」と原発が並ぶのか。
「原発」という甘い囁きに手を出した地方都市が
「原発」を作り続けなければ財政を維持できなくなるようなしくみについても、
この本は語っている。

アフタートークでも佐藤氏は言っていた。
「原発はきっかり30年、地域を栄えさせる。しかし産業は育たない。
 そして原発をもってくれさえすれば、という考え方に陥らせる。
 そしてすべての負の遺産は、次の世代にツケまわされる。
 世代をまたがって豊かさを享受することは不可能だ」

まるで麻薬か覚せい剤のように、禁断症状が表れて、
「もっと原発を!」と叫ばなければならなくなる、というのだ。

ここまで尽大な被害にあって、
その被害もまだ収束の目途が立たない。

だからこそ、今度こそ、失敗しないために。

私たちはこの本から何を得ることができるのか。
それは、
読む人、それぞれに課せられた命題でもある。

(*)レミング=野ネズミの一種。
        大量増殖、大量減少、群れをなしての集団移動という習性から、
        群れをなして海に飛び込むなどの集団自殺をする動物と思われていた。






Last updated  2011.07.27 14:43:28
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2011.05.05
カテゴリ:本・雑誌
この前大阪に行ったときは、
国立劇場の前の古本屋さんで6冊買ってしまいました。
1冊100円の文庫・新書が3冊と、けっこうなお値段のハードカバーを3冊。
そのうち4冊は読破。今5冊目です。
もうすぐ最後の一冊に手が届く・・・というときに、
奈良で、またまた買ってしまいました。
今回は、1冊200円が8冊で1600円とお値打ちなんですが、
…重いんですよ。全集なんで。
結局、宅急便で送りました(汗)。
もちろん、ほかの荷物も一緒に詰めましたけど(笑)。
それを含めても1冊あたり400円にしかならないよ~!

「歌舞伎十八番」
「近松浄瑠璃集」(上下)
「曽我物語」
「西鶴集」(下のみで上はなかった)
「方丈記・徒然草」
「歌舞伎脚本集」(上下)

方丈記は、今読むべき本、と聞いたので、またじっくり読みたくなり、思わず。
あとは、なかなかお目にかからないものなので、思わず(笑)。
いずれも、昭和30年前半配本の日本古典文學大系(岩波書店)です。
この時代に1冊450円~1000円って、すごいな~。

さて、これは読み終わるのか??
とりあえず、方丈記→曽我物語は読んでみよう。








Last updated  2011.05.05 10:10:03
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2011.02.27
カテゴリ:本・雑誌


【送料無料】團十郎の歌舞伎案内

昨日は病気と向き合う團十郎さんの本を紹介しました。
こちらは、彼が高校まで通った青山学院の大学で行った授業のまとめです。
團十郎さんの言葉は大変明快ですが、
この本は学生向けの講話スタイルになっているので、
さらに読みやすい。
読みやすいが、中身は非常に濃い。

市川宗家のこと、代々の團十郎のこと、歌舞伎十八番のこと、
「日本の芝居」の歴史のことが知りたかったら、この本を読めばいい、
っていうくらい、とっても中身が詰まった1冊です。

團十郎さんという人が、いかに頭がよく、勉強熱心研究熱心で探究心が強いか。
俳優としてだけでなく、演出家として、作劇家として、
不断の努力をしていることが、この1冊でわかります。

お芝居が好きな人は、ぜひ手にとってみてください。
いろいろな発見がある楽しい本です。









Last updated  2011.02.28 19:30:29
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2011.02.26
カテゴリ:本・雑誌


【送料無料】團十郎復活

私は難病ものが苦手である。
当時者にその気がなくても、
どうしたって「同情」路線か「感動」路線かのどちらかになってしまいがちだ。
病気であったり障害であったり、
何かしらハンディを負って生きる人を語るとき、
「かわいそうねえ、お気の毒ねえ」という対岸の火事的憐れみでもなく
「勇気をありがとう!」的な無責任な楽観主義でもなく、
どうしたら当事者の真実を語れるものなのか。

市川團十郎という人は、白血病という病を得、闘病し、
復活し、再発し、またまた復活し、今に至る。
しかし彼の最近の活躍ぶりを見ると、そのことを忘れてしまいそうだ。

今回この「團十郎復活」という本を読んで、
彼がいかに大変な道のりを歩いてきたかを思い知るとともに、
その道を淡々と、客観的に、だが自分のこととして、
しっかりと描ききっているその筆致に本当に感服した。

白血病という病とその治療法をひもといた本としても秀逸。
闘病記としても一流。
そして、
その病とともに生きる舞台人としての覚悟と発見の日々が
あますところなく披露されている。
病してますます芸が、徳が、深くなる。
生きるとは何か、死ぬとは何か、
生きがいのある人生とは何か。
そこに哲学がある。

読む価値のある本だと思った。






Last updated  2011.02.27 19:56:24
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2010.11.18
カテゴリ:本・雑誌
シアタートラムで上演中の「現代能楽集」では、
パンフレットのようなものはなく、
見開きの、ほとんどフライヤー的代物が
ほんとのフライヤーと一緒に席に置いてある。

けれど別売りの「SPT07」(=Setagaya Public Theatre・最新号)は、
「古典のアップデート」という特集を組んでいて、
今回の公演の演出をした倉持裕、監修をした野村萬斎をはじめ、
多くの演劇人の「古典」あるいは「現代における古典」について
意義深い話が満載である。

特に美輪明宏の語る三島作品の演出プランは、
その意図の明確さと教養の深さにノックアウトである。

また、倉持裕の言葉も非常にフランクで、
「ストーリーはシンプルのほうがいい」「演劇は自由」という二つの言葉は、
「古典」に身構えてしまいがちな現代人へのよき提言であるとともに
自身の戯曲の可能性の再認識であり、
さらに現代日本の演劇への警鐘にもなっていている。

ほかにもいろいろ。
1000円は安すぎる。

聞けば1年に1度出しているという。
バックナンバーもロビーで売っていたが、手に取るとどれも面白そうで、
とうとう5冊も買ってしまった。
おかげでただでさえ重い荷物がさらに重くなり、
「もうあと藁の1本も増えたら倒れそう」と思いつつ帰途についた。

紙って、重い。

でも、紙で見られるって、素晴らしい。






Last updated  2010.11.18 08:01:58
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2010.09.28
カテゴリ:本・雑誌


塩の街

ある日突然、東京湾に突き刺さった塩の隕石。
あっという間に広がる「塩害」で、人は「塩の柱」になってしまう…。

そんな荒唐無稽な設定でありながら、
中身はまっすぐに恋をみつめるウブな男たち女たちの、
純なラブストーリー。
そして
「この世の終わりが見えたとき、
 人は他人を押しのけても生きることができるか」という命題を、
とっても真摯に提示している。

今やライトノベルの大家の1人、有川浩が
デビュー時に書いた作品。
非常に完成度が高い。
伏線の張り方、魅力的かつミステリアスな登場人物の造形、
語り手の視点を変えながら綴る手法がアマチュアっぽいのに効果的。
穏やかな時間と急展開による緊張が作るリズムは、
ぐいぐいと読者をつかんで離さない。

そして、

ありえない話なのに、リアル。
これ、素晴らしい。

オムニバス的に短編が連なって、一つの作品が仕上がっている。
中高生から大人まで、幅広い年齢におススメです。






Last updated  2010.09.30 07:49:12
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2010.07.28
カテゴリ:本・雑誌


友達/棒になった男

安部公房といえば、「棒になった男」「砂の女」「箱男」。
タイトルだけで奇妙奇天烈。
若くてとんがっていると、読んでみたくなる。
でも、
読んでもいっこうにわからない、というのが
安部公房。

私もむかーし、いろいろ読んだが、
「どんな話だったか」と聞かれても、ぼーっとした心象風景だけが、
1枚の古ぼけた写真のように思い出されるだけだ。

「棒になった男」は、教科書で読んだ。
高いビルから下を覗き込むような映像だけが脳裏に残っている。
ほかはきれいさっぱり記憶からすり抜けている。

「どんな話だったっけ?」

息子によれば、
「人が棒になって落ちてきたところに男と女がやってきて、
 この棒は有罪か無罪かって話が始まるんだよ」

え?そんな話だったっかしら??

そんな話だったかよりも、私はほんとに何も覚えてない自分に愕然とした。
それで再読してみた。

再読してまた驚く。

すごくわかりやすくて面白い話じゃないか!
なんで、これがわからなかったんだ?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

上から落ちてきた人が、「棒」で現されている。
そこに、「地獄」から派遣されたような男女が来て、
その「棒」の「形状」について観察し、総括する。

「どんな棒か」=「どんな人生だったか」

人間、死んだら生きた人生のような「もの」になる、という想定だ。
つまり「棒になった」時点で、その人間は「道具扱い」された人生だった、と。
それも、すりきれてたり、あちこちけずられてたり、などなど、
いい扱いはされてなかった。
そこに、
人を人とも思わない社会への批判がある。

一方で、
その「落ちてきた棒」に無関心な若い男女も描かれている。
(今の人、フーテンって言われて、どんな風体かわかるかな?)
人の命を命とも思わない風潮への皮肉もある。

ただ1人、
「棒」を「人間」として見て、ビルの上からそのゆくえを追う人がいる。
「棒になった男」の小学生の息子だ。
父親の「飛び降り」を、目撃した小学生の息子の心中は…。
そして、
どぶのような、汚い側溝に落ちて息絶える「棒」の思いは…。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

中学生や高校生のとき、
ぜーんぜん体に入っていかなかったこの話、
今読むと、ものすごくわかりやすい。
大人の悲哀のようなものがつまっている感じだ。

その上、
この「棒になった男」、戯曲じゃないか!
そうか。
まず「戯曲」の読み方を知らなかったな、当時は。
「ハムレット」もチンプンカンプンだった頃だから。
字面だけを追って額面どおりに受け取るだけじゃなく、
ちゃんと想像力を使って舞台空間の中で人物を動かさないと、
本当の奥行きとか、可笑しみとか、見えてこない。

私が読んだ本には、初演の記録が添付されていた。

初演=昭和44年(1969年)11月1日
劇場=紀伊國屋ホール
演出=安部公房
演出助手=渡辺浩子
装置=安部真知
照明=秋本道男

配役

第一景「鞄」

女    市原悦子
客    岩崎加根子
旅行鞄  井川比佐志

第二景「時の崖」

ボクサー 井川比佐志

第三景「棒になった男」

地獄の男   芥川比呂志
地獄の女   今井和子
棒になった男 井川比佐志
フーテン男  寺田 農
フーテン女  吉田日出子

ものすごいメンバーである。
見てみたかったっていうか、今だってやってほしい!






Last updated  2010.07.31 19:07:44
コメント(0) | コメントを書く
2010.07.26
カテゴリ:本・雑誌


私の紅衛兵時代

「黄色い大地」や「さらば、わが愛/覇王別姫」などで有名な映画監督、
陳凱歌(チェン・カイコー)が
自分が少年のころ目の当たりにした文化大革命時代の体験を
赤裸々につづっている。

自分の親が断罪されることを「恥ずかしい」と思う陳少年は、
たとえば日本占領下の朝鮮半島で創始改名が進み、
「どうしてうちは日本の名前にしないの?」と訪ねる子ども(「族譜」)にも似て、
いつの時代も子どもから洗脳されていく過程をよく示している。

日々続く壮絶な暴力の狂気を陳は
「磁石から落ちる恐怖」がなせるわざだとも表現している。

彼は前書きで
「文化大革命が引き起こした根源的な破壊は、
 社会のデッドラインを突破してしまったことだ。…(中略)…
 洋の東西を問わず、人々が世代を越えて命をかけて守ってきた
 普遍的な価値さえも、覆されてしまったのだ」

と綴る。そして、
現代の中国のインターネットに見られる「激しい憎悪」「氾濫する怨み」を見て
「過去の熱狂は、現在も変らない。
 ただ熱狂の対象が、政治から金銭に変っただけ」
だと結論づける。
それは
「集団から放り出されるのを恐れる原初的な恐怖の中に、
 人々が今も生きているからだ」
と。

彼は本書の後半で、下放された雲南省での生活を描いている。
奥深い山の、そのまた奥の原生林の、
仕事の合間に手を止めて見やる、もやにけぶった森の描写が美しい。
彼は映画監督だけれど、
文章だけでも色が、映像が、たちのぼってくる。
しかし「現地の農民のため」のゴム栽培と思っていた自分たちの労働によって、
結局はそこにあった広大な原生林をすべて失くしてしまったことへの
悔恨の念が痛い。
しかし一方で、
辛く苦しい時代ではあったが、
自然の厳しさの中で生き抜く力もおそわったと書いている。

陳は、この本を「懺悔の書」として書いた、という。
それを書いたタイミングは、天安門事件の直後である。

彼のみならず、
今を生きる中国の人々が内面に抱く、
私たちには計り知れない体験の重みを、改めて思う。
非常に読みやすい本なので、
ぜひ一度、手にとってほしい。






Last updated  2010.07.27 08:41:08
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