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2005年09月22日
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カテゴリ:Creed
だるくていけない。

昨日イェシュホア(イエスの正しい発音だとか。)と名乗る奴輩から興味深いコメントを頂戴した。大変喜ばしいことである。

ところで、彼のコメントに密教という話が出たのだが、私の把握している仏教史の概略をここに示すことにする。釈尊のはじめた仏教は涅槃、つまり解脱を目的としていた、個人の救済、世の中の一切を解き明かそうとする哲学的探究心に満ち溢れていたものだったが、それ以降、その弟子たちの分析は精緻を極め、難解な叡智の塔を作り上げていった。これらはいくつかの部派に分かれていたので、彼らは部派仏教と呼ばれている。彼等の考察した理論の塔を「アビダルマ」と呼ぶ。

そしてその中から長老派と若手の論争などを経て、大衆部が生まれ、そこから直接発展したわけではないのだが(私が実はよくわかっていない)、大乗仏教というものが生まれた。完成者はナーガールジュナ(龍樹)である。この人類史においてもっとも知の高みに達したとも言われる男は、空の論理を完成させた。

それ以降、無著(アサンガ)、世親(ヴァスバンドゥ)らによって、今度は唯識思想が生まれた。さらに精緻を極めた論理であるが、一部の人には仏教の堕落の始まりとも言われている。

ここまでかなり端折った説明で申し訳ないが、流れとしては、
釈尊(ゴータマ・ブッダ)→アビダルマ→空→唯識
と理解してもらえば概ね正しい。

講談社現代新書の「空と無我」(定方晟)は非常にここのところの流れを簡潔に説明している名著であるが、彼は、反唯識派の一人である。

私は、評論家の宮崎哲弥の本をよく読むのだが、彼は定方の著書を褒め称え、ナーガールジュナをもって仏教の完成者とする。面白いのは三島由紀夫の最後の大作「豊穣の海」全4巻によって説かれている仏教は、唯識思想なのであるが、宮崎は「唯識を評価している時点で、三島は仏教をわかっていない。唯識は仏教がヒンドゥー的堕落をはじめたその端緒であるのに。」と言い切っているのである。

唯識が堕落の始まりであるかどうかはわからぬが、これ以降、インドにおける仏教はますますインド思想化を深めていく。その最後の花が密教であろう。密教を最後にインド仏教は滅びた(余談だが、その密教を完成させたのが空海である。金剛頂経と大日経とに別れていた密教を統制したのが空海なのである。この意味で空海は日本が最初に生んだ世界的思想家といわれるのである。)。

話はあちこちにとんでとりとめがないのが申し訳ない。今回はとくに酷いと自分でもわかっている。

私は、空の論理のすばらしさはなんとなく(本当になんとなくだが)わかったような気がしているので、唯識が仏教の堕落なのか進化なのかを非常に今知りたいと思っている。

仮に唯識が堕落だとすれば(その最大の理由は、一切を空であると論じながら、阿頼耶識などという似非自我を作り出してしまったことにあるといわれているらしい。)、密教などは堕落っぷりもいいところであるか、インドの古い神々を取り入れるわ、呪術的要素を取り入れるわ、男女の交合を崇めるわ(その極端な例が邪教と言われる立川流。)で偉いことである。釈尊が密教の存在を知ったら、驚くどころの話ではあるまい。

ここのところを指摘したのが、江戸時代の思想家、富永仲基で、彼は著書である『出定後語』の中で、釈尊自身の教説は阿含の数章だけで他は後の教説を「加上」(=付加)したものであるとし、仏典の矛盾を指摘した。大乗は無論非仏説であろうが、密教はその最たるものであろう。

大日如来のような全知全能の神を創設してしまったことは、釈尊から見ると、おそろしき所業だと思われる。まぁ宗教というものは概ねそういうものなのだが。





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最終更新日  2005年09月25日 17時36分18秒
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