そういえば、生まれたその日の夜、政所の実家で親父殿と大宴会をしていたのだが、
「それで、お前、名前は何てするぞ?」
あ、いや。。。
実は、もう妊娠したときから考えていたが、実際人に話すのって恥ずかしいな。
いえね、最近は、やはりあれじゃないですか。
周囲を見渡しても、たとえばたまごくらぶとか観てても、
なんていうか、奇怪な名前が氾濫していると思うのですよ。
まぁ、それでも無い智慧を一生懸命振り絞ってつけたんだろうから、他人がとやかく云うことではないけれども。
常に、俺の発想方法としては、従来の歴史を踏まえているか、昔からそうだったのかどうかということがポイントとなる。
よその国では、まぁ中世からずっと名前が変わらないってこともあって、
まぁそれはそれでいいんだけど、この国の名前の流行り廃りは本当に激しいと思う。
今、流行っているような、ちょっと読み方が判別し得ないような名前もね、すぐに廃れるよ、おそらく。
我が息子の名前はですね、
鷹千代
です。
へ?
とか思うでしょ。
そう、思うわけ。
俺の考えを述べれば、こうである。
昔の貴族・武士には幼名というものがあった。
主に平安から江戸にかけてである。
元服して成人して諱が付けられるまでの名称である。
たとえば、牛若丸とか竹千代なんか特に有名だが、
不動丸(源義家)、正寿丸(北条時宗)、千寿王(足利義詮)、細川勝元(聡明丸)、上杉謙信(虎千代)なども有名である。
また、竹千代(江戸将軍家)、五郎太(尾張家)、長福丸(紀伊家)、鶴千代(水戸家)など、代々長子に相続される幼名もある。
この幼名ってやつがなかなかいいと思うわけ。
生まれたときはどんな人間になるかわからない。
元服するときまでにつければいい。
とりあえずは元服するまでは半人前なんだから、名前も半人前だ。
いい発想だ。
落語家とか歌舞伎役者みたいに、何代目何五郎とかいうのもいいが、やはり武士はかっこいい。
百姓は諱なんぞなくって、通称だけだったが、まぁ我が家は、古くは遡れば源氏までたどり着きますから。
清和源氏(最近の研究では陽成源氏という説も)は、六孫王経基の子である、多田満仲から武門となる。満仲から、摂津源氏、大和源氏、河内源氏が出るが、有名なのは河内源氏である。河内源氏の祖は、頼信であるが、頼義、義家と続く(この義家が日本一の兵、八幡太郎)。義家の家は最終的には義親が継ぎ、そこから為義、義朝、頼朝と続く。義家の三男義国は、新田足利の両祖であり、義国の長男義重からは新田氏が、次男義康からは足利氏が、それぞれ生まれる。新田義重から、世良田氏が流れ、その結果、松平信光という男に至る。ここから松平家康まで連なるのであるが、信光には光親という子がおり、そこから能見松平家が出ている。能見松平家から、小沢氏という家系が生まれ、その小沢氏は茗荷を家紋として用いている。この小沢家の分家が我が家である。
なお、母方を遡れば、頼義の子にして義家の弟である新羅三郎義光から流れる常陸源氏佐竹氏流白鳥氏に行き着く。
とにかく、武士は、幼名と通称と諱をもっており、加えて氏と姓と名字がある。
たとえば織田信長を例にとってみよう。
織田というのは名字である。
信長は諱だ。
氏というのは、源平藤橘に代表される帰属集団をあらわすものだ。
信長は平氏を名乗ったり、藤原氏を名乗ったりしている。つまり「平」と「藤原」が信長の氏である。
加えて、朝臣とかいうのが、姓だ。
信長の幼名は吉法師である。
通称は上総介だ。通称だったり官職名だったりする。
平朝臣織田上総介信長というのがフルネームに値する。
そこで、我が子の幼名である。
諱はもうずいぶんと前から決まっている。
俺の名前に付けられた一字と、我が家に伝わる一字を組み合わせたものである。
こうした家に伝わる名前を通字といったりする。
また、目上の人から字をもらうことを偏諱という。
我が子の諱はここには明かさない。
名を明かすことは、そうやすやすと出来る代物ではない。
といって、平成の御代である。
幼名だの諱だのいっても、世間様の了解を取り付けていくのも面倒である。
したがって、戸籍登録は諱で行う。
ふん。
たかが戸籍ではないか。
いつから結婚だの名前だのをお上に管理してもらうことになったのだ。
登録なんて単なる手続だけの話であって、名前なぞ自分で好きなように名乗ればいい。
戸籍登録のいかんにかかわらず、俺は我が子を幼名で呼ぶ。
そこで幼名は、鷹千代である。
千代か丸かで迷うところだが、千代を取った。
数えて15になったら、元服させる。
鶴ヶ丘八幡宮でやる。
八幡宮でやることにちなみ、通称は八幡太郎と名づけるつもりである。
無論、武家の棟梁である八幡太郎義家にあやかってのことである。
やうやう地に光満ち、山川草木、花鳥風月みな一様に色めきたちたるかと覚ゆれば、いにしへの聖賢、偉大なる帝王もかくやとなんおのこ生まれいずれり。やにわに立ち上がり八歩あるきて、『天上天下唯我独尊』と云ひたまひしを見れば、人々有り難くもおそろしく思ひて拝みしなりをご覧じていわく。統べる者、絶対的支配者、ありとあらゆるものの中でいと尊き者、三千世界の御宝が降臨しますたが、何か?とぞいへり。
清和源氏が末裔にして武門の棟梁八幡太郎が嫡統、●●家嫡男なり。幼名を鷹千代と名付けり。
数えて十五にならば、鎌倉は鶴岡八幡宮におきて元服の儀あいつとめ、八幡太郎●●と名付くべし。
名前なぞ単なる記号である。
という考え方も可能だ。
しかし、名は体を現すというように、唯名諭をとることも可能だ。
ラタナコーシンという名前がなくなれば、私の存在自体がなくなる。
名前をコントロール下におけば、その者の生殺与奪の権を握ったも同然である。
だからこそ、昔の人は名前を直接呼称することを避け、名前を明かすことを恐れた。
これは現代でも同じである。
市長だの、社長だの、部長だの、先生だの、先輩だのと役割だとか地位で呼ぶことが多い。
一方で、外資系企業にいるとわかるが、アメリカなどではビジネスシーンにおいてファーストネームで呼ぶのも日常である。
どっちがいいとか悪いとかいう問題ではないが、日本人のくせに米人気取りで、名前を呼び合っているやつをみるとなんとなく下劣な気がする。
そういえば、夜這いの語源は、名を呼び合う、呼ばう、から来ているともいう。
女が名を明かすと云うことは、嫁すのと同じである。
長くなったが、というわけで、我が子の名前は数えて15になるまでは、鷹千代である。