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テーマ:パワースポット・遺跡・文化財
カテゴリ:恩納村
(根立森の御嶽/真魂之塔) 沖縄本島北部西海岸の「恩納村/おんなそん」に「真栄田/まえだ集落」があります。「真栄田公民館」がある小高い丘陵は「根立森」と呼ばれ、集落の御嶽として祠が建立されています。1713年に琉球王府により編纂された「琉球国由来記」には『根立森 神名 カナモリイベヅカサ 真栄田村 稲穂祭三日崇之時、仙香・花米五合・麦神酒二器。年浴、且、柴指ノ時、仙香・花米五合宛・神酒二宛、同村 百姓中 供之。真栄田巫ニテ祭祀也。』と記されています。この御嶽の祠に隣接して大東亜戦争戦死者の慰霊碑「真魂之塔」が建立されています。 (御嶽の祠) (御嶽の祠内部) (御嶽の石碑) (真魂之塔の慰霊碑) (大東亜戦争戦死者の石碑) 「根立森」の御嶽の北側には2016年10月9日に復元された「御願所」の祠が建立されています。この地には戦前まで祠があり集落の年中行事、旅立ち、徴兵されて戦地へ赴く際に住民が拝んでいました。当地の屋号は「ユナニ」と呼ばれ「真栄田集落」の草分け旧家として「真栄田ノロ」を輩出したと言われています。「ユナニ」の祠は沖縄戦や天災などで倒壊し、戦後の荒廃した状況の中、祀られていたウカミ(御神)は「ユナニ」の末裔により一時的にヤンバル(山原)に移動されていました。その後1958年頃にウカミは当地に戻り、仮の祠が建てられていました。現在は新しい「御願所」が建立され内部には「ユナニ」家のヒヌカン(火の神)と「ユナニ」家から出自した「真栄田ノロ」が祀られています。 (御願所) (御願所の祠内部) 「琉球国由来記」には『真栄田巫火神 真栄田村 山留ニ竹木伐故、為作物祈願之時、仙香・花米五合。稲穂祭三日崇之時、仙香・花米五合・麦神酒二器 百姓中。年浴之時、仙香・花米五合・神酒二 百姓中。柴指・ミヤ種子ノ時、仙香・花米五合・神酒二器 百姓中。十月朔日竈廻之時、仙香・花米五合・神酒二 百姓中、供之。真栄田巫祭祀也。』と記されています。更に『神アシアゲ 同村 稲穂祭之時、シロマシ二器・花米九合・麦神酒二 百姓中、五水二合 地頭、供之。真栄田巫祭祀也。且、同大祭之時、五水二合・花米九合 地頭、神酒三 百姓中。柴指之時、神酒二 百姓中、供之。同巫ニテ祭祀也。』との記述があります。 (真栄田の一里塚) (真栄田の一里塚の案内板) (真栄田の一里塚) (歴史の道/国頭方西海道) (真栄田の一里塚の標識) 歴史の道である「国頭方西海道/くにがみほうせいかいどう」は琉球王府時代(1429-1879年)に造られた道で、当時の主要道路として宿道(旧道)と呼ばれていました。首里を起点にし、浦添、読谷村喜名、恩納村を通り名護以北に向かう道を「国頭方西海道」と呼びます。「一里塚」は琉球王府時代から明治時代にかけて使用された宿道に設置され、旅人の道程の目安にされていました。恩納間切(現在の恩納村)には五箇所に設置され「真栄田の一里塚」は「喜名番所」から一里の場所に造られています。「真栄田の一里塚」は土と炭を混ぜ合わせた土塚で、その上部には琉球松が植栽されています。 (国頭方西海道/PVに使用された十字路) 「真栄田の一里塚」と「フェーレー岩」を結ぶ「国頭方西海道」の途中に農道の十字路があります。この十字路は2024年4月19日に「アジマァ」より発売されたシングル「ありがとう」のPVに使用されました。1993年、日本レコード大賞「特別賞」を受賞した「りんけんバンド」の楽曲「ありがとう」を照屋林賢がアレンジしました。30年の時を経て爽やかで瑞々しい編曲となり、照屋林賢プロデュースの沖縄音楽ユニット「ティンクティンク」によりカバーされて受け継がれました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.05.31 17:25:06
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