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パワースポット@神の島「Okinawa」

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2022.06.17
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カテゴリ:那覇市

(松川殿之毛拝所)

沖縄県那覇市に「松川(まつがわ)集落」があり、集落の北部の丘陵地に「松川殿之毛拝所」と呼ばれるウガンジュがあります。この拝所がある敷地は「殿之毛(トゥンヌモー)」と称され「松川殿之毛拝所」は集落の守護神を祀る霊域となっています。首里王府時代に「殿之毛」北方から南西方向にかけて集落が形成され「茶湯崎村」と称されていました。清の官僚「徐葆光(じょほこう)」が1721年に著した「中山伝信録」には「松川」と記されており、松川脇地頭の所領地でした。明治初年に「松川村」と改称され、明治41年には「真和志村字松川」となりました。また、古くから「首里坂下」とも呼ばれてきた歴史があります。「松川殿之毛拝所」は「真壁・茶湯崎・安謝」の3村を管轄した「真壁(大あむしられ)」と呼ばれるノロ(祝女)が七神を祀り村の繁栄を祈願していました。


(松川殿之毛拝所の内部)

(松川殿之毛拝所の内部)

(松川殿之毛拝所の内部)

『賓頭盧尊神/じんずるそんしん』
徳と救済・疫病祓いの神仏
『土帝君/トウテイクゥ』
土地と屋敷の神仏
『金満善神』
豊作と繁栄の神仏
『御嶽火之神/ウタキヒヌカン』
御嶽の根神、腰当神(クサティガミ)、祖霊神
『東代御通し/アガリユーウトゥーシ』
アマミクの世の神・アガリ世の神
『中山御通し』
首里親国御通し(遥拝所)
『北山御通し』
今帰仁あおりやへノロ、今帰仁世の神


(松川殿之毛拝所/赤瓦屋根の上のシーサー)

(殿之毛の石碑)

(上之井/水神)

「松川殿之毛拝所」の赤瓦屋根の上には一体のシーサーが鎮座しています。沖縄のシーサーは災いをもたらす悪霊を追い払う魔除けの役割がある他にも、幸せを離さない意味も込められています。「殿之毛」は現在「殿之毛公園」として整備され「松川集落」の人々の出会い、親しみ、賑わいを目的とした広場として活用されています。「殿之毛」と彫られた巨大な石碑をシンボルとして、旧6月の綱引きや旧3月の村遊び、更に沖縄相撲(角力)の他にも集落の諸行事の開催の場として「殿之毛公園」は住民の生活に欠かせない場所となっています。「殿之毛公園」には「上之井/ウィーヌカー」の水神を祀った祠が建立されており、祠内には古くから残るウコール(香炉)が設置されています。


(上之井/ウィーヌカー)

(前之井/メーヌカー)

(サーター屋井/サーターヤーガー)

「松川集落」は「今帰仁森/ナキジナームイ」を背景に、首里城の西側に位置しています。「殿之毛」の南側丘陵の麓には「上之井/ウィーヌカー」の井戸があり、手押しポンプが設置され、正面には魔除けの「ヒンプン」が井戸を守っています。この井戸から南側には「前之井/メーヌカー」があり、井戸にはウコール(香炉)と霊石が祀られ、同じく正面には「ヒンプン」が設置されています。さらに「殿之毛」の西側、坂下通りの松川交差点近くに「サーター屋井/サーターヤーガー」があります。「サーター屋」とはサトウキビを製糖する小屋の事で、製糖過程でこの井戸の湧き水が使われていました。井戸にはウコール(香炉)と霊石が祀られており、他の井戸同様に水の神を崇めて水の恵みに感謝する拝所となっています。


(新屋敷/ミーヤシチの井戸)

(新屋敷/ミーヤシチの賓頭盧神/ビジュル神)

(新屋敷/ミーヤシチの拝所)

「殿之毛公園」の西側駐車場に隣接する土地には「根屋/ニーヤー」と呼ばれる「松川集落」に最初に移り住んだ始祖の屋敷跡があります。現在は「新屋敷/ミーヤシチ」と呼ばれ、北側に向けられた3箇所の拝所が残されており「新垣家門中」と「豊村(旧姓新垣)門中」の土地となっています。敷地内には井戸を覆った祠があり、内部には石積みされた古井戸の穴が開いていて正面に霊石とウコール(香炉)が祀られています。この祠のすぐ後方にある別の祠内部には「賓頭盧神/ビジュル神」と記された霊石、もう1体の霊石、ウコール(香炉)が設置された拝所となっています。更に、この北側にはコンクリートのブロックでコの字型に囲まれた小型の祠がありウコール(香炉)が祀られています。


(松川樋川/マチガーヒージャー入口)

(松川樋川/マチガーヒージャー)

琉球王国時代「松川集落」には綺麗な湧き水が多く、美人が多くいる場所として有名でした。「殿之毛公園」の北側で、首里城の西側に延びる尾根の南側丘陵に「松川樋川/マチガーヒージャー」の井泉があり、昔から『美人になれる湧き水』として地域住民に親しまれていました。この丘陵の下部は12〜14mの急斜面となっており、湧き水は主に泥岩で構成される豊見城層内から湧き出る地下水であると考えられています。「ノボホテル沖縄那覇」の敷地東側に「松川樋川/マチガーヒージャー」の入口があり、通路を進むとガジュマルの木の下に井泉が佇んでいます。この井戸は平面で見ると鍵穴型をしており、入口から2段の石段を下りた場所に広がる石畳みの踊り場は幅約1.2〜2m/奥行き約3.5mと細長く、両側は布積み(豆腐積み)の美しい石垣が積まれています。


(松川樋川/マチガーヒージャー)

(松川樋川/マチガーヒージャーの名板)

(松川樋川/マチガーヒージャーの樋口)

井泉の貯水槽は半円型で間口約1.9m/奥行き約1.5m/深さ約0.3mとなっています。中央の奥部は上下2段の張り出しとなっており、湧き水は下部の張り出しに設置された石樋を通じて流れ落ち、貯水槽の両側にはウコール(香炉)が1基づつ祀られています。「松川樋川/マチガーヒージャー」の踊り場や張り出しは実用的ではなく装飾的であるため、この井泉は地域住民が生活用水を汲んだり水浴びをしたムラガー(村ガー)ではなく、琉球王府の御殿や庭園の水場として造られたと考えられています。現在でも有名な『美女伝説』が残るこの井泉は「松川集落」では聖地と崇められ、多くの住民が線香を持ち寄り水の神に拝してるのです。






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最終更新日  2022.11.11 21:27:29
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Re:七神を祀る霊域と美女伝説の湧き水@那覇市「松川殿之毛/松川樋川」(06/17)   地域の人 さん
初めまして、松川樋川は「松川ミーハガー伝説」由来の樋川ですね。
この樋川は沖縄戦で地中に埋もれてしまい、自治会等も必死に探し続け、今の場所で発見されたそうです。
石積等は破壊され尽くされ、発見された時に新しく造られたので「王府の庭園的な〜・・」は当て嵌まらないです。
ちゃんとした事は松川区向上会に聞いた方が良いかと思います。 (2024.01.27 19:09:30)

Re[1]:七神を祀る霊域と美女伝説の湧き水@那覇市「松川殿之毛/松川樋川」(06/17)   gomagoma0610 さん
地域の人さんへ

コメントを頂き誠に有難うございます。

『石積等は破壊され尽くされ、発見された時に新しく造られたので「王府の庭園的な~・・」は当て嵌まらないです。ちゃんとした事は松川区向上会に聞いた方が良いかと思います』について回答致します。

旧都ホテル(ノボホテル)の建設の際に沖縄戦で埋もれていた松川樋川が発見され、場所をずらして復元されています。もし沖縄戦で"破壊され尽くされた"のであれば、現在のような細部にわたる復元は不可能だったと考えられます。

ブログ記事は地理学者の角田清美(すみだきよみ)氏著の「沖縄・首里城と周辺地域の古井戸」を引用しています。もちろん角田氏も沖縄の様々な文献を引用していますし、復元された井戸を学者の立場から分析している点を考慮しますと角田氏の著は信憑性が高いと思われます。

さらに角田氏の「王府の庭園的な…」は一つの説として考えられているもので決して断定ではありません。加えて「ちゃんとした事…」とされる松川区向上会の話が非常に気になりますので、ぜひ後日私にお教え頂けたら幸いです。

どうぞ、宜しくお願いします。 (2024.01.27 20:16:48)


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