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カテゴリ:横須賀あたり
懐かしいアトリエの仲間から久しぶりにメールが来た。私と同い年の仲間の死をしらせるメールだった。若い頃からずっと同じアトリエで描き続けて来た。音楽に心を傾け、絵筆よりドラムのスティックを持つ時間の方が長かったかもしれない。日頃は穏やかな印象だったが、時折強い意思と情熱を垣間見せた。苦しい立場に立たされても黙って乗り越えて来た。同じアトリエの仲間と結婚し、少し落ち着いて来たかのように見えた頃、病魔が彼を襲った。いまさらながら彼のブログを遡って読んだ。mixiに参加していることを今になって知り、ひたすら過去を辿った。彼は自分の体に起きている事態を十分に把握していた。病名は癌。ブログで公表した上で、日々のことを記録していた。どこまでも前向きだった。何度も繰り返す言葉「頑張ります」。自分には守るべきものがある。だから、「頑張ります」。
深夜に絵筆を握った。君にしてあげられることはもうない。自然に描いていたのは海。私たちを育んでくれた横須賀の海。もう頑張らなくていいんだね。静かにおやすみ。祈りを込めて海を描いた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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まずは・・お冥福を祈ります・・
人の死と直面すると・・・僕より若いのに・・・ まだまだ、したい事が沢山あったろうに・・・ 残された家族は・・・いろいろ考えてしまいますね。痛さと・苦しみからの解放・・ゆっくり・・ お休みください・・・ (2007年08月21日 17時45分42秒)
死ということ、が、身近になる年代ですね、ワタクシもそうですが。
共に仕事をしたり、若い方ならさらにですが、そのたびに自分の生き方を振り返ります。(あわわ反省三日坊主ですが) 君にしてあげられること、と思う思いやりは、きっと自分に返ります。やさしいから、ゴーヤさん。 (2007年08月21日 20時55分53秒)
お仲間のご冥福をお祈りします。
死というのは、その日から、思い出という過去の世界で、その人との付き合いが再開する気がします。 そして、死を通して、人って気が付かない所で色々な人に支えられたり、かかわっているんだって気が付きます。 ゴーヤさんの海の絵、見てみたいな。 そういう私は、25年前の今日、最愛の人を海で亡くしました。 でも、思い出では今も生き続けています。 (2007年08月22日 08時41分31秒)
優しい言葉をありがとうございます。
日々の生活に追われて見失いがちなものを、彼はしっかり見つめて慈しんできたのだと思います。大切なのが今であることをこうして教えてくれるんですね。 (2007年08月22日 22時20分40秒)
今年は年初めから尊敬する方を失い、今度は…。失ってはじめてわかる存在の大きさにただ愕然とします。縁あって知り合った人は私にたくさんのものを与えてくれる。ありがとうの気持ちだけは失わずにいたいです。
izaさん、言葉が胸に染みました。ありがとうございます。 (2007年08月22日 23時08分09秒)
昨晩お逢いしたゴーヤさんはいつもと違う印象でしたが、このような事があった後だったのですね。
とても勇敢で、繊細なご友人だと感じました。 この数年私も親戚、友人などを送ることが多く。そのたびに私に宿題を残されている様です。 適切に短く表すのは苦手ですが、故人の意思を忘れない。作品が残っていれば音楽でも画でもその意思を読み取る。 もし私がそうしてもらえれば、きっと○○さんと過ごせてよかった、、、。と昇天できます。 横須賀の海、きっと友人が望んでいたから筆が進んだのでしょう。 ご覧になっていますよ。きっと優しいお顔で。 お逢いした事はありませんが、、、合掌させていただきます。 (2007年08月23日 01時04分48秒)
生きて繋がること。死して繋がること。その人との繋がりは形を少し変えるだけで変わらないのかもしれませんね。 tsunamiさんの言葉を聞いて、そんな風に思いました。ありがとうございます。
(2007年08月23日 05時40分52秒)
ひとりの仲間の死に際して、悲しみと共に生きて在ることの喜びを感じた一日でした。NAOちゃんの心遣いに感謝します。ありがとう。
(2007年08月23日 12時32分30秒)
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