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2013年08月11日
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カテゴリ:幕末維新

明治維新の折、進んで勤王軍に参陣していったという、山村の義勇兵「山国隊」。
彼らは、いったい、どのような思いを持って戦線へと出向いていったのか。

山国村には、今も、凱旋後の彼らを顕彰した当時の史跡が残されているといい。
少しでも、「山国隊」の息吹に触れてみたいという思いから、
その史跡の跡を訪ねてみました。



護国神社バス停.jpg



山国村を縦断するようにして走っている山国街道(現・国道477号線)。

その道沿い、「山国護国神社前」のバス停から歩いて数分のところに、
山国隊士の慰霊のために建てられたという、山国護国神社があります。



護国神社鳥居.jpg



戊辰戦争の激戦を終え、山国隊が村に凱旋してきたのは、明治2年のこと。

この時、山国隊の隊士が全員集まり、報告祭が行われたのですが、
それと同時に、従軍中に戦死あるいは病死した7名の隊士を弔って、
彼らの墓標が建てられました。

この招魂の跡が、山国護国神社の前身。

その後も、京都府の官費による招魂祭が、毎年、この地で行われ、
永らく、ここは、官営の招魂場とされてきた場所でありました。


鳥居から続く石段を登っていくと、さほど広くない台地になっていて、
そこに、山国隊士の墓碑や、いくつかの顕彰碑が建てられています。



七名の墓碑.jpg



戊辰戦争従軍中に戦病死した隊士、7名の墓碑です。


山国隊の戦歴の中、宇都宮・安塚の戦いで死亡したもの3名。

宇都宮の戦いというのは、幕府軍が、ここを抵抗拠点のひとつとしていたというだけあって、
山国隊にとっても最大の激戦となった戦いでありました。

敵兵の銃弾を浴びて絶命した高室治兵衛・田中浅太郎。
激戦の中、行方知れずとなった新井兼吉。以上の3名。


上野・彰義隊との戦いで戦死したもの1名。

上野での戦いは市街戦となり、
田中伍右衛門は、宿屋の2階から小銃で応戦している中、
敵の銃弾が貫通し死亡しました。


他に、過酷な戦陣環境の中、病を発し死亡したもの、
高室重造、北小路万之輔、仲西市太郎の3名。

計7名の墓碑であります。



隊士の墓碑.jpg



農民義勇兵であった山国隊、
政府軍の中においては、鳥取・因幡藩の配下という位置づけでありました。

それ故に、山国隊の隊長を務めていたのは、
因幡藩の重役であった河田左久馬という人。

そうした中、実質上、山国隊の中心となっていたのが、藤野斎という人でありました。


藤野は、山国村の名主の家の出身で、
山国隊結成時の発起人の一人。

漢学の素養があり、医術の心得もあったという、村きっての教養人でありました。

山国隊取締という役職で戊辰の遠征に従軍し、
隊士の世話役・教育係、因幡藩との交渉から資金のやりくりまで、
それらを一手にこなし、隊士からも非常に慕われていた人だったと云います。

山国隊を軍としてまとめ上げ、彼らをここまで導いてきたということも、
彼の力に負うところが大きかったのだろうと思われます。

そんな藤野の墓碑も、大勢の隊士の墓碑の中に、
ひっそりと佇んでいました。

ちなみに、余談ではありますが、この藤野斎は、
日本初の映画監督となり、日本映画の生みの親でもあった牧野省三の父にあたり、
牧野は生前、山国隊の映画を一度作ってみたいと、常々語っていたと云います。



山国隊顕彰碑.jpg



隊士の墓碑とともに、いくつかの顕彰碑が建てられています。


戊辰戦争時の因幡藩主であった池田慶徳。
山国隊の隊長・河田左久馬。
京都府知事の槇村正直。 等々。

これらは、明治期に行われた招魂祭に際して建てられたものなのでしょう。

この顕彰碑からは、戊辰戦争後、間もない頃の人々の熱気が
伝わってくるような感じがします。



山国護国神社本殿.jpg



山国護国神社を出て、田園の小径を少し歩きました。

次に向かうのは、村の人々から五社明神と呼ばれ、
古くから、この村の心のよりどころともなっていたという古社・山国神社です。



山国神社 鳥居.jpg



この神社の創建は、奈良時代の末頃。
平安京造営の時、用材供出の功によって、
和気清麻呂を祭主として本殿が造営されたのだと云います。

その後、平安中期には皇室の勅願所とされ、
また、足利義満からも奉納を受けるなど、
小さいながらも広く信仰を集めてきた神社でありました。

山国隊が陣を揃え出陣していったのも、この場所であり、
帰郷して、まず、報告に参上したのも、この神社なのでありました。



山国神社 本殿.jpg



毎年10月に行われている山国神社の秋祭り(還幸祭)。

この時には、祭りの御神輿とともに、
時代祭の維新勤王隊さながらに、鼓笛隊の行進が行われます。



橋の欄干.jpg



神社に続く橋の欄干に彫られている、山国隊の行進の様子。

今でも、年に一度、山国村では、
山国隊の勤王マーチが、村いっぱいに響きわたります。



山国神社参道.jpg



このように何げなく、のどかな佇まいを見せている山国村。

しかしながら、この村には、独自に背負ってきた、いくつもの歴史がありました。



山国街道沿いを再び歩いていると、山国自治会館の建物があり、
その前の石碑に、小学校の校歌が刻まれているのを見つけました。


この村の小学校、
今では京北第二小学校と変わっていますが、
以前は山国小学校といっていました。

これは、その山国小学校だった頃に歌われていた校歌だということです。



山国小学校校歌.jpg




 遠き御代より つぎつぎて 雲井の御所に 縁に深く
 御杣の民や 主基の御田 又はかしこき 御戦の
 御さきとなりて つかえつる 歴史栄えある 我里よ


この村が経てきた歴史に対する自覚と誇り。

その根源となっているのは、皇室の杣人(きこり)であったということに
由来しているのだろうと思います。

この校歌には、そうした村人たちの思いが凝縮されているようにも思えます。

維新期に、山国隊が見せた無償奉仕の精神というのも、
そうした歴史と風土の中から生まれてきたものであると、
そんなことが、実感できる山国の旅でありました。






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最終更新日  2013年08月11日 23時02分09秒
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