|
全て
| カテゴリ未分類
| 龍馬伝カンレン
| 家メシと器
| やきもの屋のくらし
| 過去の文 修正再録♪
| 山に登る
| 陶芸関連
| 染と織
| 季節の花/木/風/光
| 京都・滋賀インサイド
| 旅 外メシ
カテゴリ:やきもの屋のくらし
なぜ 手づくりの陶磁器は売れなくなったのか?
その ハプー試論から 納入先Rへの真剣 をはじめます♪ 望むと望まざるを問わず われわれは時代の子であり つぎの時代の親である 秀吉の朝鮮出兵 文禄・慶長の役 1597 このとき 連行または招聘された 朝鮮人陶工たちのチカラ=技術が 萩以西の やきものの窯を開いた 唐津焼だけはその以前からあった 唐津 中里太郎右衛門の工房 1616年 有田皿山に 磁器の有望な土脈を発見し 日本ではじめての磁器を焼いたのは 李三平:りさんぺい:イサンビョン とされてる ともかくこれで日本国は 磁器 を得た 陶器とくらべ 白く堅牢で吸水性がない 3代将軍 徳川家光がはじめて磁器でご飯食べた将軍 これは記録に残ってる 朝鮮人陶工の技術力 それが 1640ころには 中国景徳鎮の磁器技術力によって さらに技術革新 青一色の絵付け=染付けだけやった 初期伊万里=有田焼に 色絵や金彩がほどこされて 色絵磁器 急速に発展する 有田 色絵町の絵具屋 日本で初めての磁器の窯の創始から たった30年ほどで オランダの東インド会社を通じて 輸出されはじめる 酒井田柿右衛門の窯 本家中国では明と清の王朝の交代期 禁輸令が出たんでラッキー♪ 景徳鎮の磁器に代わって 有田磁器の質の高さが 欧州において認知される VOCとかね しかしこの隆盛は ながくは続かなかった 40年ほどだけ 禁輸が解けて景徳鎮が輸出再開したんで 有田は 欧州の王侯貴族むけ から 国内民間需要むけ に切り替える んで 国内 陶器にかわって 磁器が市場を席巻する これに押された他産地は ビビる 落ち込む なんとか技術をぬすんで 幕末までには 瀬戸も 京都も 磁器生産をはじめる 輸出→国内需要への転換→他産地圧迫 →他産地も技術革新を余儀なくされる こーゆー構造転換が見える さてー ここでモンダイです ことし 瀬戸蔵ミュージアムで ぼくが見てオドロイた統計グラフ いま 日本の陶磁器の輸出額は いくらあるでしょう? 日本の陶磁器の輸出総額 瀬戸・美濃・有田など大産地の 機械量産型製造が担っていた輸出産業としての 陶磁器の輸出 対ドルの円が固定相場制(¥360)であった昔は 花形産業 1970年代ころには 年間160億円 まで行きましたが・・・ いまは 1億円 です ない に 等しい さて 輸出をしていた 159億円分の この生産能力と技術は どこへ向かったんでしょう? ことしの瀬戸 前日 町歩きで聞きとった 一つの例 ノベルティ=欧米の趣味=飾り物の人形 3代目の元社長から よかったころは 毎年集団就職で 九州から雇用 中卒高卒の女性 寮の食事 白米 それが食べられないと泣く人がいた 両親は麦飯 と 円高 どんどん 規模縮小して 平成3年まではやったけど止めた と 親父の代の人件費は10% 自分の代では60%までいった と聞き取った 欧米にしか需要のないノベルティ工場 は 縮小→撤退 しか道は なかったやろう では 食器生産していたトコ は? 陶都瀬戸 800あった工場 いま400 数年前の統計 しめた400の工場 そこを個人作家 手づくり陶芸家の 独立むけ工房として活用したい ぜひ貸し工房バンクに登録を と瀬戸市の広報誌での呼びかけ・・・まだ個人の作り手を増やすかぁ? 食器生産でやってたトコも まあエエか 子どもも大学までやれたし と 手仕舞いした=止めたトコも 多いんやとは 思う が やめなかったトコは どーしたんやろー? 国内需要むけ に切り替えて さまざまな技術革新をしたはず 国内需要のために 国内販路の新規開拓のために 努力したはず その帰結の一つの結実が・・・・ 高品質の 陶器に見える磁器 である まがいものの陶器 である これ 手挽きのゆったりした指筋 白化粧に微細なちじれ そこに灰釉 手づくりの陶器としても質の高い品に見える が 機械量産の磁器である 飲食業務用に 手づくりの陶器は向かない と思われてる 強度が足らない 陶器はモロく 汚れやすい と思われてる 値段があわない 手づくりは高い と思われてる 和食の舞台として陶器は必要 茶道400年の歴史 茶事の料理としての懐石料理 その伝統と教育と伝達 割烹居酒屋 和食の飲食業務用に 陶器に見える磁器 必要 手づくりの陶器は モロイか? 汚れやすいか? 高いか? 限界はある しかし ぼく自身で その限界を 見極めたいと思う 輸出の道を閉ざされた 機械量産の技術と生産力は 飲食業務用だけでなく 家庭食器の市場にも向かっただろう よくデザインされた和モダンの食器 そんなものに結実し 雑貨販売のルート たとえば「私の部屋」や「通販生活」や 既存の流通 新規の流通 さまざまな媒体での発信を通して 出窓のある レースのカーテンのゆれる リビングキッチン の テーブルの上に 浸透したと思われる・・・・ ここ8回連続で 東京ドームのテーブルウェアフェスに出展 そこで 長崎県波佐見の 白山陶器 のデザイナーBさんといろいろに話す 昔ながらの土を 学生が焼いてるような温度で 焼いてる時代じゃないですよ Bさんの弁 昔ながらの土を(粗くサクいモロイ土を) 昔ながらのコンセプトで(半分は美術品のつもりで) 昔ながらの温度で(薪窯のころの温度で)焼いていては 十全な顧客満足 をあたえられない それではきっと 生き残れない とゆー意味やと思う 佐賀県有田から 山ひとつこえた 長崎県波佐見 すぐとなり 伊万里から出荷されてた江戸時代から 実用の廉価品に特化した産地 くらわんか茶碗 は波佐見の産物 波佐見の磁器焼成温度 1350 デザイナーとして 白山をひっぱった 森正洋:もりまさひろ はゆー ベーシックな生活道具 やきものなんてものは 宣伝にカネかけられない 大きいキャンペーンなんてやれない モノそのものの使用感 それが使うヒトの口コミでひろがる だから10年 社会のすみずみまで 浸透するのに10年 ときには20年かかる 戦後 モノのない時代 人口7000万人の日本 家庭の食器のデザインの向上 そのための機械生産 そこからはじめて 数々のデザイン賞受賞 現在の従業員数95人 その白山の生産力 伝達力をもってしても 10年かかる ひるがえって 高度経済成長を経て 人口1億2千万人 すべてのモノがあふれかえった状況 食器棚には食器いっぱい しかし豊かになった国 次に手に入れたいのは 文化 である 手づくりの食器 それにロマンを感じるヒトが増える その需要に ぼくらの独立した時代が重なる おそらく1970年代後半から ぼくらみたいな 個人の作り手 が独立しはじめ 作り始め 器主体でやり ギャラリーや小売店や 陶器祭やフェアや 路上に出たはず ぼくは87年から五条坂陶器祭りに参加 どんどん作り手が増えた 豊かな国は サラリーマンになりたくない子ら を生み出すからである 手づくりの陶磁器の作り手の 生産量はごくちいさい われわれが個々人として作る量は 非常にちいさい が 総体としてはどんどん増えた 総体としての手作りの陶磁器 は その総体としての生産量で 一定の社会伝達 をしたのかもしれない ぼくたちは どんなやきものを 供給したか 半分 美術で 半分 実用 ザブトンとしての美術 に乗っかって 表現のようなもの を 30年に渡って 作り売りしたのではないだろうか それに対して使い手たちは 使ってみて わたしたちが 求めていたのはコレではなかったのかも と おぼろげに判断を下したのかもしれない だからこそ 00年まで順調に伸び 安定して90~100あった 清水焼団地の売り上げも 五条坂の売り上げも そのほかも 50~60に落ち込んで 横ばいになったのではないのかな? もちろん 作り手増加による分散も影響してる けれど 見るべきはそこではなく 構造的本質的問題と それへの対処 美術ならば表現ならば みんなちがってみんなイイ 使い手 買うとき 何にお金を払ってるかの自覚 がぼんやりしてる 美術を買ったような 道具を買ったような 使ってはじめて自覚する そこに 齟齬:そご=チグハグ があると 使ってから落胆する=十全な満足を得られない 作り手も使い手も変わらなきゃ 作り手 美術を作ってるなら 美術として売る 作り手 道具を作ってるなら 道具として売る 使い手 美術を買うなら 美術として買う 使い手 道具を買うなら 道具として買う 美術は表現 そっちが主体 実用については文句を言わない 道具は実用 買った道具に不満があるなら 使い手にクレーム:苦情を言うべき それがモノを良くしていく それが状況を良くしていく なので・・・・ 名古屋で4店の お好み焼き・もんじゃ焼きの店を展開する RIKYU うちの品に ワレカケがでる なんとかならないか とのクレーム 納入先Rへの真剣 これをきっちりとやり 限界を見極めること・・・ ふーむ・・・・ ・・・・・・・ じつにおもしろい♪ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 今日を入れて 6日仕事して 13日搬入 来週14日が初日 モンダイの ナゴヤドームやきものワールド ここが正念場 ケツに火がついてる♪ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー なにがしか みなさまのお心に とどきしたでしょうか? もし そー思てくれはったら・・・ またクリック↓おねがいいたします♪ ↓ ↓ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年11月07日 12時43分28秒
コメント(0) | コメントを書く |
|