|
全て
| カテゴリ未分類
| 龍馬伝カンレン
| 家メシと器
| やきもの屋のくらし
| 過去の文 修正再録♪
| 山に登る
| 陶芸関連
| 染と織
| 季節の花/木/風/光
| 京都・滋賀インサイド
| 旅 外メシ
カテゴリ:陶芸関連
連帯をもとめて孤立を恐れず ギロンよ巻き起これ
いまのところ ほぼ一致してる 機械にできないことをこそ 手の仕事でやる 陶芸として表現=自己表現の方向にそれを求める それも道♪ 道具としてモノ=家庭食器の方向にそれを求める ウチの道♪ 生産量 均一性 廉価性で 機械量産には完敗 異論なし 強度について異論あり 強化磁器0・28J以上はムリでも 通常の機械量産の磁器より強度の高い手づくりの陶器は できる 素材強度ならば 陶器は磁器のは半分しかないが 製品強度 となるとそうでもない 磁器より丈夫な陶器 ありうる カタチ焼き素材選択 工夫でありうる 信楽窯業試験場の技官 衝撃試験の結果 うちのめし碗と同業他社の品との割り比べしてみて それを知り 驚いたはりましたよ 試験場の技官でも 実際にやって調べたことがない これが現状 あまたいる陶芸家もやきもん屋も 押さえが甘い 美術としての陶芸 にひっぱられてきたからや 前時代の「当たり前」を受け継ぎ そのままやから ふだん使いの家庭食器を作り売るのなら 美術としての陶芸 をザブトンにいていてはマズイ これが ぼくの主張 勝てるところ ほかにもいっぱいある 手取りバランスやわらかさ 手に納めた感じ 口あたり 使い手の 手の批評力を高めることがカギ 手は高度なセンサー 使い手に その手のセンサー能力をもっと働かせてもらえるよう 研ぎ澄まされた言葉を添える必要がある 言葉の重要性ってこと 一楽二萩三唐津 この言葉が唐津焼を守った これが証明 言葉はとてもとても重要 ○ネットブログ時代のモンダイ だれでも発信でき だれでも読める しかし ちゃんと読むヒトは少ない また 突然 画像が出る 陶芸を知らない人 も いきなり作品と出会う きっとびっくりする・・・・これどーなんかなぁ・・・ びっくりして カンドーしました と書き込むかもしれん 礼賛者があつまってくれること キブン的にはいいやろけど・・・ ま ブログ時代のおもしろさ そことは思うけど・・・ 言葉はタダなので あわせる事が上手なヒトの言葉 キケンである ネットではないが ぼくがノイローゼになってたころ 迷ってたころ 善意の第三者=素人さんが来て ぼくの品を 見当違いに褒めてくれはる 迷ってると その言葉にすがってしまい勝ち だから 迷いを深める だから キケン ってゆーか ほんとは固まってるんでしょ 自分の足場 だれの言葉もいらないし だれの言葉にもブレない足場 すでに足場はあるはず いいじゃないですか それぞれで それぞれの道 みんなちがってみんないい ですから が 誤読よるあやまった情報 あやまった言葉 が混ざってるとねぇ・・・ それが プロの陶芸家の言葉 として認識されて広まるとねぇ・・・ ぼくも プロのやきもん屋 としてリプライしたくなるんでねぇ・・・ ブログランキングで 1位とか3位とかですからねぇ・・・ うん でも ひっかかってると・・・ 前に進めないんで これからは スルーにします・・・・ ーーーーーーーーーーー 窯ぐれ修行 84年4月 韓国・越前・美濃 ここらは短期1ヶ月 お金なくなったんで 北海道で2ヶ月農作業 秋にまた 越前へ 84年の11月から85年の9月まで 益子 J先生の弟子として どこの馬の骨ともしれん27歳を 男気で置いてくださった ぼくより14最年長 加守田章二 直系 造形派 陶芸家の気概 ってもんを学んだ 表現することととは オリジナリティとはなにか 陶芸家 作品を売るそのアキナイのあり方 覚悟と気概と男気 ほんとにそれをやるヒトを見て ぼくにはできんなぁ と ![]() 益子の造形派の先達たち 1965年ころから 益子に参集した カリスマ 加守田章二のところに駆けつけた 加守田教の教徒たち 時代の熱気 まだ手つかずの表現の荒野 だれもが道を切り開けた 海の向こうからアメリカ現代陶芸の波 旗手はピーターヴォーカス それはアメリカ現代絵画の抽象表現主義を 立体化する試みやった だれもが道を切り開ける時代 アレンジではなくオリジナルができる時代 それが時代の熱気によって評価され売れる時代 うらやましい と思う 後から行く者は オリジナルな自己表現の道 見つけがたい 先に行った者の 仕事から学ばざるを得ない アレンジに堕すオソレ オリジナリティ で悩む 亜流といわれたくない で悩む ![]() J先生は その後 パートドヴェール=耐火石膏にガラス粉をいれてガス窯で焼く この方向でガラスに取り組まれて 上の大きさのガラス皿に至られた とことん 突っ走っていくのが 覚悟ある表現者 他のだれのためでもない 売れようが売れまいが 作りたい 作る ほんとにスゴイヒト を見てしまうと 生半可な覚悟しかない自分 がわかる カニは自分の甲羅にあわせて穴を掘る しかないのである 益子でのくらしが10ケ月 下宿は古木さんトコ 古木さんのトコは 民芸調の食器をガス窯で 共販センターに卸す それと関東の大学の陶芸サークルが自炊合宿所して陶芸をやる場所 春や夏 おおぜいの大学の陶芸サークルが5~7日も 合宿してた 彼らのコンパに混ぜてもろて暴飲暴食してたら 痔になってしもた♪ 85年ころは きったない工房やったんやけど 00年の益子陶器祭りにいったら パティオ=中庭 なんか作って こぎれいになってて 陶芸教室運営におおきくハンドルを切った そうで 東京の目黒にも教室 売り上げの6割が陶芸教室になった とのことでした 時代の要請 時代の波 で20~40年の単位で変化していく 産地の状況 東京にいちばん近い産地 その地の利 滅ぶしかないはずだった 栃木の民窯の町 濱田庄司が来て 民芸の益子 になり そこに加守田章二が来て 造形派の益子 になり 自然発生的に やきもので町おこしができた 稀有な産地 まず隣町 茨城の笠間焼 が興ったんである 江戸時代後期に信楽焼 釉薬のかかった通い徳利など その生産技術を 移入導入して 農家の農閑期の 現金収入のための産業としての 笠間焼 が興り 栃木の益子はそれを後追いした=盗んだんである なので笠間VS益子の 恩讐はとても深いんである・・・ でねー 時代の波 時代の要請 で産地も個人も変化する でもねー ウチの場合 押さえておかんなん基本原理は ぼくには作った品を売るしか 米を買う方法がない 売れる品を作る これが絶対善 お人も雇わせてもろてましたしねぇ 町場でやってたら陶芸教室運営をやったでしょうが ここは山の中なんでねー それに対人サービスは ぼくには向いてない 人間が好きで人間がキライやから・・・ メンンドクサイことがキライなんですよねー 表現に値する自己内面がなんにもない と思う それをやきもんの技術に落とし込んで 不特定多数に作品として見せる その遊びをやる余裕がない 芸術=表現 って たのしい遊び でしょ? でもそれを 商品として売るのは 至難の業 大衆はビッグネームにしか行かない から 極少数しか立てない市場 ってことなんで 表現も芸術もオリジナリティも貴族の悩み 労働者階級は手を動かして働き 売れるモノを作り 米を買って 口を糊するしかない そのために 納入先Rからのクレーム:苦情に 真剣に向き合い見極める ![]() 限界はある しかし まだ工夫もあるだろう そのぎりぎりまでの工夫を 自身で やった上で 作り手 使い手 どのへんでコンセンサス=共通理解がもてるのか やってみる んである 飲食業務用 陶芸趣味のない商売人の道具 しかし ほかの同業他社との差別化のために 手づくり陶器を使いたい 手づくりの陶器の強度について いま試されてる チャレンジを受けてる 2月 5月 7月 もう一回あったかなぁ すでに100万を越えて納入してる いまも追加発注うけてる さらに来年2月リニューアルする店のための数字も来てる 多い このクレームは 改善ができないか との要請=信頼の別のカタチ これでお金をいただいてる これでオマンマを食べてる 信頼には誠心誠意で真剣に向き合わなきゃ♪ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 今日を入れて 5日仕事して きのう素焼き ゼンブ入ってラッキー♪ 今日から 絵付け 最初の窯は明日やろなぁ モンダイの ナゴヤドームやきものワールド ここが正念場 ケツに火がついてる♪ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー なにがしか みなさまのお心に とどきましたでしょうか? もし そー思てくれはったら・・・ またクリック↓おねがいいたします♪ ↓ ↓ ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年11月08日 08時07分36秒
コメント(0) | コメントを書く |
|