|
全て
| カテゴリ未分類
| 龍馬伝カンレン
| 家メシと器
| やきもの屋のくらし
| 過去の文 修正再録♪
| 山に登る
| 陶芸関連
| 染と織
| 季節の花/木/風/光
| 京都・滋賀インサイド
| 旅 外メシ
カテゴリ:やきもの屋のくらし
はい きのうまで3日間
地元 永源寺中学校2年生 職場体験学習 去年は 女子2名 男子2名 5日間やれたが 今年は 日取りのカンケーで ナゴヤドームとかぶる ウチとしては 3日しか受け入れられない しかし中学校がわから それでもとのお申し出があり 3日間の受け入れ 男子5名 野球部3名 テニス部2名 朝8じはん みんな自転車で来る 3日とはいえ 中2 彼らにできる いろんな仕事をひねり出して さまざまに やきもんの仕事 を体験してもろた 豆皿作り 化粧掛け 釉薬掛け 発送梱包・・・ やきもんの仕事 そこには 今日はじめて来た 中学生にもできる仕事がちゃんとあり 5人の中学生の手 すこぶる役に立ち 仕事のハカが行き 助かった♪ 今月のプレゼント賞品 雪ダルマと雪とモミの木 のパン皿 中学生でもできる仕事 やってもろてハカが行き かつてを思い オレの体験した ここ30年ほどを思い・・・ やきもんの仕事 集団と分業でやるんが本来のカタチ 個人でやるのは 電気窯広まってからの あとからのやり方 個人でやるのは ある意味 いびつで無理なやり方 やと思う ロクロは 量産のための機械である たくさん作って すこしでも安く出し 価格競争力で よそさんに負けないための機械 日本の手づくりの工芸 は 安い農村の労働力と 徒弟制を拠りどころとして 発展し伝承されてきた 手先の器用さ 勤勉さ 意匠デザイン開発への まじめさ真摯さ 工房間工場間の競争原理・・・ 陶磁器 漆器 染織・・・ 江戸前期の伊万里 東インド会社の重要輸出品 チャイナが陶磁器を意味するなら ジャパンは漆器の意 その先 明治期以降の手づくりは 急速に工業化された 官営工場が先導した 生糸とその織り 富国強兵 龍馬たちが切り拓いた そのつぎの国づくりの地平 荒地の開墾であったはずである 日本の工芸 かつては輸出され 文化の高さ 感性の繊細さをアピールし たくさんの外貨を獲得した資源だった そんな時代がたしかにあった 大正昭和 戦前戦後 瀬戸や美濃や有田の洋食器 さかんに輸出され 最高365億までいったが いまは1億である 円高のせい もともとのやり方 手づくりの工芸ならば 労働集約型の仕事=手間がかかる手による仕事なんで 職能の細分化=訓練された手による分業と集団による労働によって 生産性を上げるしかない仕事であった 中2=14歳の少年少女にもできることはあり 伝統の産地の分業 かれらの労働力も たしかにその中に 組み込まれたはず 沖縄 壷屋 10歳から仕事してきた キミ子おばぁ おばぁの仕事机は 積み上げたマンガ本 オレはこんなんに グッとくるんですわー 本質的 実質的 質実剛健 カッコ気にせん てらいなく はからいなく しつらえなく ステキをはべらせず 淡々と手の労働だけがある うそいつわりのない仕事だけがある かつて 今はムカシ 陶業地の家に生まれ・・・いやおうなく それをやり 生活の資のためと 切実に あくことなく くりかえし 5年10年 もっとの時間 そこで生き 荒れて節くれだった 太い指の女の陶工になり ながい労働 ほつれ髪 土のついた手でかき上げ 汚れた手ぬぐいで 汗を拭き 背で泣く子をあやし 知らん間に 熟練の陶工になり 手が仕事をしている こーやるしかない 手がそれをする 迷いも無駄なく 美意識などなく はからいも計算もなく そんな手のする仕事に 健全な美 が下りてきて あじきなき反復に 美がやどる by 柳宗悦 民芸の理論 ちょっともう 理想主義的すぎるか・・・・ 日日 秋の深まり 風 来たり 落葉しきり 木の葉 舞い上がり 時雨 降り 気温 下がり きのうは1日=8じはん~4じ 干支人形作り やりたいなら アイデアあるなら 自由に と 彼らを 野に放ったら・・・・ 野放図に自由なエト人形 が150個できてしもた すこぶる面白く ふーむ どー焼いてやろーか・・・・ はい 7じになったら出発 ナゴヤドームへ ええ ステキな陶芸家の品 見るのが楽しみですわ ええ ステージの催しも 期待してますわ♪ ほな 豆奴はん あんじょうに♪ 中二の男子5人・・・・ それはそれは・・・ 守り タイヘンどしたやろぅ・・・ ーーーーーーーーーーーーーー ブログ読者のみなさまの お力添えを頼りに 書きついでまいりますよって どーぞ今日も1クリック おたのもうしますー♪ ↓ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年11月11日 04時34分40秒
コメント(0) | コメントを書く |
|