承天寺別院山門と有智山城跡(2009年5月の画像)太宰府市内山
最近、今村翔吾さんの歴史小説「海を破る者」を読みました。鎌倉時代の元寇の際の武将、武者が主人公なのですが、太宰府の長官を勤めた「小弐資能」の名前に見覚えがありました。はてこの方のゆかりの場所に行ったことがあるぞと思い出しました。自分のブログを検索してもなかなか見つからず、日記はどうやら消してしまったようです。かろうじて登録した画像を2枚見つけることができ、訪れたのは16年前の2009年5月だったことが分かりました。私自身の記録のため再度日記に書いておきます。その時に行ったのは宝満山の中腹。宝満山は中学、高校の遠足で何度も登った山ですが、古い城跡があるとは知りませんでした。山登りは不得意なので、家族に一緒に行ってもらいました。現在は「鬼滅の刃」の聖地として知られる「竈門(かまど)神社」を通り抜け、宝満山山頂への登山道途中から道が分かれるらしく。当日神社近くのお店の方に道を教えていただき、たどり着くことができました。⇑ 上の写真は、「承天寺別院山門」と後で調べて分かった史跡。周囲に付随した建物などは無くて、木立の中にこの山門だけが建っています。木立に囲まれた場所で突然現れた建築物にはかなり感動いたしました。ネットで調べても、この別院に関してはあまりよく分かりませんでした。承天寺の本院は現在も福岡市の博多駅にほど近い場所にあります。1242年 小弐資能と父親の武藤資頼が土地を寄進して博多に勧請した寺だということで、写真の山門も小弐氏にゆかりの寺の一部だったのでしょう。⇓ 下の写真は、小弐氏の居館で「有智山城」と呼ばれていた場所。低い石組と土塁が残っていました。往時は博多湾まで一望できる地の利の良い山城だったでしょう。「小弐資能」は元寇に際して老齢にも関わらず、息子と共に果敢に戦った武将。そのあたりは今村翔吾さんの「海を破る者」を読んで知りました。