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カテゴリ:藤沢歴史散歩
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この日の藤沢散策は大庭城址と周辺の散策に出かける。 この日は自転車でリュックを背負って向かう。 日本大学生物資源科学部の学内道路を進む。 天神町の坂を下り、引地川に出て橋の手前で左折し、川沿いを進む。 途中、大きなそして立派なカメラを覗きながら、川に向かっている多くのシニアを発見。 雑草の陰にある流木に背中の青い美しい鳥を私も発見。 近くの方に聞いてみると『カワセミ』、そして今は小魚を雛鳥に与える育児の 期間であるとのこと。 私も必死にシャッターを押したが殆どがピントは合わず。 何とか小枝に留まっている所を一枚。
その先の川岸には亀が日向ぼっこ中。 そして引地川を離れ引地川水路橋を潜る。 横浜市水道の馬入川系統の導水管路。 ここは引地川が流れている低地を高低差を少なく飛び越す為の水道管用の橋。 そしてしばらく行くと、左斜面に大庭 聖ヶ谷(ひじりがやと)の道祖神を発見。 右は双体神祇道祖神、左は兜巾型文字道祖神。 そしてその先の二股に道路が分かれる場所に日月一猿庚申塔 そして横に案内板が。 文政11年(1828年)建立。 道標を兼ねており、塔の側面に「右ひき志」「左ふじ沢」と刻まれていた。 更に自転車を走らせ成就院へ。 高野山真言宗の寺院、山号は稲荷山。 創建は文和年間(1352年 - 1356年)頃。 『新編相模国風土記稿』によると開基は山名伊豆守で山名時氏か山名師義ではないかと。 古くは宝染寺という寺号で大庭神社の別当であったと。 天保年間(1830年 - 1844年)に火災にあったとのこと。 本堂前右には弘法大師の石像が置かれ、相模国準四国八十八箇所三十四番札所となっている。
庭におられた住職?本堂内も見学して下さいと。 本堂内には天井梁から多くの仏画が。 墨の仏画も。 本殿。 本尊は愛染明王とされています。 石碑によると 『鎌倉市の深沢小学校裏山の墓地にあった樹齢500年ともいわれた椿の古木の根。 平成7年11月、元禄の頃より続いていた旧家の墓地造成のため椿の古木の根を掘り出し、 皮をむくと鶴と亀が表面に現れ、裏面には鯛、貝、男性・女性のシンボルが現れた。 出産等の縁起の良い古木として大日如来が彫刻され、成就院に家内安全の仏として奉納された』 と。 庭の池には立派な不動明王が置かれていた。 御朱印をいただきました。 成就院から引地川親水公園へ向かう途中の東側の森に神社の鳥居が。 『郷社(ごうしゃ)大庭神社』と刻まれた石碑が入口に。 草に隠れて「庭神社」は隠れていたが。 調べてみると、郷社とは、「社格(神社の格付)」のひとつ。 鳥居を潜り新緑の中の75段程の踊り場なしの急な階段を上る。 更に30段以上の階段を上り左に折れると、前方に大庭神社が見えて来た。 真ん中、そして右には石鳥居の柱?が残されていた。 左手には鐘楼。 大庭神社御本殿。 大庭城を拠点としていたという大庭景親が祀られている神社で、景親は、1777年(安永6年)に 祀られた。1783年(天明3年)には、菅原道真も祀られたことから「天神社」とも呼ばれている。 大庭城址の南を流れる引地川沿いの高台にある古社で、「延喜式内相模国十三座」に 数えられていた神社。入母屋造りの屋根に千鳥破風。 引地川に架かる天神橋を渡る。 左側の欄干の上にのみ何か突起物が。 欄干に金属製の蛙が等間隔に。 相撲の立会いから取り組みまで、そして行司を含め全部で10匹が向かい合うように。 その表情は鳥獣戯画から抜け出して来たようで、写実的であり何となく可愛げが。 しかし鳥獣戯画は蛙と兎だったのでは。 43号線に出て左折し、暫く進むと三叉路の交差点に到着。 歩道を渡ると右手に『舟地蔵』が姿を現す。 石の小舟に座る幼児ほどの石地蔵は、赤い帽子を被りピンクのよだれかけをしていた。 台座が舟の形をしていることから「舟地蔵」と呼ばれている。 案内板によると 『北条早雲が大庭城を攻めたとき、沼地で攻め入ることができず、近くに住む老婆に 引地川の堤を切れば、沼地が干上がることを聞き出した。 北条軍はそのとおりにして大庭城を攻め落とした。 しかし、老婆は、秘密が漏れるのを防ぐため、城を攻めるのに先立って斬り殺されてしまったと。 一説には、その老婆を供養するために建てられたのがこの「舟地蔵」なのだと伝えられていると。 小糸川の橋を渡り舟地蔵公園の駐輪場に自転車を停め、徒歩にて再び43号線に沿って 歩き宗賢院に向かう。 10分弱で宗賢院に到着。 山門の左手横には、白塀に囲まれた黒門と参道が残されていた。 宗賢院は、約500年以上前に創建された曹洞宗の古刹で、境内には神木の銀杏や 高木が鬱蒼とした荘厳な雰囲気の寺院。山門も歴史を感じる重厚さが。 山門右手の石灯篭が見事。 山門を入った場所の仏像。 境内の梅の老木の下を本殿に向かう。 輪光背を持つ観音菩薩立像、左手に蓮のつぼみを。 本殿前には、巨大な宝篋印塔が立ち、その前には阿弥陀像の坐像と立像が並んでいた。 宝篋印塔の横の階段上には龍骨堂があり、中には「龍骨」が安置されていると。 昔は雨乞いの神として周辺の農家が「龍骨」を借りに来て、にこれを小川に持ち出し 水を注ぐと、雨が降るという伝説があるのだと。 境内右手奥にある本堂。 宗賢院は、1505年(永正2年)の創建と伝えられる曹洞宗の寺院。 山号は蟠龍山。開山は虚堂玄白、開基は宝珠院殿華窓智栄大姉。 1649年(慶安2年)、徳川三代将軍家光から十石の朱印地を賜り、二世から四世までの間に 末寺17ヶ寺が創建されたと。 寺宝に大庭景親の陣釜とされる茶釜や、面山老師自筆の『相州養命寺記』一巻、 「相州大庭荘」の扁額が伝えられているのだと。 宗賢院後方の台地は大庭景親の居館跡ではないかといわれていると。 本堂正面。ご本尊は釈迦如来。 本堂右手前に象に乗って経文を読む賢者らしき像が厳めしい顔で。 小さな堂の中の六地蔵。 阿弥陀像を中心に多くの墓石がピラミッド状に。 その横の階段を上った境内の高台には、歴代上人の霊廟所が。
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Last updated
2022.07.06 06:47:16
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