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カテゴリ:茅ヶ崎市歴史散歩
【茅ヶ崎市の神社仏閣を巡る】目次
茅ヶ崎市「中央公園」碑。 「中央公園」は、第一カッター興業株式会社とネーミングライツ契約を締結し、 令和3年4月1日から愛称が「第一カッターきいろ公園」となったと。 かながわの公園50選に選ばれた茅ヶ崎市民憩いのスポット。 40000.63平方メートルの広大な敷地。 奥には「夕焼小焼の赤とんぼ~♪」のフレーズでおなじみの童謡「赤とんぼ」のモニュメントが。 正面から。 「赤とんぼ」👈リンク の楽譜 三木露風作詞・山田耕筰作曲 夕焼小焼の、赤とんぼ 負われて見たのは、いつの日か 山の畑の、桑の実を 小籠(こかご)に摘んだは、まぼろしか 十五で姐(ねえ)やは、嫁に行き お里のたよりも、絶えはてた 夕焼小焼の、赤とんぼ とまっているよ、竿(さお)の先 公園の入口近くの池。 小さな川になって遊歩道沿いを流れていた。 広場の一番奥には人工滝と大きなステージがあった。 イベントのときにはこのステージが大活躍するのだと。 近くまで歩いて。 そして「茅ヶ崎中央通り」を挟んで反対側にあった「市民文化会館」を見る。 「茅ヶ崎中央通り」沿いの「中央公園」の「宇宙ツツジ」。 「宇宙飛行士は宇宙飛行をする際に、いくつかの品を飛行の記念品として宇宙船に持ち込なことが 許されています 平成6年( 1 9 9 4年)7月9日に日本初の女性宇宙飛行士、向井千秋さんはアメリカのケネディ 宇宙基地から打ち上げられたスペースシャトルコロンビア号に搭乗しました。その際に、出身地で ある群馬県館林市の市の花てあるツツジの種を公式飛行記念品として持って行きました。 地球に帰還後、その種は宇宙ツツジとして館林市で大切に育成されてきました。その宇宙ツツジの 一部が、茅ヶ崎市制施行70周年記念事業第9回宇宙飛行士ゆかりのまちサミット開催を記念し、 館林市より寄贈されました。ツツジの成長とともに子どもたちの夢、希望を育みます」 この2本のツツジの子苗がそれか?枯れてしまったのか?何代目の苗なのであろうか。 「茅ヶ崎市インフォメーション」板。 そして「市民文化会館」。 1980年10月1日に開館。平成30年10月に耐震補強・改修工事によりリニューアルオープン。 神奈川県茅ヶ崎市茅ヶ崎1丁目11−1。 「茅ヶ崎市役所分庁舎」が道路を隔てた南側に。 「市民文化会館」の入口。 大ホール:座席数1381席 小ホール:座席数 384席 「市民文化会館」の北側にあったのが「イオン 茅ヶ崎中央店」。 「茅ヶ崎市民文化会館」と「イオン 茅ヶ崎中央店」の間の道路を西に向かって進む。 左手にあったのが「J-POWER(電源開発株式会社)茅ヶ崎研究所」。 前方に橋が現れた。 「飯島橋」。 下を流れる川は「千ノ川」。 下流側を見る。 上流側を見る。 「せんのかわ(千ノ川)」。 そして到着したのが「本社丘(ほんじゃがおか)」。 茅ヶ崎保健所の道路をまたいで斜め前の住宅街の中にあった。 地元の人は「蛇塚、ぽんぽこ山」と言っているとのこと。 16本のサクラの大木に覆われた小高い丘。 「本社丘(ほんじゃがおか) 本社丘は矢畑の鎮守 本社宮 発祥の地である。天保年間に行われたと伝えられる本社宮遷座の 後も、旧跡として崇敬され大切に保存されている。本社宮はその後、関東大震災による遷座を 経て、この地の北方約450m(矢畑142番地)に鎮座している。 矢畑の伝承によれば、平安時代中期 平忠常の乱を平定に向う途次、源頼義がこの地に源氏の 氏神である石清水八幡宮を勧請して戦勝を祈願した。 陸奥守となり前九年の役に向かう頼義は、長子義家と再度戦勝を祈願、平定後、当八幡宮を 鎌倉由比郷に勧請し、鶴岡八幡宮を創建した。後に、頼朝が現在の雪ノ下に遷座。 後三年の役平定後、義家は浜之郷に神域を設けて遷座、鶴嶺八幡宮を創建したと伝える。本社 丘に残った社は矢畑の鎮守となり、「本社宮」として今に伝わる。 なお、別に江戸時代後期の地誌『新編相模国風土記稿』の浜之郷村鶴嶺八幡宮の項に「社伝に 長承二年筑紫宇佐鶏足寺の僧が八幡本地種字の正体を奉じ来て祀る」との創建に関する記載も ある。」 5月4日(水・祝)に「皐月祭」が「鶴嶺八幡宮」で行われたようであった。 「さわやかな緑風を感じながら「巫女舞親子教室」でお稽古に励んできた子供たちが御神前にて 「豊栄舞」を奉納いたします。自由にご観覧できます」と。 正面に小さな「石祠」があった。 ここは、天保年間、本社丘の発祥の地になって源頼義ほかが矢畑を治めた。 このあたりは、頼朝系の人が様々なエピソードを残している。その例の一つは、源頼朝の重臣・ 稲毛三郎重成(妻が北条政子の妹)が亡き妻の供養のため相模川に橋を架けたが、頼朝が、その 落成式の帰りに落馬して亡くなってしまった馬入川という名前が残っているのだ。 近づいて。 神奈川県茅ヶ崎市矢畑603−5。 さらに近づいて。 「本社宮」碑。 茅ヶ崎市矢畑地区の住宅街を北に向かって進む。 左手に「茅ヶ崎市消防団第21分団」の建物。 神奈川県茅ヶ崎市矢畑580-9。 次の目的地の「長善寺」に向かって進む。 左折し「鶴嶺通り」を西に進みこの先の路地を右折。 そして「長善寺」に到着。 神奈川県茅ヶ崎市矢畑150。 「掲示板」。 門柱には「隣海山長善寺」と。 参道の先正面に「本堂」。 参道右手に「地蔵尊」。 「大師堂」。 「南無大師遍照金剛・弘法大師像」。 「戦歿各英霊追悼地蔵尊」。 ズームして。 後ろの塔婆には「大東亜戦争」の文字が。 その手前にあった2基の石仏。 「馬頭観世音」碑。 小さな「五輪塔」が3基。 そして「本堂」が正面に。 「高野山 真言宗 臨海山 長善寺」。 開基:清誉 創建:慶安元(1684)年 、万治2年(1659年)智道が中興。 本尊:大日如来(金剛界) 札所:相模国準四国八十八ヶ所第61番 御詠歌:「梓弓はるの耕しいそぐらん矢はたのみのりまとにかけつヽ」 白の藤の花が迎えてくれた。 境内の石灯籠。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.06.12 12:55:44
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