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カテゴリ:JINさんの農園
「諏訪神社」を後にして、県道207号線に戻り、100mほど北に進み再び海岸に。
この時は、干潮の時間で、前方の岩場が大きく広がり、岩場で遊ぶ子供達の姿も。 ![]() 岩場の奥には「葉山灯台」が再び。 ![]() 「諏訪防波堤」は、しっかりした立入禁止措置がなされていた。 「葉山マリーナ」の敷地境界線となっているようであった。 ![]() 「葉山マリーナ」のヨットハーバーを見る。 遠く江ノ島の姿が確認できた。 ![]() そして、来た路地を戻り再び県道207号線に出て、「葉山マリーナ」の正面に向かう。 ![]() 入口にあった「鈴木三郎助像」。 ![]() 近づいて。 ![]() 「三代 鈴木三郎助 《葉山マリーナ創業者》 1890(明治23)年~1973(昭和48)年 味の素株式会社三代目社長であり、京浜急行電鉄株式会社社長も努めた鈴木家の第三代当主・ 鈴木三郎助は、葉山マリーナの創業者であります。 彼の父、二代鈴木三郎助は、葉山の海岸に打ち上げられるカジメから薬品の原料となるヨードを 採取する事業を始め、1893 (明治26 )年には鈴木製薬所として現在の葉山マリーナが建つ場所に 工場を建設しました。 鈴木製薬所は次第に事業を拡大、やがて「味の素」という新事業も興し、葉山から離れて いきますが、当地は鈴木家とうまみ調味料「味の素」の出発地として大切に保持されて おりました。 そして初の東京オリンピック開催に当たり、本邦初となるヨットハーパーのあるリゾートホテル 建設を、当時の五輪担当大臣から提案された三代鈴木三郎助は、1964 (昭和39 )年、この地に 葉山マリーナを建設しました。 銅像は以前ホテル正面玄関に建立され、施設建て替えの際に一時保管された後、2011 (平成23 )年に再設置されました。建立記念の「題字」は、京浜急行電鉄株式会社会長(当時) 小谷昌氏の揮毫によるものです。」 ![]() 「鈴木三郎助翁像 小谷 昌」と。 ![]() 「HAYAMA MARINA」。 レストラン、ショップが併設されたマリーナ。葉山は日本ヨット発祥の地。 潮の香りと、マストに当たるロープの軽快な音を聞きながら、湘南の海にきたことを実感。 マリーナ内にはレストランやカフェ、ショップが入っており、ゆっくり時間を過ごすこともでき、 多くのお土産も販売されていた。 ![]() ズームして。 ![]() 中央に「葉山マリーナ」の「ロゴマーク」が。(ネットより)。 ![]() 多くのヨットが所狭しと係留中。 ![]() 江ノ島をズームして。 ![]() 「旗掲揚ポール」を見る。 ![]() 併設されていたレストラン、ショップをしばし散策。 ![]() ![]() 様々な色の「HMYCクラブTシャツ」が販売されていた。 ![]() 2Fへの階段。 ![]() 2階にはレストランが。 ●広東料理 青羅 コース料理から評判の麺類まで、自然の風味と素材の旨味を活かした広東料理。 ●葉山わさび お刺身をはじめ魚も充実。新鮮な魚介類と美味しい串揚げが楽しめる。 ●葉山AROMANCE(アロマンス) AROMANCE とはAROMA(香り)とROMANCE (物語)をマリアージュさせて生まれた 「葉山」発の香織(かおり)のブランド。南仏コートダジュールと葉山の自然豊かな 風景を 重ね合わせて調香した穏やかで優しい香りを楽しめる と。 ![]() 江ノ島・裕次郎灯台周遊クルージングも楽しめると。 1便:11:00~ 2便:13:30~ 3便:15:00~ ※11/16~3/15期間の平日は1便・2便のみ運航 大人3,000円 (税別) 小人1,500円 (税別) クルージングのコース案内。 ![]() 外に出て、「葉山マリーナ」の本館・マローナプラザを振り返る。 ![]() レストラン・ショップ・クルージング案内。 ![]() そして再び県道207号線に出る。 「葉山マリーナ」の駐車場前にあった民家を。 ![]() 歴史を感じさせる屋敷の広い住宅が並んでいた。 ![]() 「葉山日陰茶屋」手前の左側にあったのが「三浦二十四番 観世音大士」碑。 この細い坂道を上って行った。 ![]() この後に訪ねた「海宝寺」の墓地の前を進む。 ![]() 所狭しと並んだ多くの石仏が迎えてくれた。 ![]() 手水場。
![]() 扁額「海寶寺」。 「鐙摺(あぶずり)港 」 側からの民家に挟まれた路地奥にあった寺。 ![]() 内陣。 現在は同じく堀之内にある光徳寺の持ち寺になっているとのこと。 寺歴は定かではありませんが、江戸時代の地図にも『戒宝寺』と記されているとのことで、 相当に由緒ある古いお寺のようであった。 ![]() 境内には六地蔵のお姿も。 ![]() 近づいて。 ![]() 石祠に納められた石仏。 ![]() 六地蔵の両脇にあった「庚申塔」(右)。 ![]() 六地蔵の両脇にあった「庚申塔」(左)や五輪塔他が並ぶ。 ![]() そして「海宝寺」の隣・南側にあったのが、「鐙摺 須賀神社」。 ![]() 手水場。 ![]() 拝殿。 三浦郡葉山町堀内44。 ![]() 虹梁上の目貫には兎の彫刻が。 なぜ兎を?気になります。波との関連から、海難除け関連でしょうか。 ![]() 内陣。 ![]() 石鳥居。 海岸から一段上がった高台の上。すぐ北側には源頼朝ゆかりの鐙摺城址の高台もあった。 白い神明鳥居が、海に似合うのであった。 ![]() 扁額「須賀神社」と。 ![]() そして境内から「海宝寺」の「六地蔵」その奥に「旗立山(鐙摺城出城跡)」を見る。 ![]() 県道207号線沿いにあったのが「葉山日影茶屋石蔵」。 ![]() 種別 国登録有形文化財(建造物) ![]() 「日影茶屋本店客室棟」。 日影茶屋はかつて「日蔭茶屋」と書き、江戸時代から続く老舗茶屋で知られています。 明治初期には「茶漬茶屋」の記録がありますが、明治9年に「旅泊渡世鑑札願」が出され、 この頃から宿泊客も扱うようになったようです。 大正10年頃に現在ある房州石の石蔵を建造し、大正11年には暴風雨の影響で建物の一部を 移築して、このときに内蔵の持ち上げ工事や帳場、板場、奥棟、店舗の改築工事を行っています。 大正12年春には帳場ができて客室棟も2階建てとなり、このときに車廻しが付けられています。 昭和9年には大玄関と大玄関から左手の客室、風呂場、洗面所を取り壊し、客室の改築が行われた。 現在の客室棟天井に残された棟札により、上棟年月日は昭和9年3月13日であることが明らかと なっています。 昭和40年代には大改装工事が行われ、調理場と店舗等がグリルに改修され、大きく雰囲気を ![]() ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.07.01 16:09:03
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