312534 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

本だけ日記。

本だけ日記。

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2010.08.20
XML

楢山節考改版

■『楢山節考』(新潮文庫)所収の短編。
東京のプリンスたちとは、
何するともなにふらふらしている男子高校生たちで、
授業をさぼりまくり、アルバイトをしたり、
音楽を聴きふけったり、喫茶店に集い、ただ会話する。

■その高校生たちを、それぞれの視点から描く際に、
各セクションで主人公となる人物を
ファーストネームで呼び、
その他をセカンドネームで呼ぶ。

■ではこの短編で作家は何を描きたかったのか。

それを読み解く手がかりとして、
ひとつの問いを発してみよう。

正夫はテンコと二人で旅館(つまりラブホテル)に入る。
二人は別に恋人同士でもなんでもない。

村上春樹の小説ならば、さっさとやることやるだろうが(^_^;)、
深沢七郎の「東京のプリンスたち」では、
何もしないで、すぐに旅館を出てきてしまう。

なぜか?

■正夫がその気でなくなった大きなきっかけは、
エルヴィス・プレスリーの音楽が聞こえてきたからだ。

いや、この場面に限らず、この小説のいたるところで、
プレスリーの音楽が流れている。

そのプレスリーの音楽が常に「何か」と対置される。

■ここでは「性」がそれであるが、
つまるところ東京のプリンスたちの生活には
虚無感しかない。

何をしてもつまらないし、やる気も出ないし、
他人に興味がないか、他人がうざったい。

■興味があるのはただプレスリーの音楽だけだ。
しかしながら、その音楽が彼らに何をもらたしているのか。

実はこの小説には、喫茶店でプレスリーの音楽を聞く一方、
別の高校生が入ってきて、その音楽を勝手に別の音楽、
すなわちクラシックにかけかえる、という場面が
2度挿入される。

そういう喫茶店(名曲喫茶?)が昔あったのだろうが、
ここで描かれる高校生たちと音楽の関係は、
本人たちはそれぞれがかっこいいと思っているのに、
傍から見るとかっこ悪いところが注目される。

■つまり、音楽をかっこいいと思って聴いていることこそ、
実はかっこ悪いという皮肉。

彼らにとって「実」である「音楽」が、
実は「無」である、という皮肉がここにはある。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2010.08.20 10:32:03
コメント(0) | コメントを書く
[読書:日本文学&小説] カテゴリの最新記事


PR

プロフィール

friedmund

friedmund

カレンダー

カテゴリ

日記/記事の投稿

フリーページ

バックナンバー

2024.06

コメント新着

東圭吾@ 阿刀田さんの解説 今秋(2013秋)ドラマ化されるとの情報を…

© Rakuten Group, Inc.