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Dog Photography and Essay

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中国華南

2010.12.13
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カテゴリ:中国華南
 
「アモイ旅情41」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

87.jpg

万石山と万石山植物園はアモイのグランユに、
位置しており自然により出来た光景が見られる。

写真は獅山の主峰に位置し岩奇と石怪で、
旧8景に数えられる太平石笑を撮影した。

写真からは見え難いが、石笑と彫られた岩に、
斜めに二つの岩が寄りかかっている。

x1.jpg

一枚目の写真では状況が分かり辛いので、
新しく写真をアップしたが分かるだろうか?

二つの岩の下を潜り抜ける時に上を見ると、
二つの岩の間が開いており、その光景は、
石が口を開いて大笑いをしているように見える。

後から分かった事だが、中国のガイドブックにも、
詳しく掲載されておらず、私は表門から入らず、
裏門から入ってしまったようだった。

88.jpg

逆行しているとは思ってもいなかったが、
表門から入っていれば、また違う印象を、
受けたのかも知れない。

植物園の裏から山を登り細い道を歩きながらも、
シーズンオフとは言え観光客とは出会わなかった。

太平岩寺の裏門を見た時は感じなかったが、
後から思うと、裏門から細い道を通り植物園へ、
抜ける人は、それほど多くはないと感じた。

石笑の文字が刻まれている所で鄭成功が、
時間のあるとき読書をしていたとのことだった。

89.jpg







Last updated  2010.12.13 19:21:55
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2010.12.12
カテゴリ:中国華南
 
「アモイ旅情40」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

78.jpg

アモイ万石植物園の小高い丘を越えると、
道教の寺へ出て来てシャッターを切った。

どうやら私は正門から入らず裏門から、
入って来てしまったようだった。

ガイドも付けない一人旅ではよくある事。
明代末から清朝の初期にかけて造られた寺で、
中には天帝を祭っているが釈迦とは違う。

生命の死や再生を通して命によって豊穣を、
得られるという古代中国の祭祀の最高神が、
天帝と言うことだったが難しい。

道教の寺には、鄭成功も祀られている。
太平岩寺の正殿の両脇で天帝の天壇を祭っている。

79.jpg

清朝の嘉慶通宝の古銭でも知られる嘉慶年間に、
太平岩寺の修理が行われたが、45年後の1862年、
仏堂から出火し全焼してしまった。

太平岩寺の仏堂の再修復のため募金を募った。
だが貧困に喘いでいた当時では仮仏堂を建てるのが、
やっとの事で中華民国に入ってからも仮堂だった。

中華民国の1934年に、豪商や在家の信徒募金により、
仮正殿を建てたが、消失以前の華やかさはなかった。

抗日戦争も終結したが、中国内戦状態で貧困状態。
資金も集めることが困難になっていった。

共産党が勝利を収めたが、人民解放軍による駐屯地に、
万石山が選ばれ、駐屯拠点に太平岩寺が使われた。

80.jpg

1965年末、駐屯軍は防備を撤収して解放された。
アモイ市の仏教協会に交渉し協会から生活物資などの、
供給を受けるようになり落ち着きを見せ始めた。

だが、文化大革命が始まると、寺に居住する人たちは、
寺を追われ、太平岩寺は深刻な打撃を被ることになった。

仏堂の天帝も破壊されるのではと隠すため地域の人達と、
民家に安置して文化大革命を乗り切ったが中国各地の、
状況は皆同じで、小さな仏像は壁の中に埋め込み守った。

文化大革命も終結し正式に太平岩寺に対する使用権を回復。
25年後に資金を集め、太平岩寺は今の姿になった。

81.jpg







Last updated  2010.12.12 19:54:19
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2010.12.11
カテゴリ:中国華南
 
「アモイ旅情39」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

74.jpg

アモイ植物園の浅い人工池の周りには、
所々コンクリートのベンチが置かれており、
家族連れや若いカップルが腰かけていた。

その中を通り抜け、小高い山道に入った。
山道を上りながら、両脇や曲がり角に、
置かれた岩に刻まれた人の名前や文字から、
受ける意味を感じながら撮影した。

上の写真は「鄭延平郡王」と彫られている。
鄭延平とは鄭成功の別名であり、鄭成功の、
功績を賛えアモイグランユに立っている。

台湾を占領していたオランダ軍を駆逐した功績を、
賛えられ高さ20mもある像が立っている。

75.jpg

「長寿峡」や「寿」と彫られた岩の前では、
シャッターを切ってからも暫く眺めていた。

また岩に刻まれた年代が彫られていたが、
30年前とまだ最近のことのようでもある。

今や長寿国と言われる日本だが、中国にも、
125歳の人たちも多く、貧困のため病院に、
行くことも出来ず亡くなっていく人も多い。

中国もこれから医学の普及と貧富の格差が、
減るに従い、平均寿命も日本に追いつき、
いつの日か追い越される時が来るだろう。

だが閉鎖的な中国、言論の自由を束縛される中国、
ノーベル平和賞の事柄の事実を知っている人は、
一握りの中国人しかいないことにも憤りを感じる。

76.jpg







Last updated  2010.12.11 15:00:13
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2010.12.10
カテゴリ:中国華南
 
「アモイ旅情38」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

63.jpg

アモイ植物園は1960年造園されたが他の都市の、
植物園も1956年から1965年ほどである。

中国の北から南までの植物園開園は1959年前後で、
1949年10月中華民国から中華人民共和国になり、
中国内が落ち着き、国民の心に余裕が出てきた頃に、
花や観葉植物を観賞しようとの気運が高まったころ。

64.jpg

アモイ植物園は、万石山植物園とも呼んでおり、
人工の浅い池には低い橋がセメントで作られており、
その上を歩きながら池の中や対岸の岩に詩が彫られ、
その文字を写真に収めながら、のんびりと歩いた。

春から秋にかけての時期には、四季折々の植物が、
観光客を迎えてくれるとの事だが、冬が近づくと、
木々の紅葉も枯れ落ち、岩肌が目立つようになる。

71.jpg

岩に「天風難肆」と彫ってあるが、その意味は、
何か分からない。何となく空吹く風さえも、
勝手気ままに吹くことは難しいようだとの意?

「天朗気清」と彫られた岩も見掛けたが、
空が晴れわたり空気がすがすがしいとの意味かな。

万石山植物園には岩が多く、文字が刻まれており、
立ち止まり、その文字が語りかける意味を、
考えながらの散策もまた楽しいものである。

72.jpg







Last updated  2010.12.10 19:02:43
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2010.12.09
カテゴリ:中国華南
 
「アモイ旅情37」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

58.jpg

アモイの植物園を散策中に小鳥が休憩しており、
慌ててバッグより望遠ズームを取出しカメラに、
取り付け撮影をした一枚の画像。

小鳥の名前はハッキリしないが、ヒヨドリ・・?
ヒヨドリの体の色はグレー系なので写真の小鳥は、
ヒヨドリとは違うのかも知れないけれど、
ヘアースタイルが、それらしいと思った。

アモイ植物園は1960年に造園され一般公開された。
中国の植物園の歴史を紐解くとまだ浅い歴史だ。

60.jpg

私が訪れた植物園ばかりの話になってしまうが、
雲南省シーサンパンナ熱帯植物園は、メコン川の、
支流である羅梭江の中洲に位置しており、1959年に
一般公開されており熱帯植物の栽培に恵まれた土地だ。

北京植物園は1956年に作られ桃の花祭りが有名だが、
日本からの旅行では、中国まで来て植物園でもないと、
ツアーにも組み込んでいない旅行社も多い。

上海植物園は1954年に今の前身が出来、1974年に、
上海植物園と改称して1978年正式に公開している。
私は地元でもあり、休みの日はよく行っていた。

68.jpg

広東省華南植物園は広州市の東北郊外にあり、
中国最大の南亜熱帯植物園である。1956年に造られ、
1968年に一般に公開されているた。

杭州植物園は西湖の北にあり、東は玉泉山森林公園に、
接している。1956年に造られ、1961年に一般公開。

アモイの植物園には、万石山の麓に造られており、
自然の岩がむき出しになっており、岩には文字が彫られ、
その中を一人で歩いていると道教の世界感が体を、
包み込んでいるような錯覚を受ける。

70.jpg







Last updated  2010.12.09 17:57:03
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2010.12.08
カテゴリ:中国華南
 
「アモイ旅情36」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

52.jpg

アモイ園林植物園は万石山植物園と呼ばれており、
豊富な水があり、様々な植物が貯水池を取り囲み、
植物園の案内では、園林には、松杉?、シュロ園、
バラ園、薬用植物園など20数種類以上の、
植物区が順繰りに配置されている。

写真はブーゲンビリアの花だろうか?一面に咲き、
下は香港行政特別区の花の紫荊花である。
広東省を代表する花で、冬でも咲いている。
香港の旗のデザインにもなっている。

54.jpg

植物園には熱帯植物や亜熱帯植物など、
多くの種類が栽培され、スギや銀杏また、
世界五大庭園樹木の中国金銭松や日本金松、
面洋杉の他沢山植樹されており、サボテン類も、
見ることができるが、私は行っていない。

だが少しサボテン園の話をするとサボテン園には、
養殖して28年になる「エキノカクタス」という名の、
球サボテンがあり、そのサボテンは直径が72センチ、
50年にただ一度だけ花を咲かせるという事だった。
花が咲くまでにはまだ22年も待たなければとも思った。

59.jpg







Last updated  2010.12.08 11:56:22
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2010.12.07
カテゴリ:中国華南
 
「アモイ旅情35」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

49.jpg

福建省アモイの万石山植物園へ来ている。
朝8時過ぎホテルを出発して、フロントで、
教えてもらった通りに市バスを乗り継ぎ来た。

植物園の入口でまわり方を聞いたところ、
面倒くさそうに植物園の案内板を指差す方向へ、
歩いて行き、案内板の内容を簡単にメモした。

だが、案内板では道順を分かったように思っても、
実際に中に入り夢中で写真などを撮りだすと、
全く違う方向へ歩き出してしまっている。

熟知した所ならば、少々道に迷っても、
方向修正出来るが、初めて来た所では方向が、
正しいのか間違っているのかすら分からなくなる。

そんな時に「トウ小平」のクスノキの植樹の、
記念碑の所へ出て、撮影をしたのち案内板を見つけ、
メモと照らし合わせたが、1か所飛ばして来ていた。

48.jpg

1984年2月にトウ小平はアモイなどの経済特別区の、
視察を重点に置き行動をしていた。2月10日午前、
長雨が降り続く中、万石山でクスノキの植樹をした。

福建省の政府幹部は、予定していた植樹活動を、
中止にするよう提案していたが、トウ小平は笑って、
頭を横に振り、植樹は最大の活動であると、
降りしきる雨を押して、植樹したとの事だった。

トウ小平は三回失脚、一回目は江西ソビエト時代に、
毛沢東派の一人として失脚。二回目は文化大革命で、
三回目は第一次天安門事件で失脚したが、復活する。

トウ小平は1997年7月の香港返還を見ることなく、
パーキンソン病ににより、1997年2月に亡くなった。

トウ小平は遺体の献体を望んだが、身内の反対で、
角膜移植に寄付するに留まり、遺灰は親族により、
中華人民共和国の領海にまかれた。

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Last updated  2010.12.07 17:49:46
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2010.12.06
カテゴリ:中国華南
 
「アモイ旅情34」

「中国写真ライフ」では、
福建「アモイ」の写真を公開しています。

45.jpg

広東省の省境を超え福建省アモイ近郊まで、
戻って来たが230キロほどの道のりの殆どを、
高速道路を走って来たので3時間ほどで着いた。

アモイ市内に入り暫しの間ウトウトしていたが、
バスは私の宿泊しているホテルまで着いた。

ホテルへ着いたという事でバスを降りたが、
道路を挟んで反対側へ降ろされたこともあり、
近くの陸橋まで歩き大回りをしてホテルへ着いた。

大ざっぱなところも中国かと思いながらホテルの、
中へ入って行ったが、バスを降りてより20分ほど、
過ぎていた。フロントで明日行きたいところの、
道順を聞いて部屋に入った。

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私が行きたかった所は、アモイ園林植物園だった。
園林植物園は万石山植物園とも呼び、園内には、
寺もあるとガイドブックに記述してあった。

万石山植物園チケット売り場横の案内板には、
高読琴洞、太平笑石、天界暁鐘、石蓮寺や、
甘露寺など国家級の名勝と書かれてあった。

アモイ園林植物園は、アモイ市の万石山にあり、
園内には小高い山があり、岩肌には文字が、
彫られており、彫られた溝に色が塗られていた。

写真は、梅林園の中に咲いた梅の画像だが、
よくよく見ると造花が梅林園を埋め尽くしていた。

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Last updated  2010.12.06 18:11:36
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2010.12.05
カテゴリ:中国華南
 
「潮州旅情29」

「中国写真ライフ」では、
広東「汕頭・潮州」の写真を公開しています。

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写真は、潮州市にある開元寺の大雄宝殿の中に、
安置されている釈迦如来像の画像である。

潮州は広東省東部に位置する地方行政市である。
広東省の省都は広州で、香港に近くには深センや
珠海、中山など知られる所も多い。

また珠海からマカオまでも車で30分ほどの距離、
私が広州に住んでいた頃に車を運転して香港や
マカオの境界まで2時間ほどで行っていた。

34.jpg

話しが逸れたが、潮州は1800年のの古い歴史があり、
今までにも多くの華僑を輩出している事でも知られる。

中華民国時代は潮安県だったが、解放後1953年に、
潮州市となり広東省の省轄市となった。

開元寺と名のつく寺は河北省石家庄市、江蘇省蘇州市、
浙江省台州市、福建省福州市、福建省泉州市と、
広東省潮州市の6箇所にあり建立年も同じ時期である。

台湾にも開元寺あるが、1680年建立の寺であり、
殆ど同時期、中国内に建立された寺を対象に調べた。

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調べると言っても中国内6か所の開元寺の面積を、
語るならば、この潮州が一番広く12万平方mある。
次に泉州の7万平方mで、一番狭かったのは福州だった。

写真の大雄宝殿の本尊には大きな釈迦如来像が安置され、
脇師は左脇侍が文殊菩薩、右脇侍が普賢菩薩が立つ。

十大弟子の舎利弗・阿難・迦葉らの像が釈迦を見守り、
釈迦如来像の裏側には、龍の子供の上に乗っている、
観世音菩薩の素晴らしい魅了される彫り物がある。

中国禅宗の大乗仏教寺院の造りは殆ど同じである。
この日、潮州よりアモイ方面の万石山公園へ移動した。

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Last updated  2010.12.05 11:39:43
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2010.12.04
カテゴリ:中国華南
 
「潮州旅情28」

「中国写真ライフ」では、
広東「汕頭・潮州」の写真を公開しています。

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写真は、開元寺大雄宝殿前にて長い線香を両手に、
捧げ持ち祈る女性の姿は日本では見られない姿だ。

中国は元々儒教の国であったが、仏教が伝わり、
五世紀頃より道教の教えが浸透しはじめた。

儒教・仏教・道教の三つの思想が庶民の間を、
独り歩きし、中国は各時代に仏教と道教が対立。

各時代の権力者は仏教と道教を儒教に取り込み、
思想の統一を図ろうとしたが上手くは行かなかった。

唐の時代は儒教と道教と仏教とが中国に存在していた。
儒教と仏教とは、主張する内容に違いがあり、儒教か、
仏教かの何れを信じるかが、人々の間で問題となった。

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人々には儒教と仏教の両方取り入れ生活する事が困難で、
儒教の人生を生きるか、仏教の人生を生きるかの選択を、
迫られたが唐の時代は、仏教の勢力が盛大だった。

儒教は父親家系の秩序を重視した俗世道徳であるのに、
対して、仏教はこの世の本質を苦とし、その煩悩から、
解脱することを目的とした教えである。

道教は徳があれば教育しなくとも人は教化されるので、
宇宙のあり方に従って自然のままであることを教えた。

儒教は礼儀を重んじる道徳で、仏教は釈迦の教えを、
修行し成仏を得る教えで、道教は自らの道を探求。

中国は孔子の説いた儒教を重んじてきた国であり、
礼儀に対しては何処の国より浸透自覚していた。

30.jpg

だが儒教を否定し孔子を徹底的に破壊した文化大革命。
古い文化を破壊し新しい文化を築き上げる思想が、
中国内を駆け巡った10年間に仏教も道教も破壊された。

人々の心にも、また礼儀や人に対しても壁を作った。
現在の若者は礼儀を重んじる心が戻りつつある。

中国13億人と戸籍のない中国人2億人の15億人もいる。
礼儀作法のかけらもない人が居るのは当たり前である。

中国は都合が悪くなると発展途上国と論点をはぐらかすが、
意外と中国トップクラスの中に礼儀の無い人が居るのかも。
だが一般庶民はあまり関心がなく政府間の問題と割り切る。

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Last updated  2010.12.04 14:47:27
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