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2006年03月08日
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テーマ:お勧めの本(7400)
カテゴリ:書籍
昭和25年7月2日午前3時頃に、金閣寺は

炎上消失した・・・犯人は同寺徒弟の学生。

三島由紀夫はこの事件をモチーフに事件

から6年後に観念小説「金閣寺」を

書き上げ発表している、

この作品について今日は記したい。


*1.社会的接点 と 
 2.作品感想文に分けるので興味あるほうをどうぞ。


1.社会的接点

三島の記した「金閣寺」にはドモリの溝口(主人公)と片足の悪い柏木という級友が

出てくる、二人はともにコンプレックスを持っているが、柏木はその障害を利用し

様々な利益を享受、まったくもってダーティーだ。

溝口も、内向的で決して良いイメージで描かれていない、また金閣寺の老僧も

賄賂や夜遊びの様子が描かれ、醜い姿で描写されている。

今でも、そういう傾向があるが、弱き者は聖なる者とイメージされがちであり、

そういう意味では、三島のこの描写は根底から覆す衝撃を与えていると思うのだ。

私たちが、か弱きものに同情をよせ、聖人君子に祭り上げるのは、戦後民主主義の時代に

入り込んだ、左翼による文学作品が大きく影を落としていると思う。

彼らの書く、弱き立場の人間像は常に心優しく汗水流して頑張りながらも報われない

ステレオタイプ一辺倒、実はこれこそ差別主義であり、三島はこの観念を打ち壊したといえる。

人間は誰だって、嫉妬もすれば醜態もさらす、悪態もつけばくだらない妄想だってする

それでこそ人間なのだ、人間を人間らしくとらえる、これが意外に難しい・・・

追い込まれたり、弱い立場の人間を応援したり、同情を寄せ、聖人君子というフィルターを

かけ、虚像をはめ込んではいけない、ひとつの問題で彼の人となりを判断してはいけない。

民主党永田議員のお粗末で武部幹事長は疑いをかけられた可哀相な人と思ってはいけない

永田議員はアホすぎだと非難することが正当であって、そこから武部氏を擁護などする必要はない。

ひとつの問題ですべてが聖へと転換することはいけない、武部氏と堀江被告が懇意であった

様子は事実であるし、私たちは確証はないが、なんだかなあとは思ったはずだ

武部問題をアンタッチャブルの領域に上げることは、よろしくない。

金銭授受があったかどうかは知らないが、無所属の堀江被告とのべったりが国民に不信感を

与えたことは事実であり、野党も今までどおり質疑すればいい、ただ偽証は止めなさい。

今回は、かなり強引にラストに結び付けてしまった(笑)。



2.作品感想文(書評などと呼べる代物ではないので感想文とする)

三島の金閣寺は、主人公溝口と金閣寺の関係を中心に描かれている、「美」への傾倒だ。

三島が溝口に自分を投影したことは間違いない、大きなコンプレックスを抱く主人公は

金閣寺の美に惹かれ嫉妬し、ついに究極の美との一致、ともに「死」することを選ぶ。

この作品の前編に出てくる有為子との別れも、それを暗示している、彼女に対する気持ちを

うまく表せない溝口は、いきなり飛び出し黙っている、話せばどもるからであり

そのコンプレックスで何も出来ず、ただただ突っ立っている。

美しい彼女は、最後、彼の眼前で憲兵に銃殺され、思いを届けることすらかなわず

永遠の別れに帰結している。彼女自身、溝口のことなど覚えてもいないだろう。

溝口は金閣寺に出会ってから、常に「美」的対象を金閣寺と結びつけたり、対比することになる

例えば美しい女性を見るときにも、金閣寺が眼前にあらわれ存在の大きさが顕著になるのだ。

そして金閣寺の美と自分の醜さを対比し、「金閣(美)が向こうにおり、私がこちらに居る」

という言葉にみられるように如何ともしがたい隔絶間を抱くことになる。

ところが、これが好転する機会が訪れた、空襲である、京都が爆撃にあえば共に消える

そう、金閣寺と自分との距離は縮まるどころか一体化するのだ。

しかし、空襲は行われず彼には絶望感しか残らなかった・・・

放火はここから生まれたのだ、美との距離を縮め一体化する、自分の手でともに昇華する。

ラストは溝口は金閣寺最上部の究竟頂(くきょうちょう)に入り、ともに燃え死のうと

するのだが、究竟頂はその扉をかたくなに閉じ、この異形の僧徒を受け付けない、

まるで、貴様は完全たる美とは無縁の俗世の者といわんばかりに撥ね付けるのだ。

彼は山の上からボーッと燃え盛る金閣寺を眺め、タバコに火をつけたあと

「生きようと思った」という言葉で締めくくられる。

さてさて、この部分、読んだ方はいろいろな思いを巡らせるだろう、いつも愛する者に

突き放される三島観念、ラストでどう感じるかは、読者次第である。

追記として、この作品は、主人公の独白という形で書かれているので共感できずに

感情移入できない人にはつまらない作品であろう、だが観念小説である「金閣寺」の真骨頂は

語彙の豊富さと文体の剛健さ、そして表現の美しさだと思う、簡単な描写表現に頼らずに

読者の心眼に情景を想起させようとする試み、是非とも自分のこころで場面を

作り出しながら読んで欲しい作品だ。あと、三島作品は順番に読むことをすすめます。



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三島作品は常に文学、文化として読むことをすすめます。ぜひご一読を



金閣寺改版 三島由紀夫ロゴスの美神  三島由紀夫全集(13)決定版  暁の寺改版  天人五衰改版


     ~~~~~~~~~~~~~ 追 記 ~~~~~~~~~~~~~

金閣放火犯は、溝口と同じように寺の息子で、吃りの少年であるが相違する点を補足。
溝口は金閣を焼いたあと、一服をして「生きよう」と思うが、実際は自殺未遂をしていて、
「怖くなって裏山へ逃げ、ナイフで心臓と左肩下を突き刺し、カルチモン100粒を飲んだ」と語っている。
「世の中の美は自分にとって醜いと感じたが、反面その美に対する嫉みを押さえることが
できなかった。自分の吃りから来る精神的な苦しみからかもしれない」
「社会革新の立場から実際行動に移るべきだと決意した」と供述。
 
裁判で懲役7年の刑を言い渡され、昭和26年1月刑務所へ入るが、2月末から精神異常を
きたし、6月には肺結核もわずらい、昭和30年、満期釈放になるが、
そのまま京都の病院に入院し、昭和31年に27歳で亡くなっている。

母の不倫、有為子、鶴川の自殺、なども実際のものではなく、少年の父は
鹿苑寺住職とは一面識もなかったようである。


 一 夢 庵 風 流 日 記





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最終更新日  2006年04月27日 22時31分48秒
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