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雀坊の納戸~文鳥動向の備忘録~

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2015年05月24日
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2015年4月
1日
 精進落としの料理について、打ち合わせのため、担当の方がお越しになった。平日の昼間なので、参列者は少ないと思い、食膳は10で足りると考えていたのだが、その後、姻戚(母の親戚)がかなり参列するのが明瞭となったので、20膳に増やし、万一足りない可能性と、子ども対策で、箱膳以外に、おにぎりと唐揚げを頼んでおいた。

2日
 自宅に骨壷を置く台を設置するため、葬儀屋さんがやって来た。先方の都合で、担当がヌーボー氏からS氏に替わったとのことだった。正直ほっとする。何だか、暗いオーラが漂っていて苦手だったのだ。

3日
 やたら暖かく強風の吹き、桜が乱れ散る中、葬式。午前11時半の集合、葬儀は1時間後の12時半からであった。 喪主などしたことがないので、何やらさっぱりわからないが、とにかくそれらしく静かにしていた。既にお棺に納まっている遺体は、口もしっかり閉じ、3日前よりも血の気が引いて遺体らしくなって、何とも安らかな顔つきであった。悩む知能がないと言うのは、実に幸せだと、しみじみ思った。
 遺影は、ずいぶんとデジタル処理をされ、コントラストくっきりの姿となっていたが、特に問題なし。式の前にお経を読む臨済宗のお坊さんから別室にて戒名の説明を受けたが、これが当人にはもったいないくらいのものであった。『慧雀勇徳信士』と、いかにも禅宗風味のものだが、先日お坊さんから電話を頂いた母が、本人について、麻雀が好きで、クラブを作って、結構みんなに慕われていたようなことを説明したらしいので、『雀』と『徳』はそこから来ているのだろう。「テメーが麻雀やりたかっただけで、徳などねーだろ」と私は強く思ったのだが、後の祭りで仕方がない。あの人物に、勇気と言えるものがあったか甚だ疑問だが、名前に『勇』の字があるので、これもどうしようもない。しかし、最初の『慧』はないだろう?『慧』は慧眼(けいがん)の慧で、「気がきいて賢い」意味で、仏教的には悟りに到達する智慧(知恵)を指す語句だ。気が利かず鈍い人格には、まったくそぐわないのである。おそらく、このお坊さんが必ず使用する一字なのかもしれないが、結果、戒名だけは、慧眼にして勇気と徳を備えた人物となってしまうのだから、困ったものだ。
 さて、公民館で行う同好団体の健康麻雀クラブの旧会員から新会員、全員集合してしまったらしく、参列者は想定外の数にのぼり、返礼を20しか用意していなかったので、足りなくなってしまった。この葬儀屋さんは、当日の香典返しを当然としているらしく、最低が2,200円のお茶、次が3,000円以上の品となっており、そこから選ばされてしまった。香典返しのお茶は「使えない」が私の固定観念なので、ふりかけだかなんだかのセットにしたのだが、3,000円以上するのだ。したがって、半返しが通例である以上、「香典5千円未満の方はご辞退くださ~い!!」と拡声器で叫びたかったのだが、そうもいかなかった。
 この健康麻雀クラブと言うのは、送られ人の亡父が、家でウロウロして邪魔なので、私がここへ行ってああしろこうしろと、いちいち指示し、自分でやった方がよほど簡単な手続きを、父にやらせて創設されたものだ。道具などを買い与えたのもほぼ100パーセント私だが、名目上の創設者は父であり、その遊び場で塩辛いものや甘いものを食べながら、後進の指導をしつつ、生きがいにしていたのも父だ。つまり、川口市の公民館のクラブ活動に存在しなかった、ボケ防止の健康麻雀というものを、根付かせる端緒を作ったのだから、他人からは褒めてもらって良いかと思う。・・・唯一誇れることではなかろうか? 結果、わずか2年ほどだったが、中には「先生」と呼ぶ教え子があり、そうした人たちに見送られるのだから、ずいぶん幸せ者と言えるだろう。
 臨済宗の引導の渡し方、つまり葬式の際のお経を、最初から最後まで聞くのは初めてだったが、やたら急か急かして粗忽な身のこなしをする老年に入っているお坊さんのそれは、なかなかに珍妙であった。準備段階から、式台の突起を気にしたり、バチの位置やらを気にしてちょこちょこ変えていて、その動作がいちいちせかせかと慌ただしい。自分の良しとする位置にしても、振り返る際に払った裾でひっちゃかめっちゃかにしてしまう感じである。「いるな、こんな人」と思いつつ、読経を聞いていたが、妙鉢(みょうはち)というシンバルような打楽器や木魚を叩くものの、余韻をせかせか早々に止めてしまうので、妙な間ができてしまうし、払子(ほっす)など、見た目のまま馬のしっぽが虻を払うような感じでうるさげに振るものだから、何とも落ち着かない。そんな調子はずれの挙句に、どこかにぶつけて長い線香を折ってしまい、式中、無言で葬儀屋さんに替え催促する始末だ。「何やってるんだかこの人は・・・」、半ば眠りながら面白がっていたが、最終盤の「カ~~ツッ!」は年季の入った大音声の喝で、参列者の度肝を抜いてくれた(私も禅宗坊主の喝を初めて聞いたが、そろそろ何か来そうな気配を感じて身構えており、驚かなかった)。戒名代込みで30万円の価値があるとするなら、あの一声の喝のみだろう。
 この坊さんにお布施を渡さねばならない。30万円とは、葬儀屋のヌーボー氏に指示された額だ。その際、「袋を渡すのでそれに入れて・・・」と言われていたので、黙ってそれを待っていたのだが、いつまでたってもそれが来ない。不思議に思い、火葬場へ移動する際、担当氏に尋ねると、まだお布施を渡していないのが意外だった様子で、「では用意します」との事であった。どうやら、戒名を授与された際に渡すべきものだったらしい。火葬場に着き、遺体を罐に送り込んで、焼き上がる?までの控え室に移動する途上で、お布施用の袋を渡されたので、どこで包めばよろしいのか尋ねると、親戚一同入り込む控えの間しかないと言う。仕方がないので、部屋の隅で袋の中に30万円を入れるのだが、新札ではないためかさ張り、弔事用の水引が収まらず苦戦する。その間、例の坊さんはと言えば、「私はここで帰りますので」などと方々で同じことを繰り返し、最後に私の後ろにピタっと張り付いたらしく、その気配をはっきりと背中に感じさせてくれた。それこそ食い入るばかり、ジリジリと近づかんばかりの気配だったが、振り向いて「おあずけ!!」とも言えないので、水引と格闘する。ようやく整えて振り返り、お礼を交えて手渡すと、初めてではないかと思える笑顔で四十九日がどうのと一言二言した後、パッと金封をたもとに仕舞いこんで飛ぶように去っていった。
 なお、後ほどこのお坊さんが所属するというお寺を調べてみたところ、各宗派の派遣請負をしている組織だった。こうしたところで、葬式だけでお布施30万円は多かったのではないかと思う。

 小一時間で、焼き上がり?の表示となったので、罐(かま)の前に行き、ホカホカこんがりのお骨とご対面となった。祖母(父の母)の骨は、小柄な体型に似ず頑丈そうで、体の形のまま骨が残っていて、幼かった姪を怖がらせたが、父の骨は罐出し段階から粉々の様相であった。つまり、骨が弱くなっていたものと思われ、これは約2ヶ月のマヒ状態の結果より、それ以前に運動不足を起因とする軟化が進んでいたものと思われた。そのようなことを考えつつ、テキトーに骨を拾い、骨壷に納め、マイクロバスに乗って葬式場へ戻り、精進落としの会食となった。喪主の挨拶をするように、葬儀屋の担当氏に言われたので、真面目に話そうと思ったが、見渡せば、正月に見た親戚ばかりなので、途中で馬鹿らしくなって、さっさと切り上げた。
 17時、解散の時間となったので、骨壷を抱えて親戚の自動車で自宅に戻り、安置した。しばらくして香典の確認をすると、2万円を1万円と誤って記載したものがあった。間違っているのは、I家のもの、つまり姉一家のものだ。これにはいろいろ思い当たるものがあった。この日、受付と香典の計算をしてくれたのは、母方の従姉弟だったが、この仲の良い姉弟にしてみると、私の姉、つまり故人の娘にしては、2万円は少なく感じられたに相違なく、記載の誤りとなったのだろう。そう言えば、いつもは必要以上に騒々しい従妹が、火葬の控え室で割合おとなしかった。言いたいことがあったが、当人(姉)に言えないので鬱積したものがあったのかもしれない。
 しかし、この場合、多寡よりも2万円という半端な数字なのが、姉というアスペルガーを自称する人物を鮮明に表している。端的に言えば、「あのバカは、娘なのに5万円の予算を組んだだけか」になってしまうのだ。何しろ、頼みもしないのに、祭壇の両脇に『I家』と書かれた花かごがあり、それは私が喪主名で飾るのを無用としたものだが、一対で3万円余なのだ(伯父や叔母たちが『親類一同』として一対献花してくれている)。つまり、予算5万円のうち、3万円で花を飾ってやったから、残りは2万円、しかも、日本酒の一升瓶と線香まで買って持ってきたので、当人としては、予算オーバーして義務を果たした気分なのである。
 自分が故人の娘で、それも長女で、両親は弟の家で面倒を見てもらっていて、故人には遺産など無いことや、旦那や娘ふたりを同伴した4人連れだといった事実をわきまえる常識があれば、二人姉弟で本来なら葬儀費用の半分は負担しなければならない立場の自覚があれば、献花分を差し引いて2万円の香典、などと算段するだけでも奇妙なのだが、2、30代とまだ若かったり、兄弟姉妹が多かったり、親が資産家で長男なり遺産を多く受け継ぐ者が喪主だった場合にだけ許されるような無責任思考を、平然とやってのけるから、やはり病的なのだろう。
 そのアスペルさんは、この日も葬式に来るなり、一升瓶を祭壇に置けとかワンパック日本酒をお棺に入れろとか、自分勝手に思い描いたことを実践しようとして、私にたしなめられ(「自分で葬儀屋さんに言ってみれば?」でおしまいである)、葬儀場の喪主に対して包装箱を突き出し、お線香だと、いかにも自分が礼儀にかなった行いをしていると満足げだったが、それこそいちいち不愉快だった。線香など家にいくらもあるし葬儀屋さんも置いていくしで有り余っているわけだが、そもそも、葬儀場で手渡す馬鹿がいるだろうか?
 姉だと思うと腹が立つので、網走とか読谷村とか遠くに住んでいる親戚と考えると、気分が楽だ(そうだろうと思っていたが、その後、四十九日まで一度も線香をあげに来なかった)。





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Last updated  2015年05月24日 16時14分09秒
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