|
テーマ:旅のあれこれ(9951)
カテゴリ:中国地方
1昨年だったか、九州の帰りに寄ったんですが
改修工事中で入りませんでした^^ 今回が初めてです❣! 宇喜田秀家が最初につくり その後、秀家が関ヶ原で敗れ、小早川秀秋が入り さらに、池田❔❓❓(恒興の子孫^^)が代々入っています。 戦前は国宝でしたが 残念ながら、戦災で焼失してしまいました・・・ 四角形じゃない、珍しいタイプの城です。 他には、安土城。 岡山城は、2階までが五角形 3階4階が長方形 5階6階が正方形で 見る角度によって、かなり違った形に見えて面白いです。 3代目城主の池田❔❓の妻が、前田家の豪姫(だったか❓❓)と結ばれ 前田家は、安土城築城の大工を出しており 岡山城築城の時にも、前田関係の大工が関わっていたのでは❓❓ とボランティアガイドさんが説明してくださいました。 今の入り口は、当時はすべて石垣❣❣ 左の白壁が塩蔵なんですが、ここから出入りしていたと。 見えている正面の入り口は殿様専用。 それ以外の家臣は横の入り口から出入りしたと。 天守の正面が本丸御殿で、ここに殿様と側室が暮らしていたと。 家臣の武士は、一団低いところで働いており 女性が高いところで暮らしていたのは、珍しいそうです。 また、本丸跡などは、戦前中学校になっていたと。 これも、二の丸や三の丸にはけっこう学校が作らているんですが 本丸跡ってのは、ほとんど無いそうです❣❣ 金のしゃちほこが8尾❣❣ これまた、珍しい。 普通は2尾だと。 これは2代目城主の小早川秀秋が、秀吉の養子となっており 非常に可愛がられており、許されたと。 また金箔使いまくりの秀吉好みの絢爛豪華城だったと。 秀秋は、秀頼誕生により、後継ぎ争いとなっては困ると 小早川家の養子に出された。 シャチは、口から水を吐き出し 災いや火災から城を守るってことだったと。 そして岡山城は、さらに桃が4つ飾られ 桃は、中国で魔除けというか、守り神みたいな感じで 岡山城にもあると。 なんで、中国の思想を取り入れた❓❓と質問しましたが それはわからないと。 でも、今でも、中国から来た人が 父親にお守り代わりに桃の枝をもたされて来た人もいると。 旭川が自然の堀そして、海につながり輸送路となっていたと。 川から、城まで61段の階段でつくられ、運び入れていたと。 旭川の堀では、ボートをやっていた。 これも中国人、パワー有ります❣❣寒さなどものともしない❣❣ 桃のボート^^ 後楽園からの岡山城 岡山の知り合いから後楽園は・・・ってことでした^^ でも彼女は栗林公園よりは良い❓❓みたいなこと、仰っておられましたが 私は、栗林公園の勝ちだと^^ でも、悪く無かったです❣! のんびり散歩するには最高です❣! 何と言っても、入園料が安い。 城と後楽園共通で650円^^ 烏帽子岩 後楽園を作った殿様、けっこう良い感じなんですが 能舞台を作り、自信が参勤交代で江戸へ行ってる間には 民衆にも、能見物をさせていたと❣❣ また、8代将軍吉宗より早く、目安箱を設置していたそうです。 なので、大手の目安箱を設置していたところの橋は、目安橋。 しかし❣❣^^ この烏帽子岩。 16個に切り分けて、運び 再び組み上げたそうですが それは、やり過ぎでは❓❓^^ 私は、ちょっと興ざめだなって気がしました。 鶴舎があったので行ってみました。 ケージの中のタンチョウは、写真を撮る気にならなかったですが なんと❣❣ ケージの外に2羽、居ました❣❣ 何ででしょう❓❓ さらに、うち1羽がこちらへやって来る❣❣ どんどんやって来て 彼が首を振れば、くちばしが当るかと心配し 私は後ずさりしたくらいです^^ 間もなく、彼は戻っていきました^^ 餌でももらえると思ったのかな❓❓ 岡山は、ツルセンターもあるし、 タンチョウとゆかり深いですね。 後楽園のツルは、はじめ中国留学生が贈ってくれたことから スタートしたようです。 この人、知らないですが^^ いやあ、岡山城&後楽園、良かったです❣! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Feb 3, 2024 08:37:18 PM
コメント(0) | コメントを書く |
|