|
テーマ:☆★何気ない日常★☆(587)
カテゴリ:書籍
今日は、雨で牧野パーク月例をキャンセルしました^^
この雨でも、12名の強者が参加して競技は行われました❣❣ みなさん、すごいです^^ 私は暇になったので、どうしよう❔❓ ぶっちーには、打ちっぱなしを断られ^^ ナッカーには、カラオケを断られ^^ 彼は、楽天のポイント10倍デーか何かで、たくさん買い物をして 今日は、次々と配送があるので家で待機しておかないといけないと^^ この話に、相方は大受けしてました^^しかし、こういう細かい処にも 気を配ってるからお金が貯まるのでは❓この点、うちは相方も私も 無頓着な方なので、お金は駄々洩れです・・・^^ そしてカラオケは相方にもランチ予定有と断られ^^ いよいよ仕方なく、図書館へ行きました~^^ 目的は、伊豆の踊子を読むことでした。 こないだ3度目の伊豆へ行き、踊り子像を見たので^^ やっぱり行く前に読んでおけば良かった^^ 河津七滝まで行きながら、湯ケ野温泉へ行くのを忘れた^^ まあ、私は行ってるんですが、相方は知らなかったのかな❓❓ あそこまで行ったのなら、ちょっと寄っても良かったんですが^^ それと下田では、甲州屋って伊豆の踊子のモデルとなった宿が 現役であるそうで、ここも泊まれば良かったか^^ ただ、素泊まり6000円なので、安くはないか・・・^^ 伊豆の踊子は、すぐ読めたので、もう少し読むか。 と書棚を眺めていたら、この本を見つけました^^ 分かりやすいし、なかなか面白かった(って、途中までしか読んでませんが^^) 般若心経の解説なんですが、 良かったような^^ 世の中は、空である。何も無い。 色(見えるもの)、受(見てそれだとわかること)、想(認識すること)、 行(認識して行動すること)、識(❓❓^^)=カッコ内は私が書いたので、怪しい・・・^^ は、実は何もない。 死ぬも生きるも何もない。 しかし、悟りを開くと、平穏の中に生きられる(❔❓❓もはや理解に自信ゼロ^^) で、頑張って、頑張って、悟りを開け❣❣❔❓だったっけ❔❓ 要するに、理解は出来なかったのか^^ でも納得したような❓❓ 一方、やっぱり仏教も経典も要らんなってのが私の思い・・・^^ 笑い飯哲夫はなぜか、良い感じの印象を持っていたが やはり❔❓賢く、勉強家だったんですね❣ しかし一番印象に残ったのは、肛門を舐められると気持ち良いってとこでした^^ 私は舐められたことありません。。。残念なような気もしました^^ それから、あびちゃんの浄土真宗の法事が10倍楽しくなる本を借りてきました。 一番最初の「三帰依文」を見ただけで、イヤになりました・・・^^ 〇〇で、すべてゆだねます。〇〇で、ゆだねます。。。。なんでやねん❓❓ 私の人生は私のものなので、だれにもゆだねません。 人身受け難し、いますでに受く=人として生まれることは、稀有な奇跡で、そして今、私は人として生まれた❣❣ ここは違和感なし❣❣賛成と言うか、その通り^^ ところが、次には 仏法聞き難し、いますでに聞く=釈迦の真理に出会い、聴くことは稀有な奇跡であり、今、私は聞いた。 なんで、仏法を聞かなあかん年❔❓何を聴こうと人の勝手。 さらに、 この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの身を度さん。=奇跡に恵まれた今、悟りを開かなければ、いったいいつまた人に生まれ仏法を聴き、悟りが開けるか。。。 これはもはや脅迫やん・・・それに人じゃなく、虫や花でも生きることの喜びを感じているはずですわ^^人がすべてみたいな感覚がすでにおかしい❣ 早くも、この時点で読む気は失せて^^ どの道、法事にも、墓にも興味関心ゼロなので 面白くならなくて良いし、面白いはずがないので やはり読むのは止めました^^ とは言え、釈迦の10大弟子のとこだけは読みました^^ が、これも、やはり読み込めないようで・・・ 前にあびちゃんに説明されたというか、「13分死んで戻ってきました」で 解説されていた以上には、よくわからず^^でした・・・ 今日は、けっこう静かな一日だったかな^^ 図書館までは、往復で4500歩くらいかな。 雨も上がったし、あともう少し歩いて来ようと思います~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[書籍] カテゴリの最新記事
自分で言うのも何ですが、それは私のせいではありません。
浄土真宗の法事で必ずのように読まれるやつを私が好きでも嫌いでも私はわかりやすい現代日本語に訳したのです。 ゆえにいずれにしろ、それを何もわからず漢文のまま耳タコで聞いている人は、目から鱗なのですが、そもそも法事に出ないのなら、それがベストかもしれません。 この本を買った殆どの人はいずれにしろ、わからん法事に参加している立場の人々であり、ゆえにあるお寺では200冊買ってくれたわけです。 私の『超簡単訳 歎異抄・般若心経』に般若心経訳はどうでしたか? 少し学問的な正確さにこだわっているがゆえに、そこが読みにくい人と、ちゃんと書いてあるとわかる人の分かれ道ではありますが、正確なわりには、わかりやすいんではないかと思います。 世の中には全然正確でなくて読みやすいやつはほかにもあります。 対して、『一三分間、死んで戻ってきました』は仏教の文脈は自分で「用いたいときだけ用いて」、基本的には自由に書いたので、一番読みやすくなっていると思うし、自分が自分で自分の想ったとおりに書いているだけなので、学問的な嘘もないわけです。w (May 13, 2024 06:55:27 PM)
言わせてもらえば、私は仏教を何言うているかわからんから、無視しているのではなく、何を言うているかをわかっていて、取るべきところを取り、批判するべきを批判しています。
浄土教でいえば、阿弥陀(因位=まだ阿弥陀仏になる前に本願をたてたときには法蔵菩薩)の48願も批判しています。 私は、それらを無批判に受け入れている人たち向けに、批判的に書いています。 たとえば、身近な障碍者の発言から、大無量寿経が障碍者差別を含むことを批判しています。 https://note.com/abhisheka/n/na1b87ca59727 まーさんが、初めから仏教から自由なら、そういう話は「私には初めから関係ありません」でいいと思います。 (May 13, 2024 07:09:33 PM)
伊豆の踊り子の書評。すごい😆⤴️ですね🎵だから、私は阿呆だと言わざるを得なくなる。ラストで、渾然一体となるとこは、何かを感じとれた気がします✨😌✨これでは、分けわからないかな⁉️ですけど😅
(May 13, 2024 07:38:12 PM)
|
|