東大寺
華厳宗大本山東大寺公式HP 「ご神職と巫女さん以外の人は写さない」という姿勢をブログ開設以来ずっと貫いてきました。人を排した写真が撮れなかった場合、最近では敗北感すら味わうようになってしまいました。平安神宮でも、あの八坂神社でも、1月の伊勢でも私は人を排する写真を撮って、ブログに掲載して来ました。 世界最大の木造建築物、東大寺・大仏殿。ちょっと残念なお天気でしたが、緑の芝生が鮮やかでした。なんだか人の列のようなものが写っていますがあれは東大寺のお坊さんです。全部そうです。(敗北感を味あわなくてよかった)現在の大仏殿は度重なる火災や戦禍による焼失を経て江戸時代に再建されたものです。間口は創建当初の3分の2なのだそうですが、とにかく感動的に大きいです。どんな巨大な高層ビルよりも大きく見え、威厳があってそして何度見ても息をのむほど感動を覚えます。創建当時は大きさもさることながら、高さ約70mの東塔・西塔がそびえ立っていました。 私は子供の頃から、お寺の塔が大好きで大仏殿内に展示されている復元模型を見るたびにため息が出ます。西の京にある薬師寺が、この30年で奇跡的な大復興を成し遂げたようにこの東大寺・七重塔も復元して欲しいと密かに願っています。 「奈良の大仏さん」と呼ばれて親しまれる御本尊は、正式には盧舎那仏(るしゃなぶつ)と言います。掟破りの撮影をしたわけではありません。堂内の撮影など、数年前には考えられないことでしたが現在は三脚の使用のみが禁止されていて撮影もフラッシュも禁止されていません。こうなったら、撮り放題です。 盧舎那仏(大仏)の左右を固めるのは虚空蔵菩薩と如意輪観音。東大寺には何度も来ていますが、今までこの二つの仏様には気づいてなかったのか、印象がありません。これらも相当な大きさです。大仏さんのインパクトが強すぎたのか、本当に見た記憶がありません。 大仏殿の奥の東西には広目天と多聞天が立っています。ここぞとばかりにシャッターを押し続けた私が言うのも何ですが、こうした堂内の撮影には、やはりどこか釈然としないものもありました。大仏殿の東数百メートルのところに、戒壇堂があります。そこにはすばらしい四天王像があるのですが、そちらの堂内は撮影もスケッチも禁止されています。 撮影が許されるようになったのは、決して歓迎されることではなく日本人のモラル低下と携帯カメラの普及、そしてあちこちで傍若無人ぶりを発揮している某国の観光客により収拾がつかなくなったせいかなぁとも思いました。 しかしこうして、堂内で撮った写真を見て思うのは少しでもいい写真を撮ろうと苦労して撮影した写真をブログに載せ自分でも楽しみ、皆様にもご紹介出来ることがこの上なく喜ばしいことだということ。 「仏の慈悲じゃ」 東大寺開山、初代別当である良弁僧正(ろうべん)の笑顔が見えたような気がしました。 良弁僧正と言えば、私の第二の故郷である若狭の出身。二月堂で行われる「お水取り」に先立ち、若狭で行われる「お水送り」で知られる鵜ノ瀬があるあたりの生まれだと言われます。以下、一昨年夏の写真をご紹介します。 平城京を見下ろす若草山。その麓にある東大寺二月堂に、「若狭井」と呼ばれる「閼伽井屋(あかいや=仏さまにお供えする水を汲む井戸)」があります。 二月堂若狭井 この若狭井の水は、地下水脈で若狭とつながっているという伝説があります。東大寺二月堂と若狭のつながりに関しては、以前から何度もご紹介しています。若狭国一之宮の神域若狭の水 大仏殿前の鏡池 今回は珍しく神社には1社も寄らず、法隆寺とここ東大寺を堪能しました。両方の四天王像を見たかったのです。大仏殿のものもそうですが、東大寺戒壇堂の四天王像は躍動感があって力強いお姿。対照的に法隆寺の四天王像は「監視者」という感じで静かに立っておられます。昨年の夏、奈良国立博物館の「法隆寺金堂展」で四天王像が公開されました。従来の法隆寺金堂内は照明がなく、御本尊の釈迦三尊像すらうっすらとしか見えませんでしたので「法隆寺金堂展」で公開された仏像は、たいへん新鮮な感じでした。現在の金堂は、照明が灯されていますし外光も取り込まれていてとても明るくなっていました。金堂内の仏像がはっきりと見ることが出来ます。四天王像の配置は予想通りでしたが、その「向き」が意外で興味深かったです。 東大寺・南大門 大仏殿内の撮影もありがたいですが、現在の法隆寺金堂はお勧めです。次回、その法隆寺についてちょっとだけ書こうと思います。