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2006年06月26日
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お寺の住職が亡くなったので葬式に参列した。2000人くらいの
参列者があり、焼香に1時間。
 以前に、亡き父が、昔、植木等氏に家に来てもらい、お経を読んで
もらったことがあると言っていたが、その植木氏も参列していた。
もう80に近い年齢だが矍鑠とした姿であった。

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 ところで、会葬御礼に入っていたリーフレット 「葬儀を縁として」 にとても良いことが書かれていたので、以下抜粋引用。
  
  


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仏事としての葬儀

 今、私たちはかけがいのない人の死に出会いました。こころの中では様々な思いが駆け巡っていることでしょう。
 つい先日まであたたかい言葉を交わしていた方も、今は無言のまま静かに身を横たえているだけです。何も語らない亡き方を前にして死という事実に直面した私たちには使命があることを感じます。それは、生きて在る私たちが、その死を確かに受けとめて、亡き方の声なき声を聞き届けていくということです。
 遺族の方はもとより、会葬の方も亡き方と真向かいになって、1人の人間の死という事実を、どこまでも自分自身の問題として受けとめていくことが「仏事としての葬儀」になるのです。
 一般に、通夜・葬儀の場は形式や世間体が重んじられますが、くれぐれも遺族と会葬者の挨拶だけに始終しないよう心がけたいものです。

最後の贈り物

 三十九歳で癌告知を受けた平野恵子さんは、病床から子どもたちへメッセージを送り続けました。
 「人生には無駄なことは、何ひとつありません。お母さんの病気も、死も、あなた達にとって、何ひとつ無駄なこと、損なこととはならないはずです。大きな悲しみ、苦しみの中には、必ずそれと同じくらいの、いや、それ以上の大きな喜びと幸福が隠されているものなのです。(略)
 たとえ、その時は、抱えきれないほどの悲しみであっても、いつか、それが人生の喜びに変わる時が、きっと訪れます。深い悲しみ、苦しみを通してのみ、見えてくる世界があることを忘れないでください。そして、悲しむ自分を、そっくりそのまま支えていてくださる大地の
あることに気付いてください。それが、お母さんの心からの願いなのですから」
     『子どもたちよ ありがとう』(法蔵館)より
 平野さんは「死は、多分、それがおかあさんからあなた達への最後の贈り物になるはずです」と書き遺していかれました。

悲しみをとおして

 愛する人、親しい人との別離ほど悲しく寂しいことはありません。しかし、どれほど辛くても亡き方の死を「最後の贈り物」として受けとめ、仏法にふれる縁とすることが願われています。
 私を支える大いなる大地のはたらきを感じ、自分自身の生き方を根本的に見つめなおす縁を亡き方から贈られたのです。


 “ひとりの人の死は悲しい。
  しかし、残された私が
  そのことから何も学ばず、
  何ひとつ新しく生み出せないとすれば、
  それは、もっと悲しい。”

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最終更新日  2022年11月21日 05時38分28秒
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