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令和6年1月元旦に自宅にいましたが、16時過ぎに大きな揺れとともに、大地震に遭遇しました。2回目の震度7の時は「死ぬかも」という強い恐怖を感じながら、幸いにも家は残りました。その後、津波がくるというので、車に近所の方と家内と3人で乗り込み、山のほうに向かいました。長い渋滞続き前に進めない。しかし、津波はもう来ないだろうという判断で、夜の8時ごろには、家近く道路の車の中で避難しました。
電気はあるものの、水とガソリンがない中で一夜を過ごし、恐る恐る塾にいきました。 教室は机と本棚がたおれて、本が散乱して、悲惨な状態でしたが、なんとかきれいしました。 あまり、ものをたくさん置いていないので、3時間くらいできれいになりました。建物の損傷はなく、安心しました。 さて、4日から冬期を普通通りに始めたい、と思い、生徒と保護者に連絡をとりながら、家庭ごとの状況も把握しました。やはり、七尾市の中心より北のほうの方の被害は甚大ですね。でも、受験生はそこで、浮足立ってはいけない、昨年の30日まであった、勉強中心の日常にもどさないと、と思い、冬期講習を開始しました。 1月は、公立高校の受験校を決める時ですし、2月1日は私立高校受験があります。また、高校3年生は、共通テストがあります。地震のせいで入試に失敗した、と言わせてはいけません。そう考えながら、1月5日は黙々と授業をしています。 私のいる七尾市は、被災地ですが、日ごとに生活インフラを取り戻しつつあります、しかし、輪島や珠洲は、依然、不明者がいて、安否の確認や行方を探すことが続いています。生きることで、精一杯の中で時々、まだ余震があり、不安は消えませんが、前に進んでいます。 HPはここです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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