テーマ:稽古(629)
カテゴリ:武道・スポーツ・健康
月曜日、社会人の稽古。 今日は、たまたま男性メンバーだけだったので、基本~応用的な移動稽古を たっぷりやって、身体を充分にほぐした後、サポータも一切つけずに、素拳(素手)で、 手技のみの組手を、数回、行った。 当然、攻撃の9割は顔面を狙うのだが、グローブを着けた場合、そして、薄い 拳サポータを着けた場合に比べ、間合いは数センチ遠くなり、手数は激減し、構えは、 より受けに徹する間合いになった。 もちろん、私もローテーションに混じり、同様に相手をするのだが、私自身、いつもより 緊張し、特に、拳の握りを、頭の片隅で常時調整し続けた。 顔面に相手の拳が激突するのは勿論、攻防の中で相手の拳と自分の拳が激突したり、 受けた腕の痛みなど、恐怖に近い緊張感が、メンバーの心の大半を占めていたと思う。 若いメンバーは、少ない手数の中でも、物凄い汗をかき、緊張した面持ちで行って いた。 古参のメンバーと私の組手は、端から見れば、グローブをつけたような手数で、 ポンポンと顔面を打ち合っているように見えたかもしれないが、内実はギリギリの 鬩ぎ合いがあり、その辺りを見て取ってもらえると嬉しいのだが。 組手終了後、確認するように、グローブ,サポータ,そして素手の緊張感の違いを 説明した。 伝統派と呼ばれる、間合いの比較的遠い、寸止めで行う空手では、当てない前提 ゆえ、受けも手を添える程度であり、堅牢なブロッキングのような受けは見られない。 ガキンガキンと、拳が骨と当たる音はあまり聞こえない。 これでは、真剣勝負に必要な、緊張感・恐怖心を超える気持ち(勇気)が育たない。 もちろん、ハナから顔面攻撃を禁じてしまうような空手では、中段(ボディ)を打ち合う なかで、拳やボディの痛みに耐える我慢強さは育つが、顔面を狙われる恐怖は体感 できず、真剣勝負では素人同然になってしまうのは、K-1などでの大手流派極真出身 選手が、パンチで顔面を打ち込まれると、すぐに下を向いてしまう場面で、公然となって しまった。 (最近では、個々の選手の努力で克服されているケースも見受けるが) 武道とスポーツの現象的な違いのひとつは、やはり恐怖・緊張という、人間が本来 持つものとの闘いであることを再認識してもらいたくて、時々はこういう稽古もいい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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