テーマ:ニュース(100179)
カテゴリ:政治・社会・ビジネス
数年に一度、この日、このテーマで書いている。 朝、ベランダで読書をしているとサイレンとともに、市の広報が、 黙祷を促してくれ、一分間、広島の方角に黙祷した。 原爆ドームを見学したのは、小学校5年の頃。 何よりも、骨すら残さず、石段に影のように「焼き付けられた」 被爆者の”遺影”を見た時に、大げさでなく、人生観が変わった。 当時の知力では、ハッキリ整理できぬまま、記念館を出たところで、 ニヤニヤ記念撮影している外人を見たとたん、カッと来て、 「お前、何笑ってやがんだ!?」と、突っかかり、叔父に止められた ことは昨日のように憶えている。 後年、原爆そして核兵器と言うものは、相手の遺体すら、その破片も 残さない、人間の尊厳を無視した、日本人の美意識にはそぐわない、 「醜い」武器だと整理をつけた。 「核」がいけないのではない。それを使用した米国が「醜い」のだ、とも。 「日本も開発しようとしていたから同罪だ」というおバカがいるが、 思うことと、しでかすことには雲泥の差がある。 以前、就任後のオバマ大統領が、広島・長崎に来る意向を示したときに、 「来て欲しくないものだ」と書いた記憶があるが、今回、諸事情もあり、 来なくて良かったと思う。様々な意味で・・・。 今回、広島・長崎と福島原発事故を絡める報道が多く、まるで同質の災害 かのように国民を誤解させようとしているようだが、全く異質のものである。 原爆投下は、人間が行った、人類史上まれにみる「醜い行為」であり、 福島原発は、事故である。 仮に、技術的・労力的に不備な点があったとしても、故意に起こした事故 ではない。両者は、全く次元の異なる話である。 反原発に、被爆者を利用するのは、あまりに失礼であろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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