代表的日本人-岩波文庫(内村鑑三著 鈴木範久訳)
この本は1908年に「Representative Men of Japan」と英文で出版されたもので日本語版は発行されなかった様です。13年後の1921年改訂版が出された時の感想が次の様に載せられています。「日本を世界に向かって紹介し、日本人を西欧人に対して弁護するには、如何しても欧文を以てしなければなりません、私は一生の事業の一として此事を為し得た事を感謝します、私の貴ぶ者は二つのJであります。其一はJesus(イエス)であります。其他の者はJapan(日本)であります、本書は第二のJに対して私の義務の幾分かを尽くした者であります。」西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人の五人が紹介されているのですが、特に西郷編は原本が1895年の日清戦争直後であることもあって、国粋主義的色彩が極めて強く、後年の非戦主義とは明らかに隔絶しています。日露戦争後改訂が加えられ、「青年期に抱いていた我が国に対する愛着は全く醒めものの、我が国民の多くの美点に目を閉ざしていることは出来ません。」としたのですが、教育勅語で不敬事件を起こし退職を余儀なくされたクリスチャン内村鑑三にして、国粋愛国的色彩は消えることなく、時代の限界に制約されてしまうのです。況わんや凡人である私達は「不易と流行」(芭蕉の言葉)と言うか「法と道」(藤樹の言葉)と言うのか、マスコミ報道の裏にある変わらないものをしっかりと見定める必要があります。そう言う中で、比較的に抵抗無く読めるのは中江藤樹編です。聖人孔子は優れた進歩人であった。その孔子を、退歩的な同国人が自己流に解釈して、世の目に映ずる姿に作り変えて言ったのです。しかし王陽明は、孔子の内にあった進歩性を展開させ、人々に希望を吹き込んだのです。この王陽明は、我が藤樹をして、その聖人を新しい眼で見ることを助けました。藤樹が、人為の「法(ノモス)」と外在的な「真理(ロゴス)」とを明確に分けていたことは、次の有名な文章に示されています。道と法とは別である。一方を他方と見なすことが多いが、それは誤っている。法は時により変わる。我が国に移されれば尚更である。しかし道は、永遠の初めから生じたものである。人間の出現する前に、宇宙は道を持っていた。人が消滅し、天地がたとえ無に帰しても、それは残り続ける。しかし法は、時代の必要に適う様に作られたもので、時と所が変わり、聖人の法も世に合わなくなると、道の元を損なってしまう。