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光透波(ことは)の泉【デジタル版】  しあわせの波紋                        

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August 21, 2006
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2006年7月24日0059.JPG
▲葵:口をとんがらかして、ジュース飲んでるんだけど、何か?

2006年7月24日0060.JPG
▲何だ、このポーズは…。



前回見たように、八幡神の「八幡」とは、「ヤハタ」=「イヤハタ」=「弥秦」であり、本来は「秦氏」「ハダ氏」ですから、「イヤハタ」=「イヤハダ」となります。

そして、「イヤハダ」とは、ヘブライ語の方言「アラム語」の「イエフダー」からきています。
「イエフダー」とは「ユダヤ」のことになります。

すなわち、「八幡神」とは、「ユダヤ神」であり、ユダヤ神とは、とりもなおさず旧約聖書の絶対神「ヤハウェ」のことです。

そんなバカな…と思われるかもしれませんが、ある意味、神社のルーツが、古代イスラエルにあることを考えれば、決して突飛なことではなく、むしろ、バラバラだった糸が、ひとつに収斂されるように、繋がってきます。

となると、「八幡神」を祀る「八幡神社」とは、いかなる神社かが見えてきます。

今回も、『天照大神の謎』(飛鳥昭雄・三神たける)より見ていきます。


★移動する八幡宮★

八幡宮は、実は、あちこち移動をしています。

最終的に、「宇佐八幡宮」に落ち着きます。

これは、神社の中の神社「伊勢神宮」が、20数箇所をへて、今の三重県伊勢市に落ち着いた経緯と似ています。

伊勢神宮は天皇の皇祖神「天照大神」を祀っているので、天皇家第一の宗廟(そうびょう)と言われます。

古来より、第二の宗廟と言われているのが、実は「宇佐八幡宮」です。

かつては、伊勢神宮に匹敵する神社とされその格式はかなりのものでした。



★八幡神と応神天皇★

八幡宮の祭神は、必ずと言っていいほど、ひとりの天皇が祀られています。

その天皇の名は、第15代天皇「応神天皇」!!

注目すべきことは、八幡大神と応神天皇は同じ神とされていることです。

応神天皇=八幡神という図式は、かなり古くから言われていたようです。

『宇佐神宮社伝』の伝説が興味深いものがあります。

「欽明天皇32年(571年)2月初卯の日、の笹の上に光り輝く3歳の童子が現れた。
そのとき、童子は、『われは第16代誉田天皇広幡麿(ほむだすめらみことひろはたまろ)なり。
われをば護国霊験威力神通力大自在菩薩と申す』と託宣したが、すると童子は黄金の鷹となり、駅館川東岸の松の木に止まった」


ここでいう「池」とは、「薦八幡宮」の「三角池」のことだといいます。

そして、「第16代誉田天皇広幡麿(ほむだすめらみことひろはたまろ)」とは、「誉田天皇」の諡号をもつ「応神天皇」のこと。
実際は応神天皇は、第15代とされていますが、ここでは第16代となっています。

「薦八幡宮」で「応神天皇」が出現したということは、「応神天皇」=「八幡神」とされていることを意味しています。

ここが、この伝説のポイントです。

そして、第16代誉田天皇広幡麿(ほむだすめらみことひろはたまろ)の部分で「広幡」とあるのが、また重要です。

「広幡(ひろはた)」とは、「幡」とあることから、「秦氏」から派生した名称だといいます。

応神天皇の名称に「広幡」とあり、それは「秦氏」に繋がります…。

このことから、応神天皇は、「秦氏」であったという説を提示している研究家もいます。

結論を言えば、応神天皇自身は、「騎馬民族の大王」であり、その出自は、「失われたイスラエル10支族」の大王です。
「秦氏」ではありません。

記紀を見れば明らかなように、応神天皇は、秦氏を呼び寄せています。

しかし、この伝説から見れることは、もっと奥深いものがあります。

「応神天皇」の名称に「秦氏」の名称「広幡」が取り込まれているということは、「秦氏」と同体となったことを象徴しているのでしょう。

すなわち、前々回に述べたように、もともと「ユダヤ教」である応神天皇は、秦氏の「原始キリスト教」を受け入れた…。

それは、実質ある時点で、応神天皇は、「イエス・キリスト」を救世主と認め、原始キリスト教に改宗したということになります。

これは、日本の本当の姿を知る上での核心部分ともいえるのでしょうが、「常識」からしたら、何を言い出すんだ、ということになります。

しかし、このことは、先の伝説に実に象徴的に示唆されています。
次回見てみます。

さらには、日本神話に、そのことが、象徴的に示されています。
応神天皇は、神武天皇であり、崇神天皇でした。

神武天皇の業績のなかで、一番の有名な神話といえば、それは、「神武東征神話」!!

ここに、応神天皇が、原始キリスト教を受け入れたことが、象徴的に語られている場面があります!
これについては、今回はもう少し先で、簡潔に触れてみます。

第15幕からはじまった、長い長い「ハーフタイム編」も、もう終盤の終盤まできました。
最後の後半戦「天照大神編」も、あとわずか…ではじまるつもり…です。








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Last updated  August 22, 2006 12:44:38 AM
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