テーマ:都市計画・まちづくり(105)
カテゴリ:古河市の発展
奈良時代に定められ、明治時代初期まで長く行政区分だった律令国。そのひとつ下総国(しもうさのくに)は、主に現在の千葉県北部を中心とした地域です。下総国の中で葛飾郡(かつしかのこおり)というものがあり、ここに現在の古河市が含まれていました。
詳しくはインターネット百科事典「Wikipedia」の「下総国」と「葛飾郡」にリンクしましたので、ご覧いただきたいのですが、市川や船橋などの千葉県のみならず、埼玉県の幸手や三郷などや、東京都の葛飾区なども下総国葛飾郡を構成していました。 右は古河駅前にある古河の歴史を書いた説明文の一部です。明治4年廃藩置県で古河県がおかれ、印旛県に入り、千葉県を経て、明治8年茨城県に編入されたと書かれています。こういう経緯や東西の交通網が整備されなかったこともあり、古河は今なお茨城県でありながら、県内よりも、埼玉、東京方面との結びつきが強い地域となっています。 ところで、将来はどうでしょう? 道州制が論議されています。いろいろな案が検討されていますが、最近の新聞報道などを見ると、埼玉県は南関東に入るということで、古河以北は茨城・栃木・群馬・新潟・長野と一緒に北関東州になるという案が有力なようです。このまま確定すると古河市の将来にとってどういう影響を持つのでしょうか? 古い歴史に拘泥するつもりはありませんが、現在でも通勤・通学など人の流れを見たとき、電車で結びつきのある埼玉・東京方面と切り離されてしまうことに違和感を感じます。この地域をどうしたいのか、北関東州の他地域とどのような関わりを持ちたいのかということも、現在議論しておく必要があるのではないかと思います。 自分たちの運命は自分たちで決めなければなりません。他地域の人には分からない現状や希望を地方は政府にどんどん言っていかないと、不利益なことがあってもそのまま決まってしまうでしょう。この大きな時代の節目に無関心でいるということは、地域の将来にとって大きな損失になる可能性があることを、もっと私たちは理解したいものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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