「BIUTIFUL ビューティフル」生きるということは、
今月の県労会議機関紙に掲載した映画評です。字数の関係で削った部分はそのまま残しています。「BIUTIFUL ビューティフル」 昨年の洋画マイベストワンです。ただし、私の事だから観る人を選ぶ作品になっています。暗くて少し難解。予備知識があった方が良いと思うので、少し内容まで踏み込んで紹介します。 「人は、人生最後の日々に何をするのだろう」という謳い文句の映画です。末期がんの宣告をされて余命二ヶ月。こういう男の物語は黒澤明の「生きる」を出すまでもなく幾つも作られました。しかし、予想に反して男は何かを始めるわけでもありません。 男ウスバルを演じたのは、バビエル・バルデム。かつて人間性の欠如した殺人鬼になったこともあるし(「ノーカントリー」)、とびきりのプレイボーイにも何度もなったこともあります(「それでも恋するバルセロナ」「食べて、祈って、恋をして」)。清濁あわせ持つ人間を演じてピカイチの俳優です。その男がスペインの裏の顔を総べて飲み込むような男になって我々の前に出てくるのです。 彼の主な職業は斡旋屋です。仕事を紹介して賃金のピン撥ねをしているのですが、案外と面倒見もよくヤクの摘発に捕まらないように警官と裏取引を試みたり、貧困ビジネスで一部屋に詰め込んでいる中国人の25人の集団の暖を取るために暖房機を買い入れたりもしています。警察に捕まった夫の頼みを受けてセネガル人の妻の住所を見つけたりもしています。また、彼は「イタコ」のような特殊能力も持っていて、時々亡くなった人間の言葉を遺族に伝えるアルバイトもしています。私生活では、妻は躁鬱症で別居中です。子供二人を面倒を見ながらギリギリの生活をしています。小学一年ぐらいの男の子と小学四年ぐらいの女の子の食事は、ずっと彼が作っていました(けれども毎日コンフレークと焼き魚の日々ではある)。食べるシーンが何度も出て来きます。それはすなわち、彼たちが生きているということの象徴なのでしょう。 夜明けのバルセロナの街が美しい。ウスバルは生まれて直ぐ父親と死に別れ、母も早く亡くし満足に学校にいってなかったのか、子供にBEAUTIFULの綴りを聞かれて「BIUTIFUL」と答えます。つづりは間違えるけれども、美しい世界は都会の下町の中でも確実にあることを映像は伝えます。 死の宣告がされた後も、彼は「子供を残して死にたくない」といい、別れた妻との関係修復も試みるが失敗します。知人のアパートにもぐりこみ、知人の彼女に子供の行く末を頼みます。それが如何に危ういかを男は既に判断できないほど病状が進んでいるのです。 また、彼は判断ミスで世話をしていた中国人25人を事故死させます。「赦しを請いなさい」というアドバイスも聞けないくらい彼は何も出来ません。 生きる、ということは、大切な人を守り、大切な人を傷つけ、愚かなことを繰り返し、そして大きな罪を犯し、美しいものを見る、ということなのか。それでも死ぬ前に人は、黒曜石のような純粋なものを子どもに残すことが出来るのです。 私の父の最期と重なって、そして自分の最期を想い、心が抉られるようでした。イニャリトゥ監督も「父に捧げる」と最後に告白しています。記憶に残る映画でした。監督の前作「バベル」よりも、ずっとこちらのほうがいい。(監督 アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ)