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韓国旅行2012

2019年02月09日
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テーマ:韓国!(12429)
カテゴリ:韓国旅行2012
これは四月に発行される職場の機関誌に投稿する予定の文章ですが、書いたとたんに先に此処で発表します。内容的には、去年書いた韓国旅レポートの書き直しなのですが、今やはり「早く」発表するべきだと思ったからです。それは、徴用工問題から始まって、レーダー照射問題にわたる、「異常ともいえる」韓国パッシングの「報道」が現在日本に吹き荒れているからです。しかし、少なくとも徴用工問題に関しては、私は私はいつもの通りの韓国の常識を訴えただけで、反日感情は少しはあるかもしれないが、それよりも第一義は「白黒をはっきりさせる」韓国の人たちの(国際的にも合致する)「常識」にあると思うのです。

光州・ソウルを旅して
昨年11月に私費で、韓国の光州・ソウルを旅して来ました。映画「タクシー運転手 約束は海を越えて」と「1987、ある闘いの真実」を観たことがきっかけです。そこで、嫌韓報道で染まっている日本では決して知ることの出来ない貴重な歴史的教訓を多く学ぶことができました。



光州では、先ず郊外にある全南大学の教育会館棟の壁一面に描かれている「光州民主抗争図」を観ました。この壁画に、1980年日本では「光州事件」と言われている出来事の内容の集約があります。真ん中で若者が銃を取っています。全斗煥大統領が軍隊で光州民主運動を武器で虐殺を始めた自衛の措置です。おばちゃんが炊き出しをしています。市民が物品カンパをしています。光州では、フランスマクロン反対デモのような店の商品の盗みなどは一切起きませんでした。「暴動事件」ではないのです。「民主運動」を軍隊で潰したのです。殺されたのは500人とも700人とも言われ、負傷したのは5千人に及びます。10数年の時を経て、それらの「真相を解明」し、2人の大統領含めて「責任を追及して処罰し」、犠牲者の「名誉回復」「補償」を行い、国立墓地や各地に記念碑や記念館を建てて「顕彰」する。それら全ての行為を、ユネスコは2011年に世界記録遺産として認定しました。私たちは、このことを知っていたでしょうか?

私はこの旅で、はたと気がつきました。光州のこの教訓が、この間の韓国の行動を見事に解き明かしている、と。



ひとつは、ソウル・南営洞の朴鐘哲記念資料館に答があります。映画「1987ー」にも描かれていますが、ソウル大学生の朴鐘哲が民主運動で拷問死したことをキッカケにして、1987年、韓国民は大統領選挙を勝ち取ります。写真の建物の五階が拷問室が並んでいる所です。心理的な圧迫を与えるために、わざと窓を小さくしています。その他色々な拷問のための工夫がありました。現在この資料館は、警察庁人権センターの一室に設置されています。「権力は間違うことがある。だから、市民は時に正さなくてはならない」と「人権の歴史」が13世紀英国のマグナカルタに始まることによせて、人権資料室の展示に書いていました。これが、韓国民が多くの犠牲を伴って得た歴史的教訓でした。

それが、2017年の朴政権の平和理の退陣に繋がったと、私は確信しています。

また、「真相解明」「責任追及」「名誉回復」「補償」「顕彰」は、日本に対する従軍慰安婦問題と徴用工問題でも貫かれてはいないでしょうか?決して反日感情が基本にあるのではない、と私は思います。また、日本の態度は、光州や南営洞を思うと、全然その基準には達していない、と私は思うのです。






最終更新日  2019年02月09日 07時57分58秒
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2018年12月24日
テーマ:韓国!(12429)
カテゴリ:韓国旅行2012
11月29日(木)晴れ 最終日



朝は4時に起きた。やはり、人は寝坊をしてはいけないと一週間ぐらい思い続ければ、いくら疲れて毎日朝の7時ごろまでぐっすり寝るのが習慣になっていたとしても、目覚ましなくても起きれるものなのだ。



朝の5時ごろREX Motelを出て、駅に向かう。まだ真っ暗だ。朝の5時25分の始発電車に乗る。これを逃すとタクシーだ。カードの残はもう1500しかない。次に来た時は、乗る前にチャージしなくてはならない。覚えておけるかな。



地下鉄電車の終点第二ターミナル駅で降りる。車内でも注意喚起がされていたが、第一と第二と分かれていて、間違えるとたいへんなことになりそうだけど、「歩き方」にも一切書いてないし、ソウル市内で配っていた地下鉄図にも載っていない。つまり、ごく最近出来たようだ。第一で半分くらい降りて行ったのでちょっと不安になる。



チェックカウンターが開く前にセルフでチェックが出来た。便利だけど、随分早く中に入れた。搭乗まで1時間半ある。



ところが、あまりにも早くきたので、ほとんどの店が開いていない。大きな誤算であり、少し開いていた免税店で、お土産のお菓子を無駄買いしてしまった。前回の台湾で、最後買い物をしていて、出発時間10分前にアテンダントさんが探しに来て、大きく迷惑をかけたので、焦ってしまった。こういう焦りを利用して高い買い物をさせるのが免税店の役割である。あゝ恥ずかしく頭にくる。









空港内は、新しいためか、豪華だ。美術演出の椅子、キッズコーナー、授乳用の部屋、おしゃれなお手洗い。「人権」を大切にする韓国らしい空港である。


初めて、シートは最前列に座れた(早く空港についてセルフチェックインしたおかげである)。ここはいい。前に席がないので、ものすごく広く感じる。隣の韓国のいい大人の男性がネットでマンガを見ていた。(日本も直ぐにこうなるはずだ。ネットでは韓国の方が少し早い。)こういう時代なのだ。









朝の内なので、飛び立つときの韓国の風景がよく見えた。



機内食。今回はコーヒーをお替りした。










日本だ。久しぶりによく見える日本の景色。



これが高梁川。7月西日本豪雨で、町そのものが洪水に遭った真備町はこの写真の上の橋を渡ってすぐの平野である。この川の支流の小田川がこの本流の高梁川に阻まれて水が逆流したのも、今回の大きな被害の一因だった。もちろん、川に生えている木々の伐採を怠ったことや、そもそも洪水が予想されていたのに、治水計画が遅れたことなども大きな原因である。この川の隣の総社市に比べて、市町村合併で担当自治体になっている倉敷市は対応がお粗末だと、住民の不満はくすぶっている。







古代吉備の国の中心があった、吉備平野。



岡山空港についた。エコノミーの一番前に座っていたおかげで、一番早く税関を通ることができた。税関はわりとよくいろいろ聞く。単身旅行で、なおかつ何度もアジアを旅行しているのはパスポート見ればわかるので、「警戒」しているのだ。慣れているので、淡々と答えた。でも手荷物だけなので、早いのである。おそらく飛行機のタラップを過ぎて、空港の玄関を出るまでに、5分以上10分以内だったはずだ。これまでの最速記録。地方空港はこういうのが速くてとても快適である。無料の駐車場にたどり着いて、その15分後には車中の人になっていた。

久しぶりの韓国旅行だった。行けば何とかなると思っていたけど、ホントに何とかなったし、予想以上の収穫があったと思う。

日本人は、謙虚に韓国に学ばなくてはならないといけないと思う。

お土産56630 朝食7500
歩数 6923歩






最終更新日  2018年12月24日 10時20分06秒
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2018年12月23日
テーマ:韓国!(12429)
カテゴリ:韓国旅行2012


世宗路十字路からイ・スンシン将軍像と景福宮、青瓦台へ結ぶ一直線道路を眺める。





これは1926年に建てられた元東亜日報社屋。此処での新聞の発行は1992年まで続けられたらしい。現在は、一民美術館となっている。ちょっと覗いたけど、現代美術のようでした。パス。



今回、是非来て見たかった新市庁にやって来ました。



この地下に何やらあるそうなのです。



現在の朴市長は、参与連帯を立ち上げた中心メンバーの1人です。ロウソクデモ市民革命も、朴市長の影響があったと言っても過言ではないでしょう。その肝いりで作られたのが、この開かれた市庁です。地下には「市民庁」ではなく「市民聴」となっている。聴の字の下が耳の穴に。そうしてそれを耳の形でデザインしている。



市民発言台。「言いたいことがあります」とスピーカーから突然話すことが可能だ。



休憩広場。市民が思い思いに本などを読んでいる。コンサート、市場、結婚式、討論会、講座、ワークショップなど多様なプログラムを市民が企画運営できるらしい。



面白いのは「落書きコーナー」があるのだ。私も書いて見た。オバケのQ太郎。





他の落書きも見ることができる。平和な時にはたわいのないものが書かれるだろうが、何かを感じ取ったら、これは市民にとって「毒を感じてくれるカナリア」になるだろう。



市庁発行の本屋もあった。左のソウル市内散歩ガイドブックを買った。オールカラー177ページで2000wである。ベストセラーになるはずだ。



奥に「軍器寺遺跡跡展示室」があった。新市庁建設工事途中で発掘調査された遺物が保存展示されている。



軍器寺は、朝鮮時代に武器を製造していた官庁である。1392年に設置されて、1884年に廃止された。



建物跡と石積み堤防などを復元。





仏狼機子砲、勝字銃筒などが展示されている。




多様な矢じりがくっつき絡まり合いながら、出土した。


図録は置いていなかったが、コーナーごとの説明には、英語中国語と共に日本語の説明も付いていた。


面白い取り組みをしていた。2人の職員が、訪問者に次々とシールを四つほど渡して、(おそらく)この間の市庁の取り組みに対して人気投票をしていたのである。この取り組みは、インターネット投票よりも遥かにいい。市民は無記名ながらもいい加減な投票はできないので、ともかく文書を読むのである。この部分ではおそらくレンタサイクルの拡大のことだろう、が一番人気をとっている。



このボードでは、おそらく「訪問住民センター拡大」という取り組みに対して圧倒的に人気があるようだ。詳しいことは韓国語がわからないのでよくわからない。もしかしたら、出張住民センターをやっているのか?



1番右の取り組みが、一番人気なのだが、よくわからない。闇市?どちらにせよ、この「開かれた市庁」すごいと思う。


地下で見つけた「ソウル市庁舎セルフツアーガイド」によると、8階9階も面白い展望台とかあるそうなのだが、工事中らしくて登れなかった。市庁の壁は、世界最大規模の垂直庭園らしい。植物が壁を覆っている。



様々な運動を演出した市庁前の広場は、工事中だった。木などを植えたら、人が集まるスペースがなくなると思う。これでいいのか?完成を観て判断したい。



元庁舎は市立図書館になっていた。


階段などは、1926年の建築そのまま。5階には、いろんな遺物の展示があったらしいのだが、みそこなった。



さて、5時を過ぎて暗くなった。ソウル駅に移動、そのまま仁川国際空港二つ手前の雲西駅に降り立つ。明日の朝が8時飛び立ちのために、2時間前に空港に着くために、トランジットのための宿泊地として此処を選んだのである。駅前には多くのホテル・モーテルがある。駅から近場を選ぶ。あまり安いのを選んで時間を取られないことにした。現金ならば5万wというので、此処にした。



光州の6万wよりも綺麗だ。ここでいい。



最後の夕食。トリにしたかったのだが、入ろうとすると1人はダメと言われて、もう探すのを疲れて適当なテジクッパにした。



写真ではわからないが、久しぶりに「不味い」と思った。 何が違うのか?水が違うとしか思えない。干拓地で、水が綺麗に濾過されていないのでは無いか?



このままでは終われない。焼酎を半分残して、チキンハンバーガー屋で揚げチキンを買う。



ホテルに帰ってこれをたべながら、日記をつけて、この今日を終えてゆく。

今日の費用
ロッカー2000チャージ5000 朝食3200 李韓烈3000 タクシー3800 参与連帯コーヒー6500 従軍慰安婦カンパ10000 焼き魚定食8000 ビッグイシュー10000 本2000 宿50000 夕食11000 チキン唐揚げ4000
計112000
歩数 26449歩






最終更新日  2018年12月23日 09時26分30秒
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2018年12月22日
テーマ:韓国!(12429)
カテゴリ:韓国旅行2012


地下鉄を乗り換え西大門駅を出て、参与連帯の本部に向かう。勘違いしていたが、門の東にある建物は景福宮ではない。おかしなあ、いつこんな高層ビル群が出来たのか?あの趣のある下町を全て再開発したのかなと歩いていて、ずっとしばらくして西大門と独立門を間違えていたことに気がつく。仕方ない。私の旅スタイルに反するけど、タクシーを使おう。



タクシーっていいよね。ピンポイントでビル前に着いた。参与連帯(참여연대)は韓国の有名な民主団体。落選運動で有名だが、2017ロウソク革命でも主要団体として活躍した。詳しくはマイ書評の​「ソウルの市民民主主義」​に。1度来たかったのである。私は個人で来ているし、韓国語も出来ないので、事務室に入るのははばかれるけど、一階で喫茶店を経営しているので、其処に行けば、資料を置いてあるのではないかと目論んだわけである。



目論見は当たって、参与連帯の加入書と月刊誌を無料で手に入れた。喫茶店は、自然派の普通の喫茶店である。安くもなく、高くもない。ベーグルとコーヒーアメリカンを頼んだ。



やはり韓国のパンは硬い、他の言い方をすれば濃くがある。そこにあるピンクのパンフを広げると、参与連帯の紹介になっている。1994年に誕生。画期は、1997年の落選運動の開始である。どうしてこの運動が日本で定着しないのか、と私は思う。2003年にはイラク戦争にも反対している。



既に2006年から韓米FTAに反対している。2008年に狂牛病騒動で、日本とは違い韓国では広い反対運動が起きたのは、そういう地道な活動があったからかもしれない。



2014年にセマウル号沈没事件があった以降は、怒涛の活動が始まり、会員数も増えているようだ。



加入時に記入する事柄に、関心運動機関に丸をするのがあって、「参与連帯のみ」とか「司法監視センター」は、まだわかるとしても「参加社会研究所」「経済金融センター」など、韓国にはわけのわからないセンターがうようよあるのだなあ、と思う。



会費は自己申告制度らしい。1万wから、2、3、5、10万その他と様々である。


そのあと、歩いて景福宮を横断した。



平日だけど、なんかのイベントがあるようだ。日本人だけでなく、様々な外国人が宮廷の服を着ていた。イベントなのかな?と思うとそうではなく、近くに貸し服屋がたくさんあって、「歩き方」によると空前のヒット商品になっているらしい。まあ、いいんだけどね。



横断した先。「民衆美術」が展示されていると聞いてかなり期待していた国立現代美術館は期待外れだった。広い館内には、わけのわからない現代美術しかなかった。





遅いランチを食べに、少し歩くと、2日前の夜に行った日本大使館前の「平和の少女像(従軍慰安婦像)」にたどり着いた。こうやって見ればはっきりわかるが、日本大使館前の道に建っているわけではなく、向かいの通路に、大使館の方を見て建っているのである。今日もテントには2人の学生が見張り兼ガイドとして常駐している。



昼間見ると、ホントに生きているようだ。思うに、傑作だろう。2日前にできなかった、著名とカンパをした。



ビル街をランチを探して歩くも適当なものなし(昔食べたソルロンタンの名店を見つけられなかった)。今回魚を食べていなかったので、老夫婦のやっている古ぼけた店で焼き魚定食を頼む。まずくもなく美味しくもなく。



エゴマのキムチだけは美味しかった。



今回気がついたのだが、いろんな所にビルの再開発の名残か、街中に遺物の展示があった。これは朝鮮時代の井戸らしい。



鐘閣駅の1番出口をしばらく光化門方面に歩くと、見慣れた赤い帽子のおじさんが本を売っているのを見つけた。ビックイシューだ。ここでも売っているんだ(後で調べたら、ソウルだけで40数カ所の販売点があることを知った)。



大きくて厚い。値段も一冊5000wだった。もちろん、半分は販売者の収入となる。2冊購入(後の別記事で紹介します)。



写真撮ってもいいか?と聞くと笑顔で応じてくれた。とてもフレンドリーな方でした。黄色い注意書きは、「カードはごめんなさい」という意味かな、と思っていた。カード社会の韓国なので、そういう表示が必要なのかな、と。ところが、後でビックイシューを見ると、カード購入可能な販売者が何人も居て、此処もそうだった。ホームレスから、カードで買えるなんて!


光化門5番出口辺りにも販売者が居ました。



教保文庫出口辺りにある創設者らしき人がベンチに座っている像と、何やら文字が。
「人は本を作り、本は人をつくる」
ということだそうです。






最終更新日  2018年12月22日 07時18分25秒
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2018年12月21日
テーマ:韓国!(12429)
カテゴリ:韓国旅行2012


そのあと、南営洞駅から地下鉄で新村駅に行く。李韓烈記念館を訪ねるためである。地下鉄駅から延世大学に行く途中だと勘違いしていて、その辺りでピザ配達屋のお兄ちゃんに道を聞くと、即座にスマホで이한열기념관 と検索してくれて「現在の私の位置はここだから、この辺りだよ」と教えてくれた。こういう道の教え方は、6年前に韓国に来た時にはなかった。ものすごく良くわかる。日本の若者で、このように素早くわかりやすく、外国語ができないのに仕事中にもかかわらず、親切に教えてくれる「若者」は、はたして居るだろうか。私は居ないと思う。少なくとも、「高い確率で教えてくれる若者」は存在しない。この写真で言えば、この略図の上の辺りで迷っていたけど、赤い所へ駅方向に帰ったわけだ。



実際は地下鉄新村駅の8番出口を出たらまっすぐ行って、直ぐある公園を左に曲がると、右手にスターバックスがあるから、それを過ぎて右手に曲がると、左手に記念館がある。お兄ちゃんのスマホを見て、それだけを覚えて行ったら一発でわかったので、その行き方で誰も間違わないと思う。行ってみると、ビルの一部屋を借りて記念館を作っているわけではなかった。4階建の一つのビルなのだ。観覧料は無料のはずだ。行政が運営しているとは聞いていない。どうしてこんなことが出来るのか?先ずそれを思った。



実際は一階は車庫、2階は事務室、3階4階が展示室である。登る途中に、歴代ポスターが貼ってあって、ずっと定期的に特別展をしていることがわかる。朴鐘哲記念館はそういうことはしていなかったみたいなので、それだけでも(博物館フェチとしては)尊敬出来る。


中学生か高校生が書いたと思われる来館感想も階段に貼られていた。素朴に「愛してるよ」と書いている一方で「ウリナラ我が国」という言葉が何度も使われるなど、身体を呈して国を変えてくれたということを感謝する言葉が書かれているように思えた。若い人たちの意識は、ここでも日本と相当違う。





ただ、今回は3階が特別展展示で「会いたい顔たち」というのだった。李韓烈氏への関心だけで精いっぱいだったので、スルーした。今までの早世した民主活動家を、作家が独自の表現で描いた美術品の展示だった。あとで珍しくあった日本語での説明書を見ると、いろんなタイプの市民活動家がいたことがわかり、きちんと見なかったことを悔やんだ。顔が誰が誰か良くわからない。



4階の本展示は、思った以上に質素なものだった(もっと写真展示など、時代を説明するものもあった方が良かったのでは)。しかし、1人の若者を記念する展示としては、これくらいのものなのかもしれない。



家族の写真や、学生証等々を展示しているブース。



そして次のブースがこれ。1987年6月9日、延世大学の門前で、全斗煥大統領への抗議行動を行っている最中、警備隊の撃った催涙弾か李韓烈に直撃してしまう。映画「1987」でも描かれたように、いったん起き上がり仲間を助けようとしたところ、意識不明になる。頭から血を流して、仲間に支えられて病院にはこばれた。その時に着ていた服とズボンと運動靴、ベルト、靴下である。



片方の運動靴は、現場に残されていたはずだ。映画では、この運動靴のエピソードを、実に効果的にドラマに仕立てていた。実際、この時まで李韓烈役のカン・ドンウォンは、自分の名前も大学名も明らかにしていなかった。韓国の少しでも1987年のことを知っているものならば、大学名を聞いただけで若者の運命は、わかったはずだが、観客は最後の時になってようやく彼が李韓烈と知ることになる。普通の自覚的な若者として登場し、彼は「デモなんかしても社会は変わらない」とうそぶく少女に、「僕もそう思っていた。でも、(この前見せたあの光州民主抗争を記録した)ビデオを見てしまった。知ってしまったならば、少しでも変えるために出来ることをしなくちやならない」と答えるのである。しかも彼は光州の出身だった。けれどもあの時に13歳にもなっていなかった彼は、政府の言い分を信じ、あれを光州暴動事件とずっと思っていたのである。



李韓烈は、6月革命の成就を見届けるように7月5日に亡くなる。その追悼集会7月9日の「民主国民葬」は、全国から人が集まり、それまでの最大の160万人が集まったという。



倒れた李韓烈を支える学生の姿を写したチョン・テオン(정태원 )記者の写真は、その後チェ・ビョンス(최병수 )により木版画としても再生されて、1987のアイコンとなった。そういう絵画的な表現を、「民衆美術」だということを私は今年学んだのである。



ここでは、ずっと短いビデオを流していて、去年作り変えているのだと知った。なぜならば、最後の部分「30年経った今日」と言って、2016‐7年のロウソクデモの映像を長く流していたからである。正に、30年経って、暴力撹乱行為が一切なくて、犠牲者を1人も出さずに、あの大統領罷免を勝ち取った背景には、李韓烈を忘れなかった韓国民たちの努力があったせいだと、私は思う。

この記念館の設立目的に、李韓烈を顕彰するだけでなくて、「민주주의의 역사를 교육하는 박물관이다 (民主主義の歴史を教育する博物館だ)」と位置づけているのも頷けるのである。




4階には、関連書籍や写真の朴鐘哲と李韓烈を扱ったマンガや(展示物の)クリアファイル、(アイコンの)コップ敷きなどを売っていて、必要な人は事務室まで、と書いていたのでクリアファイルとコップ敷きが欲しくてドアを叩いた。その時に少しだけ日本語が出来る女性に、「この記念館のお金は何処から出ているのか」と不躾な質問をした。「李韓烈のお母さんの息子の死に対して払われた補償を寄附してくれて作った」という。どれくらいの寄附かまでは聞かなかったが、オープンは2014年というから、いろんな苦労と志あったことが伺われた。ここでも、光州民主運動記念館で知った五大原則のうち「(犠牲者に対する)補償」が貫徹していることをつくづく知る。女性事務員には、私のブログの検索方法を伝えたのだけど、見てくれただろうか。






最終更新日  2018年12月21日 07時41分46秒
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2018年12月20日
テーマ:韓国!(12429)
カテゴリ:韓国旅行2012
11月28日(水曜)晴れ 4日目



朝8時に宿を出て、ソウル駅に向かう。そこで指紋認証のロッカーに荷物を預けて、トイレに行くと、ソウル駅のトイレは紙を便器に直接流せるようになっていた。ここは国際化したのだろうか?




案内所で、「ビッグイシューを買いたいけど、ネット情報の『서울(ソウル )수요 鉄道駅』の수요(ジュヨ)駅がわからない」と聞くと、地下鉄の行き方を教えてくれる。しばらくしてやっと意味があわかったのだが、これはソウル駅のジュヨという場所のことだったのだ。教えてくれた出口の2番ゲートに行ってみる。ホームレスがうようよしていた。まだ早いのでビッグイシュー販売者はいない。






ここは旧ソウル駅の前である。


1925年建築。東京駅を真似て作られている。今は使われていない。建物と土地が勿体ないなぁと思う。




地下鉄で目的地の南営に行く手もあるのだけど、ひと駅なので歩いて行くことにする。線路沿に歩けば迷わないだろう、と思いきや、突然他の地下鉄の入り口が出て来たので、路線の道を間違ったかと思い、見当方向に歩いている途中に思い返して戻った。そうか、途中まで地下鉄は同じ方向に向かい走っているのか。



朝食は屋台のサンドイッチ。


なんやかんやで南営駅を過ぎて直ぐにあるはずの朴鐘哲(박종철)記念館を捜す。それらしき警察の建物があるのだが、門の前の表示に박종철の文字がないのである。何回か、周りを行ったり来たりしていると、門番に咎められた。
「金鐘哲記念館は‥」
「朴鐘哲だろ。日本人か。この交通証を下げて、名前と日付を書いて。部屋は一階と四階五階だ」
と有無を言わせず入れてくれた。
あの…ちゃんと朴鐘哲記念館と表示して置いて欲しいんですけど。



これが、1987年1月14日逮捕されて拘束中のソウル大学生の朴鐘哲が拷問されて死亡した、当時の南営洞対共分室のあった建物である。五階は窓が極端に小さい。五階全てが取り調べ室だからだ。逮捕された人間の心理を圧迫するための設計らしい。今は目新しい看板は着いているが、それ以外の外観は30年前と全く変わらない。



現在この建物は、경찰청 인권 센터 (警察庁人権センター)になっている。一階は歴史とエントランス。其処に、入場者の感想を書くコーナーがあった。





日本人もつい最近来て感想を書いている。もう少し綺麗な字で書いて欲しいな。



本来の階段以外にも、このように秘密の階段がある。これは五階に直結している。


これは上から見たところ。裏の小さなドアから入り、螺旋階段を登り調査室に入れられて拷問される。これも心理を圧迫させる設計らしい。対共分室らしい構造。



ここは4階の歴史や教育関係の展示。

人権の歴史を1215年のマグナカルタから始めている。もちろん1789年のフランス革命も表の中に入っている。マグナ・カルタ(大憲章)をわかりやすく言うと、「世界で初めて国王に制限を加えた憲章」のこと。憲章とは、「極めて重要で根本的な決まり事」を文書化したもの。
マグナ・カルタは、1215年6月15日に制定された。かつて、マグナ・カルタより前の各国の法律や憲法では、「国王は法に縛られない別格の上の存在」として扱われてきた。そんな、神の次に偉いような立場の国王に、初めて法的制限が設けられたのがマグナ・カルタである。「王といえども、法の下にあって、法を守る義務があり、権利を制限される」といった感じの内容が、明確に文書化されている(デジタルことば辞典より)。
うーむ、人権の始まりを「警察という権力の代表みたいな所の力を制限すること」から始めている。きわめて真面(まとも)だと思う。







そのあと、隣の記念館に入る。写真や新聞で時系列を追っていた。アカだと言われて逮捕された朴青年の死因は、映画にあるように、検察・記者・医者の連携で明らかになる。「水拷問途中 窒息死」と派手な見出しが踊る。これで調査警官2名が拘束された。しかし、本当に拷問したかはまだ明らかになっていない。頂上逮捕の決め手にはならない。映画では更に看守や市民運動家との緊迫した「連携」が描き出される。






また、それとは別に学生たちや市民は街頭に出て運動をして行った。この後で行く延世大学生の李韓烈もその1人だった。朴鐘哲拷問死が明らかになった後は、唯一世間に発表された朴くんの顔写真が、運動のアイコン(象徴)になった。大きなデモが何度も起きる。ソウルの明洞聖堂は「抵抗運動」の聖地にもなっていった。




「弾を撃たないでね」と警官にカーネーションを渡す市民の写真があった(時は李韓烈が催涙弾で撃たれた数日後)。かつて加藤周一は1968年のプラハの春を評して、「圧倒的な戦車の前に立ちはだかったのは、市民の圧倒的な言葉だった」という意味のことを言った。また、それは成功するあらゆる「革命」で表出する現象だろう。この写真を、権力の代表である警察庁が掲示していることの意味は大きい。



そして「1987・6月民主抗争」は、ときの盧泰愚大統領から、軍人の独裁政権から平和裡に、「直接大統領選挙」「金大中などの政治犯の即時釈放」などの成果を勝ち取った。




朴青年の愛用していたギターや家族写真、眼鏡や腕時計の展示があった。


その上の階を上がると、緑色のドアが続く取調べ室が続く。


その中の902号室だけは、朴鐘哲の亡くなった部屋ということで、少し加工されている。昔はこんなふかふかのベッドはなかったろうに。しかし、水責めをされた浴槽は、そのままらしい。



階下の資料室にも、後に浴槽を調べている写真が展示されていた。



確かにそのままだ。





他の部屋は、だいたいこんな感じ。
朴鍾哲記念展示室(警察庁人権保護センター)(박종철 기념 전시실(경찰청 인권보호센터):ソウル特別市 龍山区 漢江大路71ギル 37 (葛月洞 98-8))




記念館を出て右手方向に続く警察署の取調べ人が逃げるのを防ぐための鉄条網を張った壁は、映画「1987」の検察官と対共分室長が対決する場面で使われたらしい。出て直ぐの所か、



それともしばらく行って左に曲がったところなのか判断つかなかった。






最終更新日  2018年12月20日 11時34分16秒
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2018年12月19日
テーマ:韓国!(12429)
カテゴリ:韓国旅行2012

宿は鐘路3街の2日前に泊まった宿の真向かい、ヌヌホテルである。3.5万w。

前のよりもかなり広い。見た目は近代的だったが、中味は木造。かなり古い。でもきちんと改装しているみたいで、まあ合格です。


屋台の帽子を買った。私が日本人とわかると、「私は国民学校だった」と日本語で返して来た。81歳だという。「お元気ですね。どの辺りに住んでいたんですか?」はっきり言えなかった。でも真実だと思う。これぐらいの流暢さで日本語を喋れる人は、まだまだいるだろう。





夕食は、とりあえず仁寺洞の美味しいマッコリ(トンドン酒)を飲ませてくれる店を探した。覚えのある路地を探した。​あのトンドン酒と美味しい巨大ホッケを食べさせてくれる店​はどうやら閉めたようだ。ソウルは、美味しい店が簡単に閉店する。これはどうにかならないものか?


仕方ないので、2日前に9時過ぎに入って「アジョシ、閉店です」と言われた​ユジン食堂​をリベンジ。


今は7時半。まだまだ大丈夫。ここは冷麺が美味しいらしいが、マッコリを飲むために、緑豆チジミを頼む。マッコリがキムチと共にやってくる。


これは現在のメニュー。マッコリ3000wは嬉しい。鄭銀淑さんの情報で来た。


ユジン食堂の後に、このままでは終わりたくないので、チョンノの幸福カンチブに向かう。一昨日の路地に動く幻燈広告があるのをもう一度撮る。写真にあるように、上の方から幻燈光線を照射しているようだ。



これは店の前に広げている屋台だ。中はいっぱいだったので、ここならいいと入らせてもらった。同じ、チチミの店ではあるが、鄭銀淑さん推薦の美味しいマッコリを飲ませる店である。


ジョンが高い。(後でパンチャンが豪華なためだと気がついた)でも、適当なジョンとマッコリを頼むが、本当は金山マッコリを頼みたかったけどそばにおばさんが待っている状態で、焦ってしまって名前が出てこない。釜山マッコリは、なんか名前が違う気がする。その下のトクサンマッコリをつい頼んでしまった。頼んだ時点で間違ったことはわかっていたけどもう訂正は出来ない。同じ値段、どういう味なのか、試してみよう。


全国酒類品評会一等賞受賞らしい。忠南北の酒のようだ。バンチャンは、なんとムール貝のスープが出てきた。1人で食べると大変だけど、お客様はたいてい四人組だった。これならば安く飲める。


マッコリは流石にコクがあって一味違った。4000wでこれを飲ませてくれるなんて。ジョンは、ユジン食堂のようなものではなくて、数人でつまめるものだった。なんか魚介類が入っていジョンを頼んだ気がするけど忘れた。


流石に腹がいっぱいだ。


店を辞して、コーヒー屋にしけこむ。マッコリはカバンにこっそり入れた(結局飲めなかった)。
ホリィズコーヒー。21時37分。一時間弱日記をつける。


現在23時51分。寝ていた。飲み過ぎた。宿に帰ろう。
今日の費用
朝食4200 電車1400 カード10000 昼食7000 電車46800 コーヒー2500 図録76000 帽子5000 宿35000 ユジン食堂10000 幸福カンチブ17000 ホリィズコーヒー4100
計230000
歩数 27274歩






最終更新日  2018年12月19日 15時15分58秒
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2018年12月18日
テーマ:韓国!(12429)
カテゴリ:韓国旅行2012
地下鉄の金大中コンベンションセンター駅で降りて、5.18自由公園に向かう。その前に駅で昨日チャージしたはずのTモニイカードが0円になっていた。あのやる気のない女店員からレシートをもらわなかったのを後悔していたら、案の定だ(多分エラーが出てもそのままにしたのだろう)。一万wはドブに捨てたと思って新しいのを買う他はないようだ。コンビニで一悶着あって、一つ買う。



昼食。バイキング方式の食堂だった。牛肉カルビとあとはスープ、ご飯類と6食ほどのパンチャンをつける。近隣の人が次々やってきてつけ台帳で食べていた。

金大中コンベンションセンターの無駄に大きいこと。金大中がノーベル平和賞をとったことで、この権威主義的な建物が出来たとしたら、それは韓国の負の部分かもしれない。

ただ金大中展示室は、予想に反して小さいものだった。一階の1/10ぐらいのスペースしかとられていない。


大統領の任命書。

金大中が死刑宣告を受けて服役していた時の服。

そこから北に少し行ったところに5.18自由公園(5.18자유공원)がある。これもかなり広い。

自由館に入ると、代表的な5.18の民衆美術が迎えてくれる。「行こう!道庁へ」


「民主!民主のために血が流される」



そのあと、尚武台や(逮捕者を拷問などした)軍関係の施設に向かった。残念ながら、工事中で見学出来ず。本来ならば、憲兵隊中隊内務班、憲兵隊本部事務室、憲兵隊食堂、営巣、法廷(軍事法廷)などの施設を見ることが出来る。
入り口管理人の方が日本語が出来た。少しお話を聞くことが出来た。
「光州民主化運動の犠牲者は5000人以上と聞くけど、本当は何人なくなったんですか?」
「負傷者も入るので、死亡者はまだよくわかっていない」
「だいたいどのくらいですか?」
「700人ぐらいと思う」
「それでも多いですね」
「私はその頃、専門学校の生徒だった。全南大学の近くに住んでいたけど、5.18の時に父親が市内を見に行って、そのあとは「絶対に家を出るな」と言われた。だいたい5.18から10日ぐらい。その前は大学のデモも見ていた。家に居る時も、銃の音が聞こえてきた。」
貴重な話を聴けて、思わぬ収穫があった。全南大学の辺りでも軍は銃を使っていたのだ。「軍だけではない」と彼は言っているし、そうだとは思うが、道庁前だけではなかったのだ。ホントに市内全域が内乱状態だったのだ。

駅内は、人権ロードになっていた。自治体が、たとえ金大中の影響とはいえ、こうまでも「人権」という言葉を尊重していることに、驚いた。



もちろん、人権は福祉やその他大きな意味で捉えているようだ。フリーの書籍も置いていた。光州5.18運動は、「基本的人権」「生存権」「抵抗権」を認めさせた運動だった。それを一言で言えば、「人権」ということになるのだと思う。私は、次の日に、8.17の各施設でも、これらの認識が貫徹されていることに驚くのである。今になって言えば、韓国は「人権大国」なのだ。

KTXは、今度はチケットを買うと出発まで5分しかなかった。充電ができるKTXだった。



あっという間に着いた。時間があったので、龍山からニ村まで行って、中央博物館に寄った。

観覧目的ではなく、図録を買うためである。「国立中央」なので、特別展その他の図録は豊富にあるはずだ。結果的に大きな収穫を得た。日本語版の図録を4冊、しかも「中央博物館ガイドブック」「中央博物館解説の土器編」そしてまさか発行されているとは思わなかった「金海博物館」と「光州博物館」の日本語版図録である。7.6万wと大きな買い物だったが、またこれからの荷物がかなり重くなったが後悔はしなかった。また、機会があれば中身を紹介したい。






最終更新日  2018年12月18日 16時03分58秒
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2018年12月17日
テーマ:韓国!(12429)
カテゴリ:韓国旅行2012

5.18運動記念館は、光州民主化運動記録がユネスコ世界記念遺産に選ばれたのを契機に開館した。昨晩充電に失敗して急きょホテルに戻って充電中でカメラがないので、スマホから撮った幾つかの写真のみ載せる。


日本語パンフの中のユネスコ世界記録遺産国際諮問委員長(ロスリン・ロッセル博士)の「5.18民主化運動記録物世界記録遺産登録の意義」を全文載せる。

5.18民主化運動は、不義な国家権力によって踏みにじられた国民の尊厳さと権利がどのような悲劇を呼び起こすのかを赤裸々に語ってくれる事件である。5.18民主化運動の記録物は、光州民主化運動の勃発と鎮圧、以後の真相解明と補償などの過程と政府、国会、市民、団体、そしてアメリカ政府などが作成した膨大な資料を含む記録である。

5.18民主化運動は韓国の民主化は言うまでもなく、フィリピン、タイ、ベトナムなどのアジアの様々な国の民主化運動に多大な影響を与え、民主化の過程で実施した真相究明及び被害者への補償も他の国々の良い例となったという点で高く評価された。世界の学者らは、5.18民主化運動を「転換期の定義」という過去の清算で最も規範になる例であるという。

南アメリカや南アフリカなどの地で発生した国家暴力や反人倫的な犯罪行為に対する過去の清算事業は断片的に行われた反面、光州では「真相究明」、「責任者の処罰」、「名誉回復」、「被害補償」、「記念事業」の五大原則が全て貫徹された。

5.18民主化抗争は大韓民国の民主化の過程で中枢的な役割を果たしただけでなく、東アジアの様々な国での冷戦体制を解体し民主化を成し遂げるよう影響を与えた。1980年代以降、韓国の前例に従いフィリピン、タイ、中国、ベトナムなどの国々で民主化運動が起こった。

“この記録遺産は、人間が経験できるもっとも残酷な死を照らし、描写できないほどに残酷な人権侵害について語ると共に、極度の逆境と迫害をものともしない人間勝利への記録物を含んでいます。彼らの訴えは絶対に忘れられてはいけません。人類の良心と記憶の一部として永遠に語り継がなければなりません。”

これを、旅から帰って来てから読んで、私は今回の旅の意味を初めて覚(さと)った。

光州民主化運動にしても、1987年民主化運動にしても、学ぶべきは、五大原則(「真相究明」、「責任者の処罰」、「名誉回復」、「被害補償」、「記念事業」)であり、韓国の歴史の教訓から勝ち取った「人権感覚」であったのだ。これこそが、日本に徹底的に欠けている部分である。エセ知識人たちがうようよ居る日本の官僚・政治家、報道陣に決定的に欠けている部分である。
旅の至る所で、私はこれらを感じた。おいおいと書いていきたい。

さて、写真はないけど展示の説明。
一階は、印象展示。
二階に主な展示がある。
日本語の無料運動解説書はあったが、図録店はどうやらない。公式図録を聞いたが置いてないということだった。展示物としてはあったので、販売していないのは何故なんだろ。​無料配布の「光州民主化運動」について​は、既に書いた。

5.18を扱った作品は、映画では「26年」、90年代に「ペパーミント・キャンディ」「光州5.18」「タクシー運転手」である。漫画では、「26年」3巻と「アム?」がある。
証言の採集も記念館の役割であるが、ビデオに出てくる男女がほとんど私と同じ年代ということにすくなからずショックを受けた。そうなのだ。「光州事件」は私が二十歳の時に起きたのだ。

錦南路の道庁前にある光州YMCAの中に少し入ってみた。当時、抗争指導部が自主屋内集会を開いた場であり、銃器組立訓練を行っていた場である。道庁と並んで最後の抗争地だった。弾の跡がないか、見たが見つけられなかった。現役の事務所があるので、早々に去ったが、中は木造だった。



道庁と噴水を錦南路側から撮る。
文化殿堂を少し回って、宿で荷物をとって、地下鉄に乗った。






最終更新日  2018年12月17日 09時35分00秒
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2018年12月16日
テーマ:韓国!(12429)
カテゴリ:韓国旅行2012
11月末に光州とソウルを旅したレポート再開します。3日目は4回に分けて書く予定です。今までのレポートは左のカテゴリーの「韓国旅行2012」に収められています。

11月27日(火)晴れ 3日目

朝8時過ぎに、楊林洞歴史文化マウルに向かった。宿から歩いて10分ぐらい、光州川を渡るとすぐのところにある。

昔からの家屋が多く遺されているらしい。これはマウルの外れにある南平文氏居宅。

クラシックギター通り。

しかし、私は完全に観光地化された住居群には興味はなく(時間的にも中まで入るのはむつかしいし)、その周りの普通の家を見て回った。これは入り口近く、壁絵。私はなかなかの傑作だと思う。光州は、ビアンナーレが開催されるだけあって、美術的にも優れた壁絵が多い。





5.18を支えたお母さんたちの団結の場である建物があった。「5月のお母さんの家(오월어머니집 )」という。亡くなったのは、ほとんど若者だった。怪我をした若者はその数倍は居ただろう。だから、お母さんの心痛、そして子供を理解せずにいたことなど、そのあとの闘いに参加したお母さん、しなかったお母さんの心持ち、語り合うことは、金剛山ほどにはあるだろう。写真のオモニたちの笑顔が眩しい。後で記録館の本を読むと、1番最初に立ち上がったのは、お母さんたちだったと書いていた。オモニ偉大なり。





そこから、少しまた路地に入ってみた。

そしてペンギン村入り口にたどり着く。

その入り口に光州従軍慰安婦像があった。

ここには、少女とその成長したお母さん2人の像が居る。だから、ソウルのとは別物である。でも、まがい物も許してしまう。それが韓国なのだろう。















ペンギン村は、それこそ、美術村である。







また、様々な主張を表現する場でもある。


少し、離れると、絵画的表現で優れた壁絵が多くあった。


これなんか、好きだ。


イチョウの葉が雪のように青い屋根に積もっている。


これは観光施設の一つ、李章雨家屋。


居宅なので、写真撮影だけが許されている。


朝食は、途中のパン屋さん(楊林パン屋)で買ったパンとコーヒー。光州の4大パン屋の一つらしい。中は、ふわふわではなく、タマゴペーストに濃く詰まり、漉し餡が入っている。ボリュームもあるが、濃くもある。


食べて居る時に目の前の木に「登るな!!!!」と、注意書きを書いている木を見つけた。確かに登れそうな木だ。でも、子どもはこういう木に登って落っこちて強くなるのである。でも、そんなことは言ってはいけない時代なのだろう。韓国の親の世代の現代化が垣間見れる現象だと思う。






最終更新日  2018年12月16日 08時01分01秒
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