マーラーのある生活-インバル指揮都響による交響曲第3番
先日、エリアフ・インバル指揮、東京都交響楽団の演奏によるマーラーの交響曲第3番を聴いてきました。2012年度と2013年度にかけてマーラーツィクルスが開催されています。インバルと都響は、マーラーにかけては定評のあるコンビネーションで、3月の「大地の歌」はCD化され、在庫切れが生じている人気のようです(昨日、Amazonで確認)。(インバル&都響 マーラー「大地の歌」2012年3月収録) そこで、3番の感想、です。とても良かったです。演奏後は「ブラボー」の嵐でした。さすがはマーラー演奏では現在最高位にあるとされるインバルの指揮です。都響は、そのインバルから「マーラーに必要とされるあらゆる表現法のパレットを手に入れた」と今回の成長ぶりを高く評価されています。インバルと都響との全交響曲ツィクルスは1994年以来の再演ということで、大きな期待がかかっています。これぞオーケストラ、金管から木管、弦楽器から管楽器へ、そして大きく響き渡る太鼓やティンパニ、さらにハープと独唱、合唱までもが入れ替わり調和そして分離して共鳴し合う壮大さに圧倒されました。完成された演奏というより、テーマが明確に表現され、はっきりした心地よい響きに体を任せたくなる別世界を味わいました。私の席が、第3楽章の「ポストホルン」がわずかに見える位置だったので、扉が開いて「そろそろ来るな」という予想も出来て、隠しものの「ポストホルン」も別の楽しみ方が出来ました。私は専門家でないので、印象的な表現で感じたままの感想しかできませんが、聴いてて圧倒されたり、どきどきしたり、また軽快なリズムに楽しんだりと、100分以上にわたる演奏が短く感じるほどぞくぞくさせる演奏でした。 マーラーの3番は、かつてギネスにも載っていたほど長時間に及ぶ長大な交響曲です。第1楽章から第6楽章まで、休みなしで約100分です。その長さにもかかわらず、聴衆が飽きることなく明暗、軽重が見事に組み合わされて各テーマをはっきり示していく変化に富んだ楽曲です。マーラーは「自然の無生物状態から始まり、ついに神の愛へ高まっていく」巨大な叙事的プロセスを描くことを意図していたそうです。そこで、まず第1楽章は「牧神が目覚める。夏が行進してやってくる」から始まります。途中、草花や鳥が語りかける、夜が人間の苦悩を告げる、天使が語りかけてくる。最終楽章は「愛が私の語ること」つまり、自然の目覚めから「神の愛」へと高まって一曲が終わります。その中に、マーラーは「ニーチェの思想」と「民話的なキリスト教世界」を折り込み描き出していきます。長いだけでなく、テーマと思想が込められた、その意味では難解で奥深い音楽世界です。しかし、そのテーマは「自然の目覚めから神の愛へ高まり」で、特に終楽章(第6楽章)は、ゆっくりと感動のこもった主題が繰り返されて、とても美しい曲調です。つまり、目覚めに始まりゆったりと美しい愛に包まれて終わる楽曲です。そこで、私は、最近この「マーラー3番」を通勤の行き帰りに聴いて、一日の始まりは第1楽章の「目覚め」、1日の終わりは第6楽章の「愛」で閉じるという試みにはまっています。1日を「マーラーで始まり、マーラーに終わる」と、勝手に楽しんでいるわけです。本来、そんな日常的なテーマではないのですが、第1楽章はすっきり目覚めさせてくれますし、終楽章は、嫌な気分も忘れさせるゆったりした心地よい気分にさせてくれます。音楽は、基本的に「音を楽しむ」ものでしょうから、あまり難しく考えずに自分なりに「マーラーの一日」と決めて音楽を聴いています。「マーラーの3番」は、名盤や定番CDがいくつか出ているので、インバルに代えて、バーンスタイン(こちらが定番だそうです)やテンシュテットなどを聞き分ける努力をして、これも出来ないながらも楽しんでいます。インバルのマーラー3番はこちらがおすすめです。かなり音質が改善された「Blu-specCD」です。(エリアフ・インバル、フランクフルト放送交響楽団:マーラー交響曲第3番)以上、勝手な「マーラー生活」にはまっている今日この頃です。