江戸の「判じ絵」-「絵」でことば遊び
「 江戸の判じ絵 ~再び これを判じてごろうじろ~」という企画展を見てきました。東京・渋谷にある「たばこと塩の博物館」(渋谷駅から徒歩10分)で11月4日まで開催中です。これは、何の絵でしょうか?(勝手道具判じもの)以下、上記博物館の解説にはこうあります。「絵」を判じて(解く・推理する)答えを導き出す「目で見るなぞなぞ」を「判じ絵」「判じ物」といいます。もともとは、ことば遊びの一種で、近世以降に流行を繰り返し、次第に形が整えられていきました。幕末には、問題の答えとなる言葉を、まず音節(音・単音の読み)に分解し、ばらばらになった音を任意に再結合するなどして、異なる意味の単語を作りだす形式の判じ絵が大流行しました。例えば、象と金太郎の上半身の絵を「ぞう」「きん」と読み、雑巾という答えにまで判じるようなことです。江戸時代の人々は、こんな視覚的ななぞなぞを身近に楽しんでいたのです。「判じ絵」とは、「目で見るなぞなぞ」であり、「ことば遊びの一種」と定義しています。江戸時代以降にはやりはじめて、幕末には大流行したそうです。上記解説を書いている同館の主任学芸員である岩崎均史氏は、小学館から「判じ絵」に関する楽しい本を出版しています。『江戸の判じ絵 これを判じてごろうじろ』(2004年1月 小学館)同館のwebページには、次のような「判じ絵」が載っていました。上は、そのものずばりで「足」の頭にに濁点で「鰺(あじ)」。下は、天神様が半分で「てん」、「歩(ふ)」に○と「とら」の後ろ半分で「ら」=「天ぷら」です。絵を読み解く「読解力」と頭を柔らかくして考える「思考力」、そして「ひらめき」が問われています。日本には、とても面白い「絵遊び」があったのです。博物館で立派な「図録」を買ってきました。なんと「1,500円」という破格のお値段、中には「判じ絵」がぎっしり詰まっています。さて、こうした「判じ絵」を含む「判じ物」にも長い歴史があります。岩崎氏は「図録」で「判じ物」「判じ絵」の系譜と歴史について考察しています。「判じ物」は、「ある意味を文字や絵などに隠して示し、人に考えさせて当てさせる」ことをいうのである。日本に古くから存在する「なぞ(なぞなぞ)」の一種で、言葉や文章・絵などで提供されるクイズということになる。判じ絵は判じ物が絵によってなされたもので、「目で見るなぞなぞ」や「非文字のクイズ」といえる。言葉の意味から領域を考えれば、判じ物には判じ絵も含まれるが、あまり区別して用いられず、同義として用いられることが多い。他に「さとり絵」「考え絵(もの)」「なぞ絵」などという呼び方も一部に見られる。判じ物が、いつ頃から存在したかは不明だが、平安後期から連綿と行われていた「ことば遊び」が応用されていると考えられ、また、中世以降のさまざまな「なぞ」(現在の「なぞなぞ」「クイズ」)が判じ物の形成に関係している。視覚的な絵を含むものとしては、和歌と、それに詠まれた情景を関係させる「歌絵」、文字を隠して描き、そこから和歌を連想させる「葦手絵」なども判じ絵とのつながりが想像される。以前にも書きましたが、日本の「ことば遊び」には、長くて深い伝統があります。日本人は「ことば遊び」が得意にして、大好きなのです。例えば、和歌の世界では「掛詞」や「隠し題(物名)」という言葉を重ねたり、隠す技巧があります。「意味を文字や絵などに隠して示し、人に考えさせて当てさせる」という意味では、こうした和歌の表現技巧も「判じ物」の一種と言えるでしょう。そう考えると、「判じ物」「判じ絵」は「ことば遊び」の系譜に連なるものであり、広義に考えれば、奈良時代の万葉仮名に見られる戯訓なども「判じ物」の範囲と考えることが出来ます。「ことば遊び」に連なる「判じ物」は、言葉が出来た昔から、現代まで脈々と続いてきた日本語の歴史の一部であると言えます。「判じ絵」は、私たち日本人にとって大切な文化伝統と言うことが出来るのです。>「たばこと塩の博物館」特別展の展示期間・時間等の詳細情報は以下リンクをご参照下さい。 江戸の判じ絵 〜再び これを判じてごろうじろ〜本館 特別5・4室にて 2012年10月10日(水) ~ 2012年11月25日(日)