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カテゴリ:越後妻有より
芸術祭まであと2ヶ月を切って、やること山積み、たぶんやってもやってもやっても終わらないから、最低限やらなきゃいけないこと、次に重要なこと、出来たらやること…の順にやっていって、ある時点でバスッと切らなきゃいけなくなってくる。
出来る限り、切りたくない、切りたくないけど人間には限界がある。 なので、猛スピードでも淡々と、頭に血がのぼらないように、を心がけてやる。 そんな「芸術祭モード」の日々のなか、私の本は私の中で横に置かれている。 常に心の中にあるけれど、本のことで積極的なアクションは起こせない、心理的・物理的状況。 ただ気になっていたのは、フランスで出版までお世話になった人々や団体に本を送ったのに、なーんのリアクションもなかったこと。 どういう意味なんだろう? 届いてないってこと?(そんなわけはない) あっちも忙しすぎるから?(それはありうる) フランス人好みの本じゃなかった?!(考えたくないけど、それもありうる!!) あと、日本語だらけで「?」過ぎて、反応しようがないとかさ。 なんとなくそういう疑問符が頭の中にわらわら沸いていて、気分がすっきり晴れなかった。 それが昨日。 パソコンをあけると、一気に4本の新着メール。 なんじゃなんじゃ?! それぞれに全く別な場所から、なぜか同日に「本を見たよ!」メールが届いた。 ジュロからは「ブラヴォー!正直、こんなに素敵な本だとは想像していなかったよ。表紙はサーカスっぽくないけどデザインが目をひくし、中のレイアウトも最高。それからレクザインの写真を載せてくれて本当にありがとう。…ほら何行も、僕が褒め言葉しか書いてないんだよ、すごいことだよ!」 オールレミュールのジャン・ディーニュから。 「夏のSTRADDA(オールレミュールの刊行している雑誌)にこの本について掲載したいと考えている。たぶん欲しいという人が出てくるから、君の連絡先も載せておくよ…」 そしてジャン=バティスト・アンドレからは、本の出版について報せてなかったから本のことじゃないけど、私の最近考えてることを見透かしたような便りが届く。 「しばらくメールしていなかったけど、元気だった?越後妻有のプロジェクトは順調に進んでいる?…つい最近ダンサーとの仕事をして、ものすごく良い刺激を受けたよ。今度は初めて、集団での舞台を創る。僕にとって大きなステップだ。それからいま、来年再来年くらいに、また日本で何かできないか考えているんだ。すでにある作品の公演か、もしくは現地での特別制作か…」 そして彼は付け加える。 「いま興味があるのは、真っ白な中、それか自然の中、そしてランドアート」 そのイメージは私の心にズバン!と刺さった。 いまやりたいのは、「ちょっとやってみる」程度のものではない、サイトスペシフィックな公演。私たちがそのプロになる。 妻有以上に、このプロジェクトに相応しい場所はないのではないか、とすら思い始めている。 比類ない自然と人間の共同作業、造形美の棚田。 河と、山と、河岸段丘。 その中に、世界でも屈指の作家たちのランドアートが点在する越後妻有。 ここで舞台をするなら、この環境を生かしきる方法が、行くべき道であろう―。 そんな風に考え始めている。 越後妻有が全てだとは思っていない。けれど、ここには生かすべきものがまだ山のように眠っている気がする。 もちろん、当初考えていた以上に様々な問題もある。 それらとどう折り合いをつけるか、それはまだ自分にははっきりと見えない。 けれど、ジャン=バティストが提案しているものは、少なくとも今私が見ようとしているものと触れ合ったところにあるように思えた。 真っ白の中、それは都会の劇場を思わせる。(もちろん、劇場で真っ白な空間というのは、真っ黒な空間に比べてさほど多くないかもしれないが) そして自然、ランドアート。 私たちが生きるのは、田舎だけでもなく、都会だけでもない。 現代を生きる私たちは、ほとんど避けようもなく、その両方にまたがっている。 だから、その二つを結びつける展開が必要なのじゃないか? フランスと日本、田舎と都会、本と現実―。 遠いようで、いま、何かつながり始めている気がしている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009年06月05日 08時42分43秒
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