イモラの要塞
イモラの町の中心部から少し、北西に歩いてゆくと、緑の芝生に覆われた公園のような広場があらわれ、その向こうにスフォルツァ家の要塞が見えてきます。ヴェネツィア年代記に、「最高の精神と度胸を持った女、疑いもなくイタリアのプリマ・ドンナ」と記されたカテリーナ・スフォルツァ。彼女の領土の西端にあるこの要塞は、堅固な構えでありながら、どこか優美な美しさがあります カテリーナ・スフォルツァといえば、最初の夫であるリアリオが家臣によって暗殺されたとき、陰謀者たちが彼女の子供を人質にとって降伏を迫ったときにその気迫と機転によって城砦を守ったという話が有名。城塞に立てこもったカテリーナに、子供たちに剣を突きつけて降伏を迫った謀反者に対し、城塞の上に立ち上がった貴婦人はやおらスカートを捲り上げると、「馬鹿者め!子供などこれであといくらでも作れるのを知らぬのか!?」と、大声で怒鳴ったとか・・・「これで」っていったいどれのこと??なんてちょっとドキドキしちゃいますが夫の暗殺の数年前に、父親を暗殺されていたカテリーナ。陰謀者たちは度重なる不幸にうろたえる貴婦人をイメージしていたのかもしれませんが、カテリーナも女性とはいえ、一介の傭兵隊長からミラノ公爵へと成り上がったスフォルツァ家の娘。この、あまりにも想定外だったカテリーナの反撃によって呆然、唖然とする陰謀者たちから無事に子供たちを保護し、その後10年以上にわたって領土を守ってきたカテリーナ。その気概の政治はしかし、弾圧と恐怖をもって領民を苦しめたため、やがてイタリア統一をもくろんで進軍してきたチェーザレ・ボルジアに対し、イモラの民衆は待ってましたとばかりに城門を開き、若き侵略者に対して「リヴェラトーレ(解放者)!」と熱烈歓迎。それを知ったカテリーナはイモラ市民の人質をすぐに絞首刑に処してしまいます。1499年11月25日、イモラの町へ入城したチェーザレ・ボルジアは、カテリーナの重臣ナルドが守るこの要塞を包囲します。領主カテリーナはというと、領国の首都であるフォルリの防衛線をはるために必死で、度重なるナルドの援護要請に応えることができず、ついに12月13日、イモラ城代ナルドはボルジア軍のまえに降伏します。 今では静けさに包まれているこの要塞にも、砲弾が降り注ぎ、兵士たちが駆け巡った時代があるのですね~。チェーザレ・ボルジアも、この橋を渡って入城したのでしょうか。 イモラの要塞を手に入れたチェーザレ・ボルジアはその後、休むまもなくカテリーナの立てこもるフォルリへ攻め込みます。12歳年上の貴婦人に対し、畏敬の念を抱いていたといわれるボルジアの風雲児、チェーザレ。降伏すれば生涯、年金つきの平穏な暮らしを保障するとの申し出をはねつけたカテリーナは、子供たちや宝石といった財産を、3番目の夫の実家であるフィレンツェのメディチ家に預け、フォルリの城塞に立て籠もります。みずから剣を取ってチェーザレ・ボルジアに真っ向勝負を挑んだイタリアのプリマ・ドンナは最後はまたしても見方の家臣に裏切られるという形でボルジア軍にとらえられ、ローマに幽閉された後、2度と再びエミリア・ロマーニャの土を踏むことなく、フィレンツェでその波乱の生涯を閉じます。カテリーナの領土で、最初にボルジア軍に扉をひらいたイモラでしたがその後、ボルジアの没落とともに、周囲の町が次々に復権する中、最後までチェーザレ・ボルジアに忠誠をつくしたのだそうです。この小さな町がそんな歴史の舞台になっていたとは知らず、今までF1でしか知らなかったこの町。。。今ではとっても大きな存在に思えてしまったのであります。