ポンペイの青。
ポンペイの遺跡から、ベスヴィオ火山を臨んで。もともとは、富士山みたいにきれいな独立形の山だったベスヴィオも、ポンペイの町を飲み込んだ大噴火によって、山の大部分がえぐられたような現在の形になりました。・・・あれだけの土砂が一晩で降り注いだら、ひとたまりもありませんよね~世界に類を見ない大惨事となったベスヴィオの大噴火については、2000年たった現在もいろんな推察がされていますが、当時15,000人を数えたポンペイの人口のほとんどが命を落としたのは、降り注ぐ火山弾や灰だけでなく、噴火口上空で真空状態に圧縮された数千度にもなるという熱風が、風向きでまっすぐにポンペイに吹き降ろしてきたからだとか。 空高く上がった噴煙で、昼間でも夜のように真っ暗になってしまった空からは真っ赤に焼けた火山礫と、呼吸と視界をさえぎる火山灰が降り注ぎ、さらには一瞬で命を奪う恐ろしい熱風が、建物の中などに隠れていた人々にさえ襲いかかる。。。まさに地獄絵そのものであったかと思われます。今なお発掘が進められているポンペイの遺跡ですが、そうした大惨事によってこそ残された、当時の生活をより詳しく私たちは見ることができるのですネ。この写真は、当時のローマ神話の神々を祭る神殿の跡。 整然と区画整理された町並みですが、驚くのは、道路がきちんと舗装され、歩道と車道とにわけられていること真ん中、車や牛馬が通る道は、溶岩を並べて舗装してあり、その両側に一段高く歩道が作られています。 道の両側の建物の中はというと、身分の高い家ほど豪華な装飾や壁画が残っています。 この壁画もなかなか、立派なものです。壁画の前のガラスケースに入っているのは、2000年前に命を落としたポンペイの住民の遺体。火山灰の中で、長い年月をかけて肉体は滅びましたが、肉体を包んでいた火山灰がちょうど、鋳型のように空洞になって残っていたため、石膏を流し込んで遺体の復元に成功。一瞬の惨事に巻き込まれた人の生々しい表情までがしっかりと再現されていました。・・・さて、ポンペイの壁画といえば、「赤」が有名です。鮮やかで、ともすれば退廃的とも言える朱赤の壁画は「ポンペイの赤」と呼ばれて見る人をひきつけます。・・・でもね、 ポンペイは「赤」だと思って歩いていたら、こんなキレイなブルーの壁画も見つけたんですよ~~♪