保育に欠けるから「保育園」ではないわけで…~3歳児神話を信じないという勇気
先日の「保育園全入時代~」というブログにご意見を頂いた皆さま、ありがとうございました!この小さな記事に目を留めて、また貴重なお時間を割いてご意見くださったこと、とても嬉しく思っています。ありがとうございました。私たち対話の場すらないのですね。本当にそれが寂しい。■□■□■□■□■□■□■□■□保育園にお子さんを通わせている方からは賛成!と。違う選択をされた方からは、これまたさまざまな賛成と反対が。本当に多種多様で、まさにここだけを切り取ってもダイバーシティに富んだ層の読者の皆さんがいらっしゃることに驚きと感動を覚えました。心からありがとうございます。さてさて…賛成票を投じて下さった皆さまには、これからもどうぞよろしく!働く一社会人としてもよろしくお付き合いくださいとお伝えします。そして本当に申し訳ないのですが、ざっくりまとめさせて頂いて、「保育園反対票」を下さった皆さまにももしまだこのブログを読まれている方がいらっしゃるとするならば…少しだけメッセージを記しておきたいと思います。お返事を差し上げられないスタイルで投稿下さった方もいらっしゃるので…。生意気な発言に聞こえたらごめんなさい。私たち夫婦が保育園を支持して子どもを通わせているのは、第一に「子どもにとってベストな環境がそこにあるから」なだけで、たとえ仕事をしていなくても、認証保育園の戸を迷わず叩きます。(実際に転勤で東京に戻った時も、すぐにクラス開催が叶わず、私は数ヶ月間浪人生活を送りましたが、その時最初に行ったことは保育園探しでした。)それだけです。実にシンプルな理由で保育園を支持しています。決まった時間にいつもの仲間と一緒に遊ぶことができて、大好きな先生もいて、栄養バランスの整った食事やおやつが定刻に出てきて、お昼寝もあります。買ったばかりのじゅうたんにオモラシ!?などと怒られることもなく、ジャガリコ、これが最後だよ!と嫌みたっぷりに言われることもなく、親の勝手な「出かけたい欲望」に付き合わされることなく、好きだか嫌いかもはっきりしない習い事に、「体力が有り余ってるから」などと言われて通わされることもなく、かけっこも鬼ごっこも、ふざけっこもとことん付き合ってくれるひとたちがいる。保育に欠ける子どもだから預かってる、ではない、ガチで子どもと向き合うことを仕事としている人がいる場所。幼稚園ではなく保育園。覚悟が違う。私たち夫婦にとってこれ以上の場所はないと判断しました。だから保育園です。もちろん沢山見て回りましたし、当り前ですが、それ相応のコミュニケーションもたくさん積み重ねてきましたよ^^巷でよく言われる「3歳までの子どもに大丈夫?」という心配、例えば、愛情が薄まらないか、十分と言えるのか、…ですが、これらのご心配も分からないではないのですが、「この私のあっという間に来る限界に比べたら、比べようがありません」としか言いようがないのです。もちろん親ですから、愛情を持って育てています。でもそれ以上の無限大の元気さ、しつこさ(笑)、遊びへの執着をもっているのが生後6ヶ月くらいからの子どもというものです。本当に子どもというのはすごい信じられないエネルギーを持っていることを自分の子どもを育ててみて初めて知りました。実に…スゴイ!つまり子どものスゴさを知り、私たち親の限界を知ったとき、自分の生ぬるいお出かけなんぞに子どもをつきあわせてる場合じゃないと心底思いました。それまでの「私たち親がみていれば」がどれだけ欺瞞で満ちたものであったか、自分たちを買い被った「うすっぺらい定説」に思考が停止していることを知った時、反省の気持ちでいっぱいになりました。そうですね、今振り返ると、まさにこれは善き母に育てられた私のDNAレベルでの刷り込みの結果かもしれません。だから私たち世代にあまり罪が無いのかも…とさえ思ってしまいます。母親が、親族が、子どもをその傍に置いておくことの美談を作り上げてはいまいか…とね。つまり私にとって「3歳児神話」は動悸はするものの、全く持って支持出来ない、というのが今の気持ちです。ある意味、勇気要りますけど(笑)。でもそれは品行方正で成績優秀、運動も音楽もバッチリ!な子どもを保障するものでも何でもないんですよ。9歳の娘は「お湯」を「お場」とか書いてる不安定さですし~、ヘンに理屈っぽくて社会のテストなど、ど☆エライことになってます(笑)。そんな娘に育ってますが、それでももう一度「密室子育て」は選択しないと思います。(定期的に祖父母にお願いして…の保育も含みます)それでも体力に任せて「元気で子どもとよく遊んでるね」的な評価を頂いていた私(どんな評価!笑)がそう思うのですから、本当です。よその子も含めてホント良く遊んでたんですよ!それくらい「親」の存在というのは危なっかしい。今の時代の親が弱くなったのではなく、より危なっかしくなる条件が揃い過ぎているのです。そしてココが炎上するのを覚悟で申し上げるなら、子どもの粘り強い元気さや遊びへの執着に、保育園並みに応えられている母親というのを、実はまだ見たことが無いのです。…というかそこまでの子ども好きを自称されていた方にはぜひ、「保育士」の道を歩んで頂きたいな~と思います。でもそれがもし「自分の子どもだけがかわいいのであって、よその子は…」というのでしたら、ごめんなさい、やっぱりそれは大人の勝手なような気がしてなりません。「我が子だけが良ければ」…という思想に繋がりそうで、やっぱり怖いです。とても。☆,。.:*:・゜'★' '☆,。.:*:・゜'★'*:・゜'☆,。.:*:・゜'ここからは保育園問題でありながら、自分の中へのトリップすることになります。ここまで追い詰められて初めて気づきました。なぜ保育園の門を私は叩かないのか。叩けないのか。それは「仕事に就いていないから」ですね。ではなぜ仕事に就いていないのか。夫が忙しいから。転勤族だから。高齢出産だから。専門分野が無いから。何より出産で退職しちゃったから。書けばいくつでもそれらしき理由はあるのですが、いくつ書いても、自分に戻ってくる答えは一つなんですね。「子育てに夢中になってまして、世間に出るの、もう億劫になりました。忙しいのとか苦手で」。なので「子育てが忙しい」と言い訳して、忙しいと言う夫に自分のこれからのことを相談することもなく、また、子育てに非協力的と話しあう前から諦め、転勤族というだけで、仕事が無いと決めつけ、高齢出産だから、余生は静かに…と子育てを老後とすり替え、専門分野を勉強するには、お金も時間もかかり過ぎると探しもせず、ちょうどいいかなー、もう飽きたしと出産を機に退職を決めたりしました。よく考えると仕事も伸びてなかったなー、つまり行き詰まってたんですね(笑)。そこに妊娠か…。30代、右往左往だなぁ。えっと名誉のために書き添えますと、私より何倍も上手に子育てします、夫は!(その機会を奪ってただけでした、きっと)えーっと、だから私は無職だったのですね(笑)。ということで、保育園が選択肢に挙がってこなかったのは、なんだ!私の中の問題そのものだった!…ということに。保育園問題の下に流れる問題の濃さ・深さに、私でなくても動悸、しますでしょう?(涙)…ということで、今日もせっせと「保育園」です。もちろんイロイロありますが、それでも保育園です。だから言ってます。「全入時代へ」と。個人的には人は誰でも、男女の差なく何らかの方法で社会とかかわりを持つことをお薦めしたいです。でもそれによって子どもが保育の場を得られないくらいなら、「全入時代」が来てもいいのでは、と思うのです。かわいい子どもの為に、そして親(とくに母)の為に。☆,。.:*:・゜'★' '☆,。.:*:・゜'★'*:・゜'☆,。.:*:・゜'夕方5時の鐘が鳴るころ、私の緊張がぎゅーっと高まるのがわかります。子どもたちが帰る時間だからです。嬉しいけれど、かわいいけれど、でもでもここからの時間は格闘。そして時には大きな声も出すし、コツンとおでこをつつくこともある。無視したくなるような暴言を吐くこともある娘に、それがエスカレートせずに、まあまあの平静を保っていられるのは仕事があるから。あの仕事、この仕事を終えた、まだまだ不十分で恥ずかしいレベルだけど、終えたという(未熟な)充足感がそこにあるから、なんとかあの格闘の時間を越えられるような気がするのです。☆,。.:*:・゜'★' '☆,。.:*:・゜'★'*:・゜'☆,。.:*:・゜'「お湯」を「お場」と書く娘が大人になり結婚し子どもを持った時に、「頑張って学校にも行って仕事を得たのに、子どもが生まれたから仕事はやめてねってカレが言うの。これ何時代の話?」…そう言って娘が泣きついてくることだけは無いように。または4歳の息子が将来、「嫁さんが子どもができても働きたいとかマジで言うんだぜ、オレだって忙しいのに」なんて言って、かわいい嫁をDVまがいの言葉で責めることのないように。そしてどちらの子にも自分と親族以外、信じられる子育てのパートナーがいないなんて寂しいことがないように。私のできることといえば、「産後クラス」の開催と、語る機会の創出くらい。でもあの場が本当に大好きでタマラナイ。あの場所で小さいながらも世に問うていきたいと思います。はー、書きました。支離滅裂ながら書きました。保育園問題でいい大人が揺れる、よく考えたらこんなバカげたことで大事な時間が割かれるなんて時代、はやく終末を迎えてほしいですよねーーーーーー。ということでPCを閉じます☆