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カテゴリ:読書
(「Der kleine Koenig Dezember」 ミヒャエル・ゾーヴァ画)
著作権とか気にしながら、やっぱり本日も挿絵を紹介しちゃうの ですが、ベッドとサイドテーブルでもう満員という、王様の住まい とは思えないほど狭い、12月2世王のお部屋の、四方の壁を埋め つくす棚、そこにたくさん詰めこまれている箱。 (「Der kleine Koenig Dezember」 ミヒャエル・ゾーヴァ画) タイトルには函という字を使いました。深い意味はない、という よりどう違うのか、よくはわからないのですけど、大事なものが 入っていそうな感じがしませんか?(しないか?) 函の中身は夢です。 おじいさんから受け継いだという夢の函たちですが、王様も中身の 夢がどんなものなのかは知らず、寝るときに函をベッドのわきに 持ってきて、蓋を開けて寝ると、中身を夢に見るのですって。 一番上の絵は、最近「わたし」が見た夢です。 王様に尋ねられて、「わたし」は自分が見た夢を語ります。 「わたしはボートに座って、静かで暗い海を渡っていたんだ。でも どこにも着かない。顔の前に、ずっといつも窓があって、その窓 から、わたしは外を見ている。ボートの中に窓なんて、変だろう? でも、わたしは全然おかしいと思わなかった。ひどくノロノロと しか漕げないくらいに、気分が沈んでいたんだよ。 暗い海の上で、わたしは窓から外を見ていた。海の上には、わたし 自身がいて、ボートに座って窓から外を眺め、ボートの中に座る 自分自身を見ていたんだ。いつまでもその繰り返しだ。」 その夢が、これです。不思議な夢の不思議な絵ですね。 ところで、わたしも先日とっても不思議な夢を見ました。 夫の入院で延び延びになっていた、修理サービスの仕事を、退院 するや否やせかされ、夫は右手の自由がまだ利かないので、息子を 引き連れて、三連休の最初の二日間、一泊でお客様の工場に出か けて行きました。 二人が留守になって、静かで広々感じる家には平和な空気が流れ、 「ちいさなちいさな王様」を読んだり、珍しく午後のコーヒーを 淹れたりしていましたが、夕方、ふと眠くなって、横になりました。 夢を見たのはその時です。 夢の中でもわたしは横になっています。その隣に、小さい息子が やはり寝転がって、何か盛んに話しています。 おそらく3歳ぐらいでしょう。 小さい頃の息子は、それほどおしゃべりな子ではなかったので すが、その夢では、ひっきりなしに喋っています。 わたしには、それが夢だということがおぼろげにわかっていて、 そのわたしが、夢の中のわたしなのか、実際のわたしなのか、 それは判然としないのですけど、その声を聴きながら、そうそう、 こんな声だったっけ、覚えてたのねなんて思っています。 そして、この子は隋分はっきり言葉を話すなあなんて思っている のですけど、不思議なことに、息子の話している言葉が、わたし にはまったく理解できないのです。 普通夢から覚めても、夢の中身は忘れてしまっていることが多い し、思い出してもなんだかトンチンカンで、ぼーぜんと しちゃうことが多いですけど、この夢は、夢だと自覚しながら見て いたような感じなのに、そのくせ、目が覚めた時、今まで隣に小さ い頃の息子が寝転がっていたようで周りを見回してしまったくらい、 「夢か現か」その境目がわからなくなるような夢でした。 久し振りにドイツ語を読んで頭がチンプンカンプンになり、脳の いつもと違うところを酷使して疲れてしまったせいでしょうか。 それとも、わたしのうたた寝に、王様が夢見函を一つ貸して くださったのでしょうか。 そうそう、上の二つの挿絵を拡大して見て戴けますか? 前にアップした表紙の絵と比べるとどうでしょう? わたしにはあまり違いが判らないのですけど、この3つの絵は、 それぞれ大分サイズが違うのです。 見え方が違うようだったら教えて戴けたら、今後、スキャナを 使う時の参考にしたいと思います。 3月29日付記 ブロ友kopandaさんのアドバイスで、スキャンした絵をアップする のに、出典を明記することにしました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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