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テーマ:一人旅日記(212)
カテゴリ:お出かけ
さて、内子の旅レポを続けますね。 続きは上芳我家からです。
ここは、昨日書いた通り、二代目当主の妹にあたる方が旦那さんと一緒に築き上げた筆頭の分家です。 江戸末期から明治の数十年の間に芳我家の分家は13家になったそうです。 上芳我家が、ごく小さな作業場でわずかな木蝋の製造を始めたのは、産業革命後の工業の近代化に伴って世界的に木蝋の需要が高まっていく時期でした。この時流に乗って、夫婦は作業場を広げ、製法を工夫して商いを繁盛させていきました。本家も全ての分家も同様に時代の波に乗って業績を伸ばし、大正時代には芳我一族も内子の町も隆盛を極めました。 上芳我家も、この賑わいと共に改築、増築を行い、居宅も店も作業場も全て立派になっていきました。訪ねた時はちょうど雨が一番ひどい時で写真が撮れませんでした。こちらで写真をご覧くださいね。贅を凝らした建物、坪庭、そして作業場から、往時の繁栄が偲ばれます。 ところが店舗の二階の工事をしていた時にご夫婦の最愛の息子さんが亡くなってしまい、すっかり意気消沈して、息子のために作りかけていたその工事を途中で止めてしまったそうです。 作業途中で繋がっていないままの柱が何本も見えるのがなんだか無惨です。 倉庫にする予定だったらしいこの屋根裏も、太い柱や木の床、壁は全て剥き出しで、造りが立派なだけに、かえって悲しくなるような光景でした。 ネットにもこのことに触れた記事はありませんでしたが、Fさんが話してくださったことなので間違いはないと思います。 そのFさん、実はこの上芳我家と浅からぬご縁があったそうで、内子座で素人歌舞伎に出られてい伯父様とは別の叔父様が学校の先生をされていて、その方がご夫婦でこの屋敷の離れを借りてお住まいだったそうです。 なので、子供の頃は近くで遊んだ帰りによくその離れの叔父様宅により、お水を飲ませてもらったり、おやつを食べさせてもらったり、この庭でもよく遊んだと仰っていました。 叔父様は直ぐ近くにある内子高校の先生でいらしたのかもしれません。 余談ですが、ノーベル賞作家の大江健三郎氏は内子町のご出身だそうです。内子高校に入学され、ほんの短期間在籍されていたそうですが、すぐに松山市の松山東高校に転入されたようです。 大江さんのお話は項を改めてまた書かせていただくことにして、今は内子街歩きに戻ります。 Fさんのガイドはここで終了なので、事務所に戻られるFさんとお別れし、Nさんとわたしの2人旅になりました。このあと彼女は松山から羽田への飛行機に乗り、わたしはもう一度道後温泉のホテルに戻ります。ということでお昼ご飯と松山までの列車をご一緒することにしました。 最初に歩いた商店街まで戻り、迷いましたが下芳我邸がFさんのオススメでもあったようなので、そこでお昼にしました。 ここです。正式には「蕎麦とつみ草料理 下芳我邸」というそうですが、Fさん曰くJRの経営だそうで、実はここも重要文化財。一歩足を踏み入れて、その重厚な作りに思わず回れ右しそうになりました。 店内ほぼ満席だったので写真はネットからお借りしたものですが、 上が入り口と待合のベンチで、下がわたしたちが座った土間のテーブル席です。 雨が酷くて、靴下まで濡れていたのでお座敷には上がりませんでした。 沓脱を上がるとお座敷席です。椅子の席と座卓の席がありました。素晴らしい船箪笥が置かれていました。欄間も厚い板に透かし彫りが見事です。 お蕎麦は手打ちらしくわたしは野遊び弁当、Nさんは冷たい天ぷらそばを注文しました。 これが野遊び弁当です。 もりそばが丼に入って出てきたのでびっくり。でもお蕎麦自体は国産の蕎麦粉で香りもよく甘味もあって、程よいコシの美味しいお蕎麦でした。つゆはやや薄めだけれど(ごめんなさい、東京人なので、かなり濃いめがスタンダードなのです。)甘くなくて(個人的に、つけ汁は出汁の甘みだけで十分と思っています。)、お出汁のきいた良い感じのつゆです。 あとは漬物、酢の物、野菜の煮付けとだし巻き卵、天麩羅、五穀米のおにぎり、そしてデザートの杏仁豆腐。この素敵なお屋敷で、このボリュームで、1850円って信じられます? Nさんの天ぷらそばはお蕎麦と天ぷらとデザートの杏仁豆腐で、確か1300円くらいだったと思います。それもお安いとは思いますが、リーズナブル度は明らかにわたしの方に軍配上がりますよね。 メニューの写真を見た時、正直このボリュームは無理かなと思いましたが、お蕎麦だけでなくこのおかずを是非戴いてみたかったのです。 最初の晩の道後温泉のホテルでフレンチを戴いた時、お野菜がとても美味しかったので、慣れた調理法のお野菜も食べてみたいと思い、食べきれないかもしれないのに注文してしまいました。 そうしたら、正解!頑張ったmamatam偉い!!でした。お野菜、どれも超美味しかったのです。 愛媛県のお野菜、すごい、あっぱれです。 おにぎりは一口しか食べられませんでしたが、あとはそのお野菜のおいしさに釣られて完食! とってもとっても幸せなお昼ご飯でした。 このあとお手洗いをお借りすると、お座敷を通って廊下をぐるっとまわった裏手にありました。 お手洗いも感激するほど綺麗でしたが、中庭の素晴らしさは、廊下に座ってしばらく眺めていたいと思うほどでした。 2階が博物館のようになっていて、見学もできるらしかったのですが、時間も気になるので見ずにお店を出ました。 午後からはもうすっかり本降りで、内子のお土産なども買いたかったのだけれど、荷物になるし、とにかく早く屋根の下で落ち着きたかったので、まっすぐ駅まで行ってしまいました。 傘を差してNさんといろんなことを話しながら歩きました。 Nさん、松山にいらっしゃるのは2度目で、2度とも目的はライブだったそうです。ライブは昨夜で、今日は帰るのだけれど、内子座が改修工事に入る予定があると聞いたので前回は時間がなくて来られなかった内子に、今回はぜひとも来たくて、飛行機に乗るまでの数時間で訪問したとのことでした。 50代?と思っていたら、今年60歳になられたそう。息子さんが就職して家を出られたので、今回は身も心も軽く松山に来たと仰っていました。 あとはどんなことを話したか覚えていませんが、特急列車を待って松山まで小一時間、楽しく過ごさせていただき、駅でお別れしました。 わたしは1人で内子でお昼を食べて直ぐ松山に向かう予定で、もともと松山には午後早い時間に着くつもりでした。というのは、道後温泉のホテルに行く前に松山で寄りたいところがあったのです。 萬翠荘という、これも重要文化財に指定されている建物で、お庭も素晴らしいとことなので、そこに行きたいと思っていました。ココです。 この日も松山到着は早かったので見学の時間はまだ十分あったのですが、この時間、本当に雨が酷くて、靴の中まで濡れて靴下もビショビショな感じだし、締め付けられた足も痛かったし、邸宅の中や庭園を歩くのは翌日まわしにしようと決めて道後温泉行きの電車に乗ってしまいました。ところが翌日、これが大間違いだったことが判明し、落胆で座り込みたくなりました。 まあ、それは翌日の話ですので置いておいて、 道後温泉行きを待っていたら、砥部焼電車とお腹に書かれたラッピング電車が来て停まってくれました。行き先が違うので、これには乗れませんでしたが、テンション爆上がりの状態で、この後に来た電車に乗り、道後温泉に向かいました。 この日の宿泊はまた「オールドイングランドホテル 道後山の手」ですので、3日目はまだ終わりません。 明日に続きます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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