(ルカによる福音書4章38~44節)
『イエスは立ちあがって会堂を出て、シモンの家にはいられた。すると、シモンのしゅうとめが酷い熱で苦しんでいた。イエスがその枕元に来て、熱をしかりつけられると、熱が引き、彼女はすぐに立ちあがって彼らをもてなし始めた。
日が暮れると、いろいろ病気で弱っている者をかかえた人たちがみな、その病人をみもとに連れて来た。イエスはイエスはひとりひとりに手を置いて、いやされた。
また、悪霊どもも、「あなたこそ、神の子です。」と大声でえ叫びながら、多くの人から出て行った。
イエスは悪霊どもを叱って、ものを言うのをお許しにならなかった。
彼らはイエスがキリストであることを知っていたからである。
朝になって、イエスは寂しい所へ出て行かれた。
群衆は、イエスを探し回って、みもとに来ると、イエスが自分達から離れていかないように引きとめておこうとした。
しかしイエスは彼らにこう言われた。「ほかの町々にも、どうしても神の国の福音宣べ伝えなければなりません。わたしはその為に遣わされたのですから。」
そしてユダヤの諸会堂で、福音を告げ知らせておられた。』
イエス様が、会堂を出て『シモン』(使徒となったシモン・ペテロの事)の家に入ると、『シモン・ペテロ』の母親が(こでは姑と描かれている)、高熱を出して苦しんでいた。イエス様は可哀そうに思い、すぐに枕元へ行かれ「熱をしかりつけられた!」すると、ペテロの母はすぐに熱が引いて、立ちあがって皆をもてなし始めたという事です。
この前は『カペナウム』という町についてもお話しましたが、『カペナウム』は後に『イエスの町』と呼ばれるくらい、『イエス様』が長く住まわれ、この町を中心に活動された事で有名です。ここには、後に使徒となった『ペテロの家』や、その兄弟「アンデレ」、漁師仲間の『ヨハネとヤコブ兄弟』も住んでいました。
◎『カペナウム』の地図とお話~http://blog.livedoor.jp/sue20-momo/archives/1050818646.html
(∩ω∩`)『カペナウム』について、何で「小さな町」と書いていたか?というと、『聖地旅行』で見た時、『シナゴーグ遺跡』以外、「ペテロの家遺跡」も超小さく、その他『住民の家遺跡』(これは当時あまり説明が無かった)も狭い範囲であり、『ガリラヤ湖』の高台にある(見晴らしの良い所でした)、ちっぽけな町という印象しか無かったからである。もし、言われるような大きな町であるなら、まだ発掘されていない場所でもあるのでしょうか?(と言う事で、ヘロデ王が皇帝に献呈した『ティベリヤ』にくらべれば、かなり小さい町であったと思われます。(しかし「徴税所」などがあったと言われています。)
(カペナウム)~ペテロの家、シナゴーグ、集合住宅
(ティベリヤ)
確かに上の方の記事を見て頂けると解るのですが、確かに『カペナウム』は『ガリラヤ湖』の端っこで、交通の要所であった事が伺えますね。
『住民住居』の跡を見て頂けますか?当時の『ユダヤ人一般住居』はこのように、皆くっついた形で建てられていたそうで(「ユダヤ人の生活」本から)、壁がそのまま砦のようになっていた訳で、『城壁都市=エルサレム他』のように、外敵が多いこの地方では「戦争」などに備えて、このように密集して住んでいた様子です。
(∩ω∩`)という事で、皆様皆親密な関係な町であったと言えます。恐らく、イエス様の出身地『ナザレ』も、山地の(「聖書旅行」の写真でも確かに山手に上ってゆく写真あり)小さな村程度、同じく密集して住んでいた親密な村であった事でしょう。『カペナウム』から30km離れています。『イエス様御家族』がどうして、『ナザレ』に住みついたのか?理由は定かではありませんが、次の事が考えられます。(下は「ナザレ」で発掘された「イエスの家」という1世紀の家です)
(「ナザレ」へ向かう道、(^^;)確かに今の「ナザレ」は木が一杯ですが、私達が行った30年前はゴースト・タウンみたいな埃っぽい小さな町で、どこも工事中で、埃っぽかったです。イエス様時代の「ナザレ」が木が沢山生えていたか?解りませんね。イスラエルの山は荒野ばっかな所も多いので~)
★父親「ヨセフ」はやはり山地の『ベツレヘム』出身なので、郷里と同じような場所を選んだ。
★『ヨセフ』の仕事は『大工=木工細工人』、山地には材料の木材が手に入りやすかった。つまり仕事の為。
★『ヨセフ』の親類関係が住んでいたから。(ユダヤ人は親類、同胞をとても大切にする。)
などなどが考えられますが、『聖書』には記述が無い為、はっきりこれだという理由はもう『迷宮入りでしょう!』
(∩ω∩`)恐らく『イエス様御家族』も『ナザレ』では、集合住宅のように密集した家に住み、御近所がたと親密な関係で暮らされてたのが想像が出来ます。だから、『ナザレ』では「あれ?大工のヨセフの息子じゃないか?」と訝られ、なかなか受け入れがたかったのでしょう。しかし、この山間の町『ナザレ』、『イエス様の出身地』として超栄え、今ではまさに大都市!(笑)、にくらべ、『カペナウム』は廃墟であります。
(ナザレの現在)(小さな村であったのだが)
何故、『カペナウム』が廃墟になったのか?理由は7世紀に「オスマン・トルコ」によって破壊されました。
また、この街は『イエス様』がこれほど住んで何度も熱心に宣教されたのに、『悔い改めて、信仰する事がなかった!』そうで、後に『イエス様』から、『カペナウム、お前は天にでも上れると思っているのか?それよりゲヘナに落とされるのだ。お前のうちでされた事が、「ティルスやシドン」でなされたなら、彼らはすぐに悔い改めたろうに!』と超叱られた訳で、
!Σ(×_×;)!マジに滅ぼされ『廃墟化』してしまっているので、恐ろしい!「不信仰」な街の運命は!(『ナザレ』はイエス様は去って行かれたが、叱られはしなかった。)
話しはちょっと説明が長くなりましたが、『イエス様』は『シモン・ペテロ』の母親を癒されました。(ここではペテロは何故か出てきません)恐らく驚き感謝した事でしょう。日が暮れると、『噂』を聞いた大ぜいの人々が(恐らく近所の方々)、色々な病人や弱っている者を『イエス様』の御元に連れてくると、
『イエス様』は一人一人に手を置いて癒されております。
この『イエス様』の『ひとりひとりに手を置いて癒された!』という表現に『イエス様の深い憐れみと慈愛がこめられており、「皆治りなさい~」といっしょくたにせず、ひとりひとりを大切に手を置いて癒される方である」という事です。
『イエス様』は私達も『万民の中の誰でもいい一人』とは考えておらず、『欠け替えの無いあなた』だけを見て、癒され救われる方である事を覚えましょう。『私の為の十字架、私の為の救い』なのです。けして『すべての人類の中の一人』というような『愛』の無い御方ではありません。
またまた!Σ(×_×;)!『悪霊』は、『あなたこそ神の子です。』と大声で叫びながら、多くの人達から出て行った~な~んて、『悪霊』の方が『メシヤであるイエス様を知っている訳』で(笑)、
しかし、これは『あなたこそ神の子です!それは神様でしょう!」とかふざけた嫌がらせのような言い方ですね『悪霊は「神様」に敵対する存在で地上に落された腹いせに、悪さをしているのでしょう。しかし、こうして『まだ、イエス様が「神の子」であるとお話もしていないのに、無駄にばらして悪さをする『悪霊』を、『イエス様』はお叱りになり、『それ以上、無駄口を聞くのを許さずに追い出されました。』
それは、『悪霊』は『イエス様』を『キリスト』であると知っていたからでありました。(「悪霊」の存在については、前にもお話したように、プロテスタント的立場では、目に見えない霊的な存在だが、映画に出てくるような物ではなく、人間の弱みにつけこみ、人の欲望を煽ったり、落ち込ませたりして不幸と「神への不信仰へ誘う存在です。)
そして夜が明けると『イエス様』は寂しい所へ出てゆかれた。恐らく町外れの静かな所で、祈っておられたのかもしれません。
『イエス様』は『神の子』であるからこそ、良く静かな寂しい所で一人『祈り!』をする事が多かったのです。『天の父に祈り、語らっていたのでしょう。また宣教の成功を祈っておられたのでしょう。』
我々も、『宣教!宣教』と働くばかりでなく、静かに『神様の助けを祈る。そして心を整えて働く』事を心がけねばならず、『主イエス様』御自身が模範を示されております。
すると町の群集はイエス様がおられないのを心配して、捜し回ってやって来て、自分達から離れていかないように頼みます。(それは、イエス様に病気を癒してもらいたかったのでしょう)
しかし『イエス様は言われました。』
『他の町々にも、どうしても『神の国の福音』を宣べ伝えなければなりません。わたしはその為に遣わされたのですから。』
イエス様の使命は『神の国の福音宣教』と『十字架の贖罪』でした。
その為、『イエス様』は他のユダヤ(恐らくこの時は「ガリラヤ各地」)の緒会堂『シナゴーグ』でお話をされ、『福音』を告げ知らせてお歩きになりました。