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ガリラヤ湖ほとりにて・・

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March 15, 2017
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カテゴリ:ルカによる福音書

手書きハート(ルカによる福音書23章13~54節)

『ピラトは祭司長たちと、指導者たちと民衆とを呼び集め、こう言った。

「あなたがたは、この人を、民衆を惑わす者として、私のところに連れてきたけれども、私があなたがたの前で取り調べたところ、あなたがたが訴えっているような罪は別に何も見つかりません。

ヘロデとても同じです。彼は私達に彼を送り返しました。見なさい。この人は死罪にあたることを、何ひとつしていません。だから私は懲らしめてうえで、釈放します。」

しかし、彼らは声をそろえて叫んだ。「この人を除け。バラバを釈放しろ。」バラバとは、都で起こった暴動と人殺しのかどで、牢に入っていた者である。

ピラトは、イエスを釈放しようと思って、彼らにもう一度呼びかけた。

しかし、彼らは叫べ続けて、「十字架だ。十字架につけろ。」と言った。

しかしピラトは三度めに彼らに言った。「あの人がどんな悪い事をしたというのか。あの人には、死にあたる罪は、何も見つかりません。だから私は懲らしめたうえで、釈放します。」

ところが、彼らはあくまで、主張し続け、十字架につけるよう大声で要求した。そして、ついにその声が勝った。

ピラトは、彼らの要求通りにすることを宣告したすなわち、暴動と人殺しのかどで牢に入っていた男を願いどおり釈放し、イエスを彼らに引き渡して好きなようにさせた。

彼らは、イエスを引いていく途中、いなかから出てきたシモンというクレネ人をつかまえ、この人に十字架を負わせて、イエスの後ろから運ばせた。

大ぜいの民衆や、イエスの事を泣き悲しむ女たちの群れが、イエスの後について行った。

しかし、イエスは、女たちの方に向いて、こう言われた。

『エルサレムの娘たち。わたしのことで泣いてはいけない。むしろ自分自身と子供たちのことで泣きなさい。なぜなら、人々が『不妊の女、子供を産んだ事がない胎、飲ませてことがない乳房は、幸いだ。』という日が来るのですから。

その時、人々は山に向かって、「我々の上に倒れかかってくれ。」と言い始めます。彼らが生木にこのような事をするなら、枯木にはいったい、何が起こるのでしょう。」

ほかにもふたりの罪人が、イエスと共に死刑にされる為に引かれて行った。「どくろ」と呼ばれる所に来ると、そこで彼らはイエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人の一人は右に、一人は左に。


その時、イエスはこう言われた
「父よ。彼らをおゆるし下さい。彼らは何をしているのか、自分で解らないのです。」


彼らは、くじを引いてイエスの着物を分けた。民衆は傍に立って、眺めていた。指導者たちも嘲笑って言った。「あれは他人を救った。もし、神のキリストで選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」

兵士たちも、イエスをあざけり、傍に寄ってきて、酸い葡萄酒を差出し、「ユダヤ人の王なら自分を救え」と言った。「これはユダヤ人の王」書いた札もイエスの頭上にかかげてあった

十字架に架けられた犯罪人の一人イエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え。」と言った。

ところが、もう一人の方が答えて、彼をたしなめて、言った。「お前は神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。われわれは、自分のした事の報いを受けているのだかが、当たりまえだ。だが、この方は、悪い事を何もしなかったのだ。」

そして言った。「イエス様。あなたの御国の位にお付きになる時には、私を思い出して下さい。」

イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたは、今日わたしと共にパラダイス」にいます。

その時、すでに12時頃になっていたが、全地が暗くなって、3時頃まで続いた。太陽は光を失っていた。
また、神殿の幕は真っ二つに裂けた。

イエスは大声で叫んで言われた。
「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。


この出来事を見た、百人隊長は、神をほめたたえ、「本当にこの人は正しい方であった。」と言った。

また、子の光景を見に集まっていた群衆も皆、こういう色々な出来事を見たので、胸を叩いて悲しみながら、帰った。

しかし、イエスの知人たちと、ガリラヤからイエスについて来た女たちはみな、遠く離れて立ち、これらの事を、見ていた。

さてここに、ヨセフという議員のひとりで、りっぱな正しい人がいたいう。この人は、議員たちの計画や、行動に同意しなかった。彼は、アリマタヤというユダヤの町の人で、神の国を待ち望んでいた。

この人が、ピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願った。

それから、まだだれも葬ったこののない、岩が掘られた墓にイエスを納さめた。

この日は準備の日で、
もう安息日が始まろうとしていた。

ガリラヤからいっしょに出てきた女たちは、ヨセフについて行って、墓と、イエスのからだが納められる様子を見届けた。』



ローマの総督「ポンテオ・ピラト」の実像は、「ユダヤの高名な歴史家ヨセフス」によると、”冷酷な男で、「大祭司」も自分の好きなように更迭し、”祭司”さへ磔刑で処刑して「ユダヤを統率」するのに神経質な統治をしていた”と書かれています。

当時の「ユダヤ」は「ローマ帝国の属州」で自治が赦された地域でしたが、「ユダヤ人」は重税・失職・総督や帝国の暴挙に怒りが積み重なっており、『熱心党(ゼロータイ)』などの過激派が度々、反乱を起していたので、総督「ピラト」も神経質になっていたと思われます。

ユダヤ人』は『救世主・メシヤ』を待望していたのです。しかし、それは『イエス様』のような『愛と義』を行う人では無く、「ユダヤ」をヒーローのように救う『英雄モーセ』のような人物でした。

『ポンテオ・ピラト』が実際どのような人物であったか?「ヨセフス」の記事しか残っていませんが、『聖書』では『キリスト』を助けようと尽力した人に描かれています。この『十字架』の事件では、『ユダヤのパリサイ派、律法学者、大祭司』が『悪役』で彼らが、『イエス・キリスト』を「十字架に送った超本人」として描かれていますが、

別の見方で、「ローマ支配下」にあった時代、『ローマ』が『キリスト』を殺したと書いては『ローマ』に敵対する宗教と見なされる為、『ローマに穏健派』のように見せる為に、『ピラト総督』などを『見方役』に描いた・・とも考えられていますが、真相はどのようであったか?解りません。(太古の昔の話なので)(護教論)

ピラト』は実際に『イエス様』を助けようとしたのかもしれません。『イエス様』と同時に裁判に出された男は『バラバ』と罪人で、”殺人&暴動”という、いかにもな罪を犯した男でした。

しかしこの、悪そうな名前の『バラバ』は『バル・アッバ』と言う名前で、『アッバ(父)』というのは、『ラビ(律法の先生)』の尊称で、この『バラバ』は『暴動犯(過激派・レースタイ)』なのですが、『ラビの息子』ではなかったか?という説があります。原語で「レースタイ」は”反乱者”の名称に使われていたそうです。当時は『ラビ(律法の先生)』が指導して反乱を企てたりしていたそうです。

バラバ』は当時『ユダヤ人』が望む『ヒーロー的な反乱軍』だった訳です。(後に「ユダヤ戦争」では『バル・コクバ(星の子)』というメシヤを名乗る男も登場し、『ユダヤ』を結果・崩壊させてしまいます。)、

こう考えると、『律法学者・パリサイ派』がやはり、『イエス・キリスト』の方を処刑せよ。と叫んだのは、『イエス様』が『反乱者』などではなく、『正しい・穏健なメシヤであった証拠だともとれます。

ここに登場する”群集”ですが、これは『パリサイ派』が集めた群集である事が、別の福音書に書かれています。『イエス様』の信奉者ではなく、全く”敵方”という訳ですから、『イエス様』に敵対していても、当然で『インチキな裁判』という事になります。公正な裁判ではなく、元から『イエス様を処刑する為の裁判』のような感じです。

イエス・キリスト』は旧約聖書の預書”にある通りに『屠り場に引かれて行く”子羊”のようにおとなしく、”沈黙”を守って、黙って、彼らの言いなりに”判決”を受けました。

(イザヤ書53章7節)『彼は痛めつけられたが、それを偲んで口を開かず、ほふり場に引かれていく子羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない・・・』

イエス様』はまず、鞭打たれます。当時の”鞭打ち刑”は”死刑”に匹敵する刑罰で、”ローマ市民権”を持つ者には行われませんでした。鉄辺なを埋め込んだ鞭で打つ、残虐な『ローマの刑』でした。ここで、『ローマの刑罰・鞭打ち』を受けてる所も、『ローマ』が主犯であった感じを受けます。『ユダヤの鞭打ちは単な皮の鞭で死ぬほどではありません』

映像で見ると残酷過ぎて、現代の我々には、見る気もしないものであります。
しかし、この
キリスト・イエス”の”打ち傷”によって、我々は『罪を赦されたのです。』
この”イエス様”の御受難を見る時に、我々は『私の罪の為に打たれ、傷ついた』事”を改めて思いださなければなりません。『イエス・キリスト』は私達の”罪”の身代わりに”罰”を受け下さったのです。

それを見る時に、『私達は、深く悔い改め、イエス様に感謝を捧げなければ成りません。』
私の”罪”が”主・イエス様”を鞭打ちにし、『十字架』につけた事を認識せねばなりません。

『イエス様』は歩るく事もままならぬほどの、酷い”鞭打ち”を受け、御自身で『十字架』を担ぎ、”ゴルゴタ”(されこうべ・髑髏)の場所まで歩かされます。途中何度も倒れたので、その場所は”キリスト教”巡礼の祈祷所になっています。この道を『悲しみの道』(ビア・ドロローサ)と言い、『エルサレム旧市街』(世界遺産)にあります。元の街道は土の下に埋まっているので、その上を歩きます。

(実際に行ってみると、物売りが多いゴミゴミした、狭い道で、ちょっとガッカリします)



『イエス様』は、悲しみながらついてくる”女性”達に、『エルサレムの娘よわたしの為に泣くな。』と『後に起こる「ユダヤ人の災難(ユダヤ戦争)」の事を預言して話ます。『あなたがたは、大変な災難に会う。その為に悲しむが良い。』

それには未来に起きる「ユダヤ戦争での悲惨な”エルサレム”の破壊とユダヤ人の離散。(ユダヤ戦争では、エルサレムはローマ軍に手酷く焼き払われ、何万人もユダヤ人が殺されます。)そして”最後の審判”までが話されるのです。『彼らが”生木”にこのような事をするなら、”枯木”にはどんな事が起こるでしょうか?』

これは『”生木”=キリストを信じる人・・にさへ悲惨な事が襲いかかかる、それでは”枯木”にはどんな悲惨な事が起きるのか』と言う意味で、『旧約聖書』に『神様は焼き尽くす火』に喩えられます(例(ソドムとゴモラ))ので、”枯木”(不信者)は神の火で焼く尽くされる事を預言されております。

イエス様』は『御受難』に会いながらも『同胞の人々が受ける悲惨な状況』や『最後の審判』の日を思いうかべ、御自身が悲しまれていたのです

イエス様』は『ゴルゴタ』に到着し、二人の罪人と共に『十字架』につけられました

この二人の罪人』は、やはり「レースタイ」(反乱者)でありました。

(現在の”ゴルゴタ”は『エルサレム旧市街』の中にあり、『聖墳教会』という、かなり古い時代の『教会』が建っているので、実際の”ゴルゴタ”を偲ぶ事が出来ませんね(^^;)良いのか悪いのか?『教会』が建つのは、当たり前ですが~


”旧約聖書・イザヤ書”にある”預言”のように、彼らは『イエス様』の服をくじ引きし(当時「服」は高価な物だった為)、『メシヤなら自分を救ってみろ。自分で降りて来い』などの罵りをします。

当時の『十字架刑』は、『ローマ市民権』を持つ者には適用されず、『ローマへの反逆者』に用いられましたが、『ポンテオ・ピラト』は『歴史家ヨセフス』の記録から、『ユダヤ祭司』も多く『磔刑』にしています。ローマへの反逆』を感じた人は、誰かれと言わず『磔刑』でみせしめにしていた様子が伺えます。

『磔刑』は残虐な拷問刑で、手と足を釘ズけにされた『受刑者』は、数日間も苦しむ事もあり、身体の重みで呼吸困難さえ、きたし苦しみ悶えて亡くなります

(プラハ・カレル橋)


『十字架』は今では『キリスト教』のシンボルともなりましたが、あの『十字架は私達の罪の為の贖罪の子羊『イエス・キリスト』が御受難した刑罰で、そこには私達の”罪”の重さを感じなければならのいのです。
イエス様』が私達を愛した『愛の重み』でもあります。
実に、

イエス・キリスト』が私達の為に『十字架上で死んで下さった』この事の為に、私達の罪は赦されるのです。

イエス様』は『過ぎ越しの祭り』で贖罪をされた、『過ぎ越しの子羊』なのです。

イエス・キリスト』こそ『最後のアダム』神様はその『ひとり子・イエス・キリスト』を世に遣わし、『イエスの死』により、すべての人間の『罪』を過ぎ越されれるのです。「過ぎ越し祭り」は出エジプト記にある、神の怒りが過ぎ越した事を祝う祭り)


「十字架上」で二人の罪人のうち一人は『悪態を付き』、一人は『主・イエスを信じ救われます。』彼は『正しい人・イエス様』を信じ『イエス様、あなたが御国に行かれた時には、せめて私を思い出して下さい』とお願いします。彼は”救い”など臨んでいなかった。自分が”罪深い罪人”だと思っていたからです。しかし、『イエス様』を信じた彼に、イエス様は『あなたは、今日わたしの共にパラダイスに居る』と言われました。彼は救われたのです。

今でも、『イエス様』はどのような”罪深い人”でも『パラダイス・神の国』に招かれています。いつでも『キリスト・イエス』を信じるなら、あなたは”救われ・パラダイス”に行けるのです。

信じるだけ”で良いのです。神の国の道』は『イエス様』が開いて下さったのです。
ハート
命を捨てて私達を愛されたのです。”
人が友の為に命を捨てる、これ以上い大きな愛はありません。』(聖書・キリストの言葉)




(動画が痛過ぎる・イエス様の愛ハート

イエス様』は『十字架上』で全人類の為に『とりなしをされました!』
父よ彼れらを、お赦し下さい。彼らは何をしているのか、解らないです。』と・・!



『イエス様』が『十字架に架けられ、
父よ、我が霊を御手にゆだねます。と言われて亡くなられた時』に、”全地が暗くなり、太陽も光を失った”と書かれているので、”日食”が起きたのでは無いかとも言われています。

また、”神殿”の幕が上から下まで裂けた”また、地震が起きた。とも言われます。”地震”は現在ではあまり記憶にありませんが、”イスラエル”地方は地震があり、”死海”など地沈下した所に出来たようですので、”地震”があってもおかしくはありません。

この”神殿の幕”が裂ける事は、「ユダヤ教」の神様とまみえる事が出来る『至聖所』を仕切る”幕”が裂けた事で、これは、『キリストの贖罪』により、私達が、”罪を赦され”直接、”神様”と会えるようになった事を現すと言われます。

十字架の下には、『イエス様』の「母マリヤ」他「マグダラのマリヤ』、弟子の『ヨハネ』らが、見守っていました。当時の「磔刑」の時には、親類などが見守り、「葡萄酒」などを飲ませるのが赦されていました。
『イエス様が亡くなられた後、アリマタヤのヨセフという正しい人である議員が、『イエス様』の御遺体を貰い受け、近くの真新しい墓に、丁寧に埋葬しました。

次の日が”安息日”なので、”マリヤ”の地元”ナザレ”へはすぐに連れて行かれなかったのでしょう。

ハート私達、”クリスチャン”は困難に会う時、”イエス様”の十字架を偲び、主おもいがどれほどの苦難に会われたかを思いだし、”世に勝たれた主”に力ずけられます。また、”主イエス”がどれほどの”愛”で私達を愛して下さったいるか思いおこし、感謝します。皆様もこれほどに、主に愛されている事を思いましょう。ハート












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最終更新日  March 15, 2017 01:06:35 PM



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