カテゴリ:ものぐさ枕草子庵
枕草子 角川、新潮第40段(岩波43段)
虫は、松虫、蜩(ひぐらし)、蝶、鈴虫、蟋蟀(こおろぎ)、きりぎりす、われから、かげろう、蛍。 蓑虫は、とってもしんみりするわ。 鬼が生んだ子だというので、親に似てこれも恐ろしい心を持っているんだろうと、親のおんぼろな着物をひっかぶせて、「今に、秋風が吹いてくる頃には迎えに来るからね、待ってんだよ。」と言い置いて逃げて行っちゃったのも知らず、風の音を聞き分けて、八月頃(現在の九月頃)になると、「ちちよ、ちちよ」と儚(はかな)げに鳴くのが、めちゃくちゃしみじみあわれなのよ。 ぬかづき虫、これがまたじーんと来るのよね。一寸の虫でも道心を起こして、ぬかづいて歩いてるらしいわよ。 思いがけず、暗いところでピョコピョコお辞儀して歩いてるのは、ホントすてきだわね。 蝿ったら、「憎らしいもの」の中に入れた方がよかったぐらいの、可愛げがないものもあるかしら。 いっちょまえに「人民の敵」なんかにするほどの大きさでもないけど、秋口なんか、もうどんなものにでも止まるし、顔なんかに濡れた足で止まったりなんてね~。 人の名前に付いてるのは、もう「あっち行ってて」よね。 夏虫、とってもすてきで、愛らしいの。 灯し火を近くに引き寄せて小説など読んでいると、本の上なんかに飛び歩いてんの。すっごくすてき。 蟻は、すごく憎たらしいけれど、身軽さはものすごくて、水の上をすいすい歩き回るのは、ホントにすてきだわね。 (拙訳) 【原文】 虫は、鈴虫。ひぐらし。蝶。松虫。きりぎりす。はたおり。われから。ひをむし。螢。 蓑虫、いとあはれなり。鬼のうみたりければ、親に似てこれも恐ろしき心あらむとて、親のあやしき衣ひき着せて、「今、秋風吹かむをりぞ、来むとする。待てよ」と言ひ置きて逃げて去にけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月ばかりになれば、「ちちよ、ちちよ」と、はかなげに鳴く、いみじうあはれなり。 額づき虫、またあはれなり。さるここちに道心おこして、つきありくらむよ。思ひかけず暗き所などにほとめきありきたるこそ、をかしけれ。 蠅こそ、にくきもののうちに入れつべく、愛敬なきものはあれ。人々しう、かたきなどにすべき大きさにはあらねど、秋などただよろづの物に居、顔などに濡れ足して居るなどよ。 人の名につきたる、いとうとまし。 夏虫、いとをかしう、らうたげなり。火近う取り寄せて物語など見るに、草子の上などに飛びありく、いとをかし。 蟻は、いとにくけれど、軽びいみじうて水の上などをただ歩みに歩みありくこそ、をかしけれ。 註 原文の「鈴虫」は、現在のマツムシ。 「松虫」は、現在のスズムシ。 「きりぎりす」は、現在のコオロギ。後世、江戸初期の松尾芭蕉の名句「むざんやな甲の下のきりぎりす」(「奥の細道」所収)も、コオロギの意味である。 「はたおり」は、現在のキリギリス。 「われから」は、不詳。ガガンボなどか? 「ひを虫」は、現在のカゲロウ。 ミノムシ(ミノガの幼虫)が鳴くのかどうか知らないが、「ちちよ」は「乳」に掛けている。ザブトン2枚。 「ぬかづき虫」は、現在のコメツキムシ。 「蝿が人の名前に付いている」というのは、当時は少なからず実例があった(「蝿麿」など)。 中には「糞麻呂(くそまろ)」という例もあったことが知られている。 「夏虫」は、ウスバカゲロウとかガガンボ、セセリチョウやら小さな甲虫類などを総称して指しているものと解されている。当時、火に寄ってきて身を焦がす夏虫は、恋に身を焦がす男女と二重写しになって、ロマンティックなイメージがあった。 夏虫の身をいたづらになすこともひとつ思ひによりてなりけり (夏虫が身をいたずらに滅ぼすことも、同じ恋の火によるものだった) 古今和歌集544 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.09.13 17:03:33
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