カテゴリ:百人一首
小倉百人一首 二十
元良親王(もとよししんのう) わびぬれば今はた同じ 難波なるみをつくしても逢はむとぞ思ふ 後撰和歌集 961 心底つらく思いわずらってしまったので もう今さらどうなっても同じこと。 難波の海にある澪標のように われとわが身を尽くしても あなたに逢おうと思うのだ。 註 宇多天皇の寵妃である女御・京極御息所(きょうごくのみやすんどころ、藤原褒子・ふじわらのほうし)との不倫が発覚した際に詠んだ、貴公子の激しい愛恋の歌。 わびぬれ(ば):動詞「侘(わ)ぶ」に、完了の助動詞「ぬ」の連体形が付いたもの。「わぶ」は悩み苦しみ思い煩うこと。悩み込んですっかり煮つまってしまって。 今はた同じ:厳密には解釈が難しい凝縮された表現だが、「今またどうなっても同じことだ」「こうなれば生きていても滅んでも同じことだ」などのニュアンスと思われる。「はた」は「また」とほぼ同義だが、より強いニュアンス。ここでいわば句点(。)が付き、2句切れ。 難波:大阪付近の古名。「なんば」とも読む。「難」の字を嫌ってだろう、後世「浪花」「浪速」の字を当てた。 cf.)「浪花節、浪曲」。 みをつくし:「澪漂(みをつくし)」と「身を尽くし」の掛詞(かけことば)。澪漂は、岸に近い海に杭(くい)を並べて立て航路を示した標識で、船が往来するときの目印にした。語源は「澪(みお)つ串(くし)」(「つ」は上代の格助詞で、「の」と同じ意味)。遠浅の難波(大阪湾)のものは古来有名で、現在、大阪市の市章になっている。「澪(みを)」は「水(み)尾(を)」が語源で、(船が安全に航行できる)「水路、水脈」の意味。「身を尽くし」は「身を終わらせる、滅ぼす」「命を尽くす」の意味。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.11.19 15:16:36
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