★踏み石
今回のエドガー・ケイシーの勉強は神の探求2の第7課、「魂の宿命」 だった魂の始まりは、どこにあるのか‥「神の内にその始まりがあり、神の内にのみ、その終わりがある」と、エドガー・ケイシーはリーディングしている私たちは、全体の中の一部であることを知っているふと、電話がかかってくると思った時に、実際電話の音が鳴り響き会いたいなぁ~と思っていると、その当人に街中でバッタリ会ったりするこういう経験は、誰にでもあるのではないだろうかこういった出来事から考えられるのは、私たちの魂がそれぞれの深いところで繋がっているのではないか? ということであるなので私たちは本来、一つの存在なのであるでは何故肉体をまとい、個人となる必要があるのか私たちが地上に入る目的は、学ぶべきことを学び自分の魂を表現する機会を、新たに得るためである人生に起伏があるのは私たちの学びを得るためであり、成長するためであるふと、目に留まった言葉があったそれは、「踏み石として使いましょう」 という言葉であるそれは、嫌なこと、辛いこと、苦しいこと、悲しいこと、等々‥それらが起こってきてくれるからこそ、学びがあり成長があるということ逆に言えば、起こってこなければ学びも成長も無いことになる肉体を持って、生まれてきた目的を達成するためにあえて言えば、嫌なことが起こってくれているのであるだから私たちは、起こってくる様々なことを自分が学び成長するための踏み石として、喜んで使わせていただくという気持ちで受け入れていこうと言うのだ私たちは、いつか全体の一部に戻るその一部である私は、その中で誰よりも輝いていたいと思う