カテゴリ:不登校
今日から薬が1粒増えた。
そのせいか、曇り空の眠くなるような天気だからか、眠くてたまらない。 午前中はずっと寝ていた。 時々眠りが浅くなったときに聞こえてくるのは、外の音と、子供たちの声。 「今何時くらいなんだろう」と気になるが、眠気のほうが先にたって、また眠る。 外から声がする。 子供たちじゃなく、他の人らしい。 そう思ったものの寝てしまったので、起きてきたら、子供たちが言うには、妹が姪と一緒に来たんだそうだ。 チビタマが元気になってまた学校へ行けるように、ずっと折っていてくれたという千羽鶴を持ってきてくれたという。 今は姪のお昼寝の時間。 妹が唯一自分の時間として使っているから、もう少ししてから電話でもしてみよう。 妹は手先が器用だ。 育児で忙しいから、時間の使い方もうまい。 かつては編み物も、縫い物も、料理も、私のほうが得意で、よく作っていた。 母は、家庭的な趣味を持たない妹を、「何もしない娘」扱いしていたけれど。 でも、妹は、私にはできないことや、私の知らないことをよく知っていた。 包装紙や、箱、そのほかの廃品を使った手芸や、ミニチュアを作っては飾ったり、私ももらったり。お金をかけての趣味はいくらでもできるけど、お金をためたいから、と言う妹は頭を使ったんだなと思う。 妹から千羽鶴を折って貰ったのは、これで何回目だろう。 チロが大会へ行くとき、チビタマが大会へ行くとき、そして今日。 とてもうれしいと思う。 でも、願いがかなうまでずいぶんかかるんじゃないかな? ちょっと、かなり、私にはプレッシャー。 自分の子供が不登校になるまで、周りにいた不登校の子を、理解できていなかった。 「あの子は休んでいるんだね」とか、「どうしたんだろうね」とか、「どうして登校できないんだろうね」なんてことしか思わなかった。 本人も、家族も周りの友人たちも、大変なんだ。 チロが中学生だったころ、子供が休みがち、またはずっとこないという子はいた。 男子ばっかり。 他人事だった。 でも、子供が来てないのに、保護者懇談会に通知箋をもらいにきていた親はいた。 痛々しい気持ちだった。 でも、平気そうにいつものお母さんをやっていた。 不思議だった。 今は思う、きっと平気なはずはなかった。 平気な顔をすることが、いつものお母さんをやることがあの人の精一杯だったはずだ。 私にはできない。 あのお母さんは強かったと思う。 それでも時々休むのと、いつも行けないのとでは程度が違う。 この前、うちの子の通知箋を担任に渡した。 提出物がまったく提出できなかったけど、通知箋と、雑巾だけは出さなくちゃ。 学校に行かないんだから、つけられないとは思う。 テストも受けられないんじゃないかな。 でも持っていてなくすよりはいいんじゃないかな。 「学校に行ってないからつけられないとは思いますが、提出できるものだけ渡しますね」と言いながら、渡し、先生も「わかりました。もらっていきます」とは言ってくれたけど、今になって、先生に大変な宿題をさせてしまうような気がしてきた。 学校に行けないということはそんなことも含めて、覚悟しなきゃとつくづく思う。 今のチビタマは、部活も行けなくなった。 でも、毎日狭い世界のなかで、元気に暮らしていると思う。 いろいろある。 不安もある。 だけど今、学校や部活を気にしなかったら、何も不都合はない。 本人も、私も。 気にしないでいられたらいいんだけど、チビタマを待っててくれている場を忘れないようにしたい。 本人は忘れていないと思うけれど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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