テーマ:九州発見♪(525)
カテゴリ:九州ぐらし
風浪宮とはどのような由緒の神社なのか、境内にあるこの「白鷲の楠」と呼ばれる大木が示すように大変歴史のある神社です。
ヒントとなるのはこののほりに書いてある「神功賑海路往来」の文字です。この風浪宮、神豪皇后と航海に関係ある神社ということになります。 御由緒としては次のようなことのようです。 神功皇后が三韓征伐よりの帰途(西暦一九二年)軍船を筑後葦原の津(今の大川市榎津)にやってきた時、皇后の乗る船に白鷺が忽然として現われ、艮(東北)の方角に飛び去ったそうです。 皇后はその白鷺こそ我が勝運の道を開き給うた少童命(わたつみのみこ=日本神話の海の神)の御化身なりとして白鷺の止った鷺見(今の大川市酒見)の里を聖地として、武内大臣に命じて仮宮(年塚の宮)を営ませ、時の海上指令であった阿曇連磯良丸を斉主として少童命を祀ったことに始まるそうです。 そのような次第で、古来より風浪の灘を除けることができるようにと、「風浪」を社号とし代々の久留米有馬藩主の崇敬を受け、また、筑後国一円の信仰をあつめているとのこです。 本殿に祀られている阿曇連磯良丸(あづみのいそらまる)の木像です。 神豪皇后が、三韓征伐にあたり諸神を招いたところ、海底に住むが阿曇連磯良丸が現れ、龍宮から潮を操る霊力を持つ潮盈珠・潮乾珠(日本神話の海幸山幸神話にも登場する)を借り受けて皇后に献上したところの姿を木像にしたものだそうです。 というわけで、手には珠を持ち、衣服にはアワビやカキがついているそうです。 そのような話が、この紙に書いてありました。 こちらは、国指定重要文化財の「石造五重の塔」が置かれているところです。 この石造五重の塔は、正平10(1355)年の銘記により俗に正平塔と呼ばれていて、二重基壇の上に五層の軸部と屋根とを重ねた塔身と頂上に相輪をもつ石塔です(→→→こちら)。 【つづく】 人気ブログランキング 風浪宮大祭「おふろうさん」(その2) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[九州ぐらし] カテゴリの最新記事
|
|