テーマ:歩いて愉しむ東京(1000)
カテゴリ:大人の遠足
新平和橋を渡って、平和島に入ります。
平和島、東京都大田区の大森と大井の間で、東京湾に埋め立てられた人工島の京浜第2区埋立地です。 それが「平和島」と名付けられた理由は、大正・昭和へと遡ります。 明治・大正の当時は横浜港が活用されていましたが、東京港は資金難のためなかなか開発が進まなかったのです。しかし関東大震災をきっかけに開発を進めることが決定し、東京港の整備が進められました。 東京港と横浜港を結ぶ京浜運河も整備されました。 東京湾の開発整備が進められると反対する勢力が出で来るのは、今の沖縄の辺野古基地建設と同様です。漁業者やその組合からの猛反対により事業は途中で終了。整備の中止により現在の平和島の一部に未整備の土地が残りました。 そして、検討の結果、未整備の土地は太平洋戦争の捕虜収容所としての活用が決まり、戦後は戦犯一時収容所としても活用されました。そういった経緯から、戦争を忘れない象徴としてこの埋立地は「平和島」と名付けられたそうです。 その平和島も今ではこのような物流センターや倉庫として活用されています。 戦死した多くの兵士や市民の犠牲によって平和を得られたのと同様に、平和島を得た代償として、かつて海苔の養殖が盛んであった平和島周辺の大森地域では、東京湾の開発による排水や埋め立てにより、海苔の養殖はできなくなりました。 平和島にこのような流通団地ができたのは1970年代くらいだったです。 この東京モノレールの駅名も最初は「新平和島」だったのが1972年には「流通センター前」に変わりましたものね。 平和島の中心を縦貫している首都高速羽田線です。ここには平和島出入口や平和島パーキングエリアがあります。 平和島が竣工されたのは1967年。その当時はまだ文字通り「島」だったのですが、1981年に運河の一部が埋め立てられ、その地に「平和の森公園」が完成しました。それによって、平和島と大森地域が平和の森公園によって地続きになりました。 (大井町から大森のコースです) 【つづく】 人気ブログランキング 大井町から大森へ(その9) 平和島という名前の由来 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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