カテゴリ:北関東の旅
ここからは、明治・大正時代の鉱山の様子が再現されています。
この頃は削岩機(ロックドリル)を使って掘っていますね。動力には油圧式と圧縮空気式があります。 ただこのロックドリルで掘るといっても、岩に穴を開けて、そこにくさびを打ち込むか、硬い岩盤だと、掘削した穴に火薬を詰めて爆破することをやっています。 掘り出された岩石はズリと呼ばれていて、大きなトンネル断面だとダンプなどでも運びますが、炭鉱や鉱山では、レールを敷設して、このような運搬車で運び出します。 MoMo太郎のいた炭鉱では、この運搬車を「ずりトロ」と呼んでいました。 ここからは昭和の時代の鉱山です。 MoMo太郎も炭鉱ではこのようにヘルメットをかぶり、じん肺(→→→こちら)予防のためのマスクをして働いてました。 鉱山の中に開運洞という祠があり、山の神が祀られていました。当然ですが、箱根駅伝の五区を走る山の神とは違います。ました。 この祠で、いい鉱石が多く産出されることや、作業の安全を祈ったのでしょうね。 ちなみに山の神は一般に女神であるとされているので、普通の家庭でも、外から女性を連れ来ると奥様が嫉妬してお怒りになるのと同じで、鉱山の中に女性は入れないという、労働安全衛生規則とは違う、鉱山で働く男たちの掟がありました(→→→こちら)。 食事は、鉱山の中で弁当を食べます。弁当と怪我は自分持ちといいますが、昔はいざ知らず、ちゃんと労災保険はおりますよ。 足尾銅山でもそうだったと思いますが、炭鉱では三交替制で働いて、24時間営業でしたので、お昼だから弁当ではなく、夜中にお弁当食べていました。 まあ、一日中、お日様とは関係なく暗い地下に居るので、朝とか夜の感覚ってなくなるかと思っていましたが、意外とそういう感覚って残るもんでした。 山が落ちてこないように、ここでも支保工の点検は、この人形がしっかりやっていました。 (足尾銅山を歩いたコース) 【つづく】 人気ブログランキングへ 北関東の旅 足尾銅山へ行く(その10) 足尾銅山観光part3 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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