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カテゴリ:雑感
病気と向き合う、というのは容易でない。
特に、それが重い病気であればなおさらだ。 私の場合、多発性硬化症であり、これと真剣に向き合うのは、正直、怖い。 何しろ、難病であり、客観的に(実証的に)は、展望は暗い。 この病気は(現代医学では)治せないし、それどころか再発を確実に防ぐ方法もない。 そして、再発の度に徐々に障害が進行して行くことになる。 私も不死身ではないし、いつかは病にかかり体が動かなくなる時が来るとは思っていたが、まだまだ先だと思っていた。 だから、まさか多発性硬化症という聞いたこともない難病にかかり、しかも右目視力低下、下肢障害などの障害を負うとは思わなかった。 「おもしろき こともなき世を おもしろく」と高杉晋作は詠んだが、少なくとも、私にとって、体が思うように動かない(動かせない)、というのはおもしろくない。 「すみなすものは 心なりけり」と、先の句は続く(とされる)のだが、この難病生活も「おもしろく」過ごすことができるようになるのだろうか。 今は、「おもしろく」過ごすというよりは、打つ手がないので成り行きに任せている、というように意識を持っている状態かもしれない。 あまり(発病以後の)過去のことも考えようにしている。 ああしたら良かった、こうしたら良かったということもあるのだろうが、もはや考えても仕方がないことである。 過去のことを振り返るのは無駄である、とプラグマティックに考えるようにしている。 しかし、一方で、過去のことを思い出すと、辛くなる時もある。 昔見ていたテレビ番組(のDVD)や、昔よく読んでいた本、何かの折に思い出す記憶など、この病気にかかる以前に起こったことを思い出すと、病気にかかっていない頃の自分を思い出す。 それは、とても懐かしく、同時に愛おしい。 もはや戻ることはできない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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私も絶えず矛盾した気持ちを持ってるような気がします。
(2008.10.17 17:35:03)
nao20002569さま
書き込み、ありがとうございます。 自分の病気それ自体も楽しくないものですが、それは考えまいとしようと思っています。 が、健康な頃、もう戻れない自分の姿を思いだす時があると、それは辛くなるんですよね。 難しいものです。 まだ自分の中で、病気の受容ができていなのでしょうね。 (2008.10.17 21:28:03)
健康、機会、時間、絆、命・・・
取り戻せなくなってからでは遅いのでしょうが、 空気のように、当たり前のようにあるうちは なかなか大切にするのは難しいものですね。 過ぎ去ったものはどうしようもないから、ときたま 1日1日をもっと有意義に過ごそうとは思うんですが、 つい安易な方向に流されてばかりいます。 (2008.10.17 21:48:35)
たかいのさま
>健康、機会、時間、絆、命・・・ > >取り戻せなくなってからでは遅いのでしょうが、 >空気のように、当たり前のようにあるうちは >なかなか大切にするのは難しいものですね。 当たり前にあるうちは、それが当たり前だから気付かないのですよね。 例えば、手を動かしたり足を動かしたりしますが、よく考えると、それぞれの重さは相当なものです。 しかし、普段はその重さに気付きません。 動かせなくなって、初めてその重さと、動かすことの大変さに気付きます。 (2008.10.17 21:56:08) |