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カテゴリ:雑感
時々、妻を相手に、
「世の中の人が、すべて車いすユーザーになれば良いのに」 とか愚痴ることがある。 社会は当たり前ながら、多数派のためにできている。 難病患者の数は少ないし、障害者の数も少ないし、車いすユーザーの数も少ない。 ゆえに、これらの人のための条件整備は十分にならない。 十分にならないがゆえに、余計、これらの人々は社会に出にくい。 まさに、悪循環。 ユニバーサルデザイン、という言葉も広まりつつあり、社会参加への道は(まだハンディがあるが)以前よりは進みつつあるのだろうと思う。 多数派のためでなく、弱者(「弱い」というのは、環境整備ができてないゆえに、弱くなる気もするので、むしろ少数者か)のための社会は、多分、多くの人にとっても快適だと思う。 もちろん、実際に自分や家族が、難病、障害者にならないと社会の不便さは分からないが、それでも時々でも良いので、自分がそのような身になったとき、この社会がどう見えるのか、考えることがあっても良いのでは、と思う。 難病でない人、障害者でない人は、多くの場合、たまたまそういう状況にあるだけで、それが多数であるだけだと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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