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カテゴリ:いろいろメガネ
巷には「侍ジャパン」の余韻がいまだ残って、この勝利が株価を押し上げたともいわれている。 ところで、この「侍ジャパン」という呼称。単なる記号と考えればいいことだろうが、「日本」ではなく「ジャパン」でなければいけないのだろうか。 「JAPAN」は、マルコ・ポーロが「東方見聞録」で「黄金の国・ジパング (ZIPANG・ZIPANGU) 」と紹介していたところから、世界に広まったようだ。 当時の日本から随や唐にご機嫌伺いに行ったときに、その貢ぎ物に金が多かったので、きっと金の多い国だろうと「黄金の国」となったのだろう。 「日本」という国名は、日の本(もと)、つまり中国大陸からみて東の方にある国という意味からつけられたが、この名前はそれまでの「倭国」という呼び名への劣等感から変更されたともいわれている。 「倭」の「委」は「夭」(粟、若い=背の低い植物)のような「女」(なよなよして弱々しい)人という意味で、大陸人から「倭寇」「倭奴」などいう蔑称としても呼ばれていた。そこで、「日出ずる処の天子」は「日の本」→「日本」と名付け改称したと思われる。 「日出ずる処の天子」も大陸側から考えれば思い上がった名前のようにも感じるが、「日出ずる処」とは、当時は東の方という意味で、東の方から貢ぎ物をもってくる天(唐)の子というならよかんべというように、双方が都合良く解釈した結果ではなかったのではないだろうか。 「ジャパン」も、黄金を貢ぎ物にもってくる国(中国語の「金邦=Jin Bang(金の国)」)という意味がマルコポーロによって「JAPAN」に定着したわけだ。 まあ、人名でも国名でも名称は一旦つけてしまえばただの記号。その由来をいちいち意識して行動することはない。どんな立派な名前でも、行動や結果がともなってはじめて輝く。 「イチロー」もあの最後の一打がなければ、値打ちを下げたかも知れないし、政界の「イチロー」も今回の切り抜けかた次第で、その評価は180度違ったイメージになるであろう。 それにしても、権力側の自らの腐臭に蓋をしたままに、司法・マスコミを使った狡猾な一郎墜としには舌を巻くが、この際、企業ジャパンと政治のズブズブな関係を洗いざらい精算して、透明感のある日本政治を構築して貰いたいものだ。 自民も民主もこの際、膿とドロを全部だして解党整理したほうがいいんじゃないか。そうでなくては、せっかく野球であげた国名の値打ちが、またまた下がってしまう。 蝶クリックを! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.03.26 13:31:00
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